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(回答先: では逆にお尋ねしたい。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 5 月 16 日 20:55:25)
土地や地場産業や観光を資本にし、利潤を得ようとする方法論において、会社経営と誓いものを感じる。
損益分岐点を軽くクリアし、他の地方へと利潤を回せる自治体がいくら存在すると思っているのか。
北海道旭川市には、縁者がいるので、色々と聞くが、毎年冬季間にかかる除雪費用は数億円にもなり、大雪に見舞われた年には10億を超えると聞いた。(未確認)
その差を備えた損益分岐点を設定しなければならず、そうなれば利潤を他に充当出来る自治体はかなり限られると思える。
「良心」を前提にした約束事は、裏切られる事もたやすく、又、火急の案件の前では後回しにされやすい。
「利害の一致」を前提にしたほうが、もっと強固な約束事を実現できるだろう。
>経済的に弱い地方を切り捨ててきたのが国家なのではないか?<
その一面は否定しないが、弱い地域に、その所得以上の給付をしている事実はある。
その不均衡の責任の所在は、紛れも無く「国」にあろう。
もっと、責任の追及をしても良い。
>地方の苦しさは同じように苦しい地方にしか分からないのではないか?<
理解しあえた所で、赤字同士の連合で出来る事は物乞いしかない。
そんな赤字地域も結局国が費用負担している。
国家が起こす不手際や正当ならざる資金運用などには、徹底的に抗議し、そうならないルールを模索するべきだと考える。
「裕福な地方」の「良心」に期待するより、ロスのない資金運用できる国家体制を確立するほうがより具体的だ。
地方がそれぞれ経済的自立を求められるなら、備蓄はいくらでもあったほうが良く、他の地域に貸付ならまだしも、援助は「良心」でも不可能だと思える。
なぜなら「国民」という枠が「地元民」に変わっただけで、そこにいる「民」の生活保全が第一義に考えなければならないからだ。
>国家さえうまくいけばいいので貧しい地方は切り捨てるからだ。<
ダムに沈んだ村は知っているが、切り捨てられた市区町村は聞いた事がない。
具体的に上げる事が出来るなら、後学のためにお教え願いたい。