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(回答先: 完全な人間なんて人間じゃない。 投稿者 たけ(tk) 日時 2005 年 4 月 27 日 19:08:52)
たけ(tk)さん、レスありがとうございます。
▼たけ(tk)さん
【「完全」ということは、コトバとしては成立するが、あくまでもコトバの世界の中での思い込みとしてしか存在しえないモノだ。
我々はコトバを喋るモノであり、思いこむモノではあるが、我々はコトバの中の存在ではない。
コトバは思い込み(の入れ物)であり、思い込みは我々を見失わせる。】
私は「完全」なるものを人間であるとは定義しておりません。寧ろ「完全」な状態であるのなら、それは存在ではないと思っております。ですから意思あるなんらかの存在というものは、それは「完全」な状態ではないと考えております。
また意識が現実を体験する(知る)為に道具として肉体を操るように、「コトバ」というのは現実を体験する(知る)ための道具の一つだと考えております。
▼たけ(tk)さん
【知りたい、と思うなら、「宇宙史」というコトバに自分の知識の全てを関連付けてみればよい。「宇宙史の他に存在はなし」ということが分かるだろう。】
宇宙も含めてすべての物質及び意思あるモノは、すべて「存在」だと思っており、それらは「完全なるもの」ではないと考えております。「完全」というのは「完全なる調和状態」であって、宇宙の誕生から現在に至るまで想像されたものは全て「完全なるもの」ではない(不調和)(分離した状態)と考えております。そして「完全なるもの」ではない末端の状態、つまり対極にあるものが物質というものであると私は考えております。
私の考える進化の過程とは、「完全」→「非完全」→「完全」→「非完全」→「完全」・・・と宇宙が拡大し収縮するように、太陽の回りを地球が回るように、常に永続的に繰り返していると予測しております。
では人間はどちらに向かっているのか。本質(意志)があり実存(現実)が生まれてくると考えるなら、それは自由意志であり、向かう方向はどちらにも可能であると私は予想しております。「戦争・紛争・怒り・不安・恐怖」の状態は分離傾向を強め「非完全」(不調和)に向かう方向性と考えており、ならば私は「完全なるもの」へと向かう道を選択しようと考えているだけです。(それが良い悪いというものではなくどっちに旅行しようかというようなものです)
人間が「完全なるもの」へ向かうには、分離している状態を非分離(調和)という思考をもつことであり、それを態度で示し、自分を定義つけ、そして自分の体内のペプチド等を通じて各細胞組織に情報伝達され肉体化(現実化)していくものだと私は考えております。それは「意志」と「態度」であり「コトバ」は態度を形成するための助けとなる一つの道具であると私は思っております。これは観察者である意識が現実を想像しているであろうという量子力学の考えから私はそう予測しております。ですから非完全という状態に近くなるにつれて半物質という状態になり、それが強まるとエネルギーという状態になっていくというのでは、と想像し予測はしております。もちろんこれらはあくまでも予測の範囲内であり、絶対的な真理として凝り固まっているわけではありません。
▼たけ(tk)さん
【しかし、それが分かったところで、我々には認識限界があるということにも気がつくはずだ。我々が理解しうるのは、「宇宙史」というコトバによって指し示されたモノ、のイメージに、あれこれのイメージを付加したモノという、自分の《思い込み》でしかないのである。】
私が知りたいのは「言葉」によって伝えられるものではないです。「言葉」によるものは、それはただ「情報を知った」という状況であり、真に「自分が知る」ということにはなりません。つまり体験でしか自分は「知る」ということはできないと思っております。例えば自分は「優しい」と知っていても、実際に「優しい」という行動をしなければ、自分は「優しい」とは知りえることができないというようなニュアンスです。
掲示板に投稿するのは私の態度であり、人に情報を伝えることにより自分の脳の状態を定義することであり、投稿のやりとりから自分の態度そして自分自身を定義付けしていくものだと思っております。もちろん私は存在するものであり「完全なるもの」ではありません。