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(回答先: 常識に捕らわれない生き方は可能か? 投稿者 考察者K 日時 2005 年 4 月 24 日 08:58:35)
>結局、常識に捕らわれない生き方は不可能に近いと思うざるおえない。
>その上で「気づきを促す啓蒙こそがリスクが少なく未来に期待を託す最良の手段ではないか?」とKは思う。
これでよいんじゃないですか?
「常識に捕われる」というコトバの意味が人によって違っているだけです。
たけ(tk)は、「常識に捕われる」というコトバは「常識に従わなければならない」という脅迫神経症的な意味で使っています。なので「気づきを促す啓蒙」を行おうとすることは、たけ(tk)の用語で言えば「常識に捕われていない」ことになります。
「常識に捕らわれない生き方は不可能」というのも正しい。
自分の状況としての人々の間で通用している「常識」を無視した生き方は不可能かつ有害無益です。その意味で正しい。
しかし、人間は「常識に捕らわれない生き方は不可能」だと言い切った段階で、それは一つの達観なのではないでしょうか。
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不条理な「常識」が支配している職場での啓蒙はかなりの困難が予想されます。最近の公務員の中間管理職たちには思考停止・脳死状態に陥っているヒトを多く見かけるようです。彼らは、自分の地位保全のためには上位下達のスピーカ役に徹しなければならないという脅迫神経症的な行動様式になっているようでしょう(公立高校での観察結果ですが・・)。また、彼らに追従しなければならないと脅迫神経症的に思いこんでいる職員(高校で言えば教師)も多くなってきています。彼らを啓蒙することはかなり難しいように思えます。
でもまあ、不条理な状況で啓蒙するのが天命だと定めたのなら、それに人事を尽くせば、次になすべきことも分かってくるでしょう。(傍観者的でゴメンナサイ)