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(回答先: 地方の経済的自立は会社経営に似ている 投稿者 日本の鷹 日時 2005 年 5 月 17 日 00:58:40)
日本の鷹さん、レスありがとうございます。
結局は貧しい地方に金を回す為にどのようなシステムが最もふさわしいか?
という事ですよね?
そこで貧しい地方の発言権をいかにして強くするのかという事が課題になります。
今は国家が面倒を見る事になっているが果たしてどこまで援助ができているのかという事が問題です。
貧しい地域から議員が輩出し国の予算を引っ張ってくるというのが田中角栄型モデルです。
しかし、そういう議員はむしろまれであり、JRの赤字路線を廃止したり、これから行われる郵政民営化では過疎地域の郵便局は廃止する事に賛成する議員がますます増えてくるでしょう。
それは過疎地や貧しい地方の為の政策を提案しても票や金にならないからです。
国会議員は票や金になる事を優先して動くので国家に善政を期待するのは無理なのです。
そこで貧しい地方が自らの窮状を訴える事ができるような地方自治体会議というものを国会に代わって作り、その会議において黒字の自治体は応分の負担をする事を義務付けつべきです。
最初から国家に税金が行ってしまっては苦しい地方自治体の声を反映するシステムは作りにくいと思います。
>地方の経済的自立は会社経営に似ている
>http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/360.html
>投稿者 日本の鷹 日時 2005 年 5 月 17 日 00:58:40: ghz0hM1RqwSPE
>(回答先: では逆にお尋ねしたい。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 5 月 16 日 >20:55:25)
>土地や地場産業や観光を資本にし、利潤を得ようとする方法論において、会社経営と>近いものを感じる。
その会社に住民が税金を納めて必要なサービスを受けるという事です。
会社が赤字であれば住民はもっと税金を納めるか他の裕福な地方自治体に援助を求めるという事です。
現在の国がこのような弱者の自治体に充分な援助をしているとは思えません。
それよりも破綻した銀行や大企業に資金援助する方が優先しているようです。
もちろん、銀行や大企業の破綻は多くの従業員の雇用問題などの問題が発生するわけですが、国の役割は健全経営の会社の設立に協力し、雇用をそちらで吸収すべきであり、杜撰な経営をした企業を救う事はいい結果を生まないと考えます。
健全な市場運営という意味からもおかしいと思います。
>損益分岐点を軽くクリアし、他の地方へと利潤を回せる自治体がいくら存在すると思>っているのか。
だから国税を極力減らし地方の住民税を上げればいいと言っているのですが。
>北海道旭川市には、縁者がいるので、色々と聞くが、毎年冬季間にかかる除雪費用は>数億円にもなり、大雪に見舞われた年には10億を超えると聞いた。(未確認)
>その差を備えた損益分岐点を設定しなければならず、そうなれば利潤を他に充当出来>る自治体はかなり限られると思える。
金は住民税・所得税・法人税・固定資産税などから得るしか無く、これらの税金を主にまず地方に回すべきだと考えます。
地方が自立するのを助けるのが国の役割です。
今は自立させないようにしているのです。
>「良心」を前提にした約束事は、裏切られる事もたやすく、又、火急の案件の前では>後回しにされやすい。
官僚や国会議員の良心に期待するよりは、裕福な自治体の住民の「貧しい地方にお金を回そう。」という良心に私は期待しますという比較を述べているのです。
裕福な自治体は税金を下げたらいいのですよ。
そうして「貧しい地方を救うNPO」を立ち上げて余裕のある住民はそのNPOにカンパをしてNPOに的確な援助をさせたらいいのです。
今の国家にこのような機能があるとは思えません。
>「利害の一致」を前提にしたほうが、もっと強固な約束事を実現できるだろう。
「利害の一致」でやってきた結果が現在の体たらくでは無いのですか?
人助けをしたいという気持ちを生かせるシステムを作るべきなのです。
人間の本質をエゴを決め付けたら何も期待できないと言っているのです。
大金持ちから多くの税金をいただく事は国家ではなくても地方でもできます。
金持ちもその方が地域の人々から感謝されていいでしょう。
>>経済的に弱い地方を切り捨ててきたのが国家なのではないか?<
>その一面は否定しないが、弱い地域に、その所得以上の給付をしている事実はある。
>その不均衡の責任の所在は、紛れも無く「国」にあろう。
現在はそうですが、国家にその責任の追求をしてもラチがあかないと思うから地方が主体の政治システムを作ろうと提案しているのです。
>もっと、責任の追及をしても良い。
>>地方の苦しさは同じように苦しい地方にしか分からないのではないか?<
>理解しあえた所で、赤字同士の連合で出来る事は物乞いしかない。
物乞いですよ。
政治は物乞いなんです。
「ウチは苦しい。ダンナ衆よ助けてくれ。」と言うべきなのです。
それをしないのであれば政治とは言えません。
>そんな赤字地域も結局国が費用負担している。
ですから国が負担するシステムを地方自治体同士の横の融通で解決するシステムに変えようと言っているのです。
その監督は国がしてもいいと思います。
先に国が金を握って地方の生殺与奪の権を持っているかのような現状がおかしいでしょ?と申し上げているのです。
>国家が起こす不手際や正当ならざる資金運用などには、徹底的に抗議し、そうならな>いルールを模索するべきだと考える。
そうですが、それより最初から国にあまり金を与えなければいいのですよ。
国を監視するよりも自分の身近なところになる地方自治体を監視する方がたやすいのです。
>「裕福な地方」の「良心」に期待するより、ロスのない資金運用できる国家体制を確>立するほうがより具体的だ。
良心はエゴしかないというお言葉に対して言った言葉であり、良心の具現化としての法的整備は必要です。
国家に膨大な金を与えた上でその運用を管理するよりも地方にもっと直接金を持たして運用を監視した方がやり易いですよ。
>地方がそれぞれ経済的自立を求められるなら、備蓄はいくらでもあったほうが良く、>他の地域に貸付ならまだしも、援助は「良心」でも不可能だと思える。
良心を実行させるシステムを作るのです。
>なぜなら「国民」という枠が「地元民」に変わっただけで、そこにいる「民」の生活>保全が第一義に考えなければならないからだ。
そして地元民は自分の生活と他所の生活を比較して他所に自分よりも苦労している人々がいるのであればカンパしようとするでしょう。
国よりもそのような個人的な良心にこそ期待できると私は考えます。
国に良心を持たせる事は不可能でしょう。
まだ個人にはある良心に期待するしか世の中をよくする方法はありません。
そして、良心の発揮の仕方についてシステム化をするのが政治家の役割です。
>>国家さえうまくいけばいいので貧しい地方は切り捨てるからだ。<
>ダムに沈んだ村は知っているが、切り捨てられた市区町村は聞いた事がない。
>具体的に上げる事が出来るなら、後学のためにお教え願いたい。
ダムに沈んだという事を私は切り捨てだと言っているのです。
JRの赤字線廃止も同じ。
震災にあっても中々救援の手が差し伸べられない人々も国から切り捨てられたのです。
利用者が少なく赤字の郵便局が切り捨てられても同じ事。
豪雪があっても除雪費用を満足に与えられない地方も同じ。
原発や核廃棄物処理施設を押し付けられる地方も命を削られているのです。
そういう様々な形の切り捨てについて述べているのであって、「今後はオマエらの地方には国からはビタ一文ださねえ。」と言ったという話はしておりません。
新潟は切り捨てられていたからこそ越山会を作って田中角栄を応援していたのですよ。