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(回答先: 「動物的」生き方について【暇ラヤ山脈さんへ】 投稿者 風のように 日時 2005 年 4 月 25 日 20:56:23)
私は自分の価値観を絶対視しています。
他人の価値観は一切受け付けません。ですから、私は自分の欲望と本能のみに従い、
面倒臭いことは一切しないという意味で、「動物」であっていいのです。
「人間」と「動物」を分けて高低を設けるような発想が価値観でないとは言えない
と思いますが、それはともかく私(と家族)が仕事(家事も含む)もしない、貯金も
しない、学校にも行かないのはただ単に「面倒臭い」からです。
当然、家は人間の住処とは思えないほどに汚れているし、風呂も1ヶ月に一ぺん入れば
いい方、洗髪なんて2〜3ヶ月にいっぺんってとこです。
洗濯も滅多にしません。
勿論そういうことを日常する人を軽蔑しているわけではありません。
ただ、私には面倒臭いのです(もちろん、面倒じゃないとか、面白いとか感じられる
時には風呂にも入るし家事もしますが)。
私は、価値観を否定されるととても変な気がするのです。
存在価値観の塊として生きてきたのですから。
世の中には、私たちの生き方は既に終わっているし、こうはなりたくない、不幸の
どん底をそれと知らずに生きている人間の典型として見、蔑んだり哀れんだりする
人は結構いるようです。およそ非人間的で自堕落な生活に耽溺していながら、何にも
悩みが無さそうにへらへらしているのが許せない、存在自体が不快だ(笑)などと
思う人もかなりいるようです(私自身は、とても愉快なので不快に思われること
自体が不快、というのはありません。ただちょっと悲しみのような振動を感じること
はありますが、悲しみ=不快感or被害者感情というのではないと思います)。
まあ、臭い自己陶酔の塊だと思われるのは当たってはいると思いますが、だから何だ
っちゅーねんうぜーと思うんならほっとけば?と家族に理解されているならそれで充
分である私は、親指を下に向けてしまいます(ハイ、厚かましいです)。
まあ、人の見る目を勘定に入れたら、自分の価値観は貫けません。
以前には、私が幼児虐待をしていると思って問題にしようとした人もいました。
しかし、煙草を一日80本吸って生まれた子は、体重も充分に生まれた(3200g)
健康体だし、上の子は生後一ヶ月で首が完全に座り生後七ヶ月で一人歩きするように
なり、8ヶ月で走り、11ヶ月になる頃には3〜5歳児並みの身体能力が身につきまし
た。下の子も、生後2週間で寝返り、8ヶ月で1人歩きし、四〜五歳の頃は1人で(私
が見ていないうちに)練習して25m泳いだり、自転車を乗りこなせるようになりまし
た。言葉も一歳の時に3〜4歳児並みになりました。何の教育もしつけもしていません
(面倒だし)。でも、性格的にもとても明るく元気で優しく意欲的な、すごく人気のあ
る個性的かつごく普通の子供として育っています(上の子は3つのとき、気まぐれに
3歳児検診というのに行ったら健康優良児というレッテル?を貼られたこともあります)。医者やなんたらの権威が言うことなんて糞くらえ、(まさに馬耳東風)ってなと
こです(私の親父医学博士だけど)。お蔭で私が偉いと誉められることはまずありませ
ん(子供達はよくこう言われる。「この子たちは、よくしつけられていてエラいわね
え。それに引き換え、この親ときたら」
・・・。何のこっちゃ)が、社会的顔がないというのはラクなので狙いに適っています。まあ、しつけ方針なんかなくても、結果としての価値観というのなら言えることは
あるかもしれません。
単純に、馬も鹿も生後間もなく立ち上がって歩けるように習得するんだから、人間
だって余計な心配しないで子供の意思に沿っていれば成長スピードを通常の半分程度
に早めること位出来るんじゃないか、自分の体の使い方くらい自分で覚えるんじゃな
いかと思っただけです(アフリカかどこかに、赤ん坊が生後1〜2ヶ月で歩き出す先
住民族がいるとか、ミャンマーあたりには視力が9.0を超えることもある先住民族
がいるとか聞いたこともあります。まあ、生活に必要じゃない能力を獲得する必要は
ないと思いますが)。
なんも期待せんでも、動物性を奉じていれば期待できる以上の結果が出る、というの
が私の価値観(確認できた事実)です。
いわば、アフォーダンスによる形成獲得に任せていれば必要が満たされるという
価値観です。学校も会社も面倒臭いのです。毎朝定刻に起きてルーティンを行う
自分(及び家族)なんて、想像もつきません。
おかげで、子育ての苦労や面倒を感じたこともないし、出産の苦痛というのもあまり
ピンとこない言葉になっています。他のお母さんや専業主婦、職業主婦の方などとは
そういう内容ではどうしても次元が噛みあわないので、話を避けることが多いですが、
そういうの抜きに個人の友人知人として付き合うのなら、どんな人とも話ができます。
まあ、話だけだと「あり得ない、嘘だ」と一蹴する人も結構多いというのも経験済み
ですからこれ以上掲示板でいろいろ独自価値観(事実)を並べるのはやめにします。
私にとっては当たり前のことでも、人によっては遠い外国かよその星の価値観のよう
に受け取ることもあるようですし・・・
(そういう感じ方の相手をいちいち説得するのは面倒なので、責任が持てません。
対立したり食ってかかるくらいなら、「下らない」とでも思って関心を捨ててく
れれば・・・)。
というのは一般論として。
もちろん、風のようにさんが「或いはそういう価値観や事実もありかも」と思って
下さるのなら、私がありがたく思うかどうかは別として、人生の何かの参考にできる
内容もあるっちゅう自信もあるんだよね、あなたはなかなかラッキー!ぐらいは
偉そうに言っちゃえるかも知れません。
でも、そういう価値観(というかあらゆる価値観?)には縁がない、と思われるのだ
としたらそれまでですけどね。
私は風のようにというよりは、つむじ風に舞う塵のように、或は水洗トイレの水に流さ
れる糞のようにだらだらと鼻つまみな生き方をするのが性に合っているようです。
支配者の思う壺になるのは、私の思うツボだとさえ感じています。
まあ、反論というか、別系の意見という感じでちょっと引っ掻き回したい衝動に任せ
てみようということで色々書いてみました(勿論、挑戦するとかいうのではないです)
が、風のようにさんの意見に対する否定ではないと思いますので、面倒な議論に発展
させることもないでしょう(もし議論が好きだったらご免なさい)。
たくましく厚かましく醜いオバタリアン的動物として生きて、何の証も残さないで
面倒を避け快楽と飽くなき欲望にだらだら溺れ続けることが、私の光り輝く完全燃焼
であり、愛着であり、自己賛美できる価値観なのです。