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(回答先: Re: 犠牲者意識があるうちは大人になれないし、自立も無理でしょう。 投稿者 Ama 日時 2005 年 4 月 22 日 16:43:06)
Amaさん、レスありがとうございます。
まずは、Amaさんが個人的に抱えている諸問題から一歩踏み出したということで、心から応援しております。
さて、私の言説との比較で少し読者にとって誤解を与えるかもしれない部分もあるので、主観的に見て私との認識の違いの部分だけを補足的に書いておきます。(Amaさんが間違っていると言っているわけではありません。)
▼Amaさん
【確かに誰も多かれ少なかれ、犠牲者意識はあると思いますが、それから抜け出さなければ大人にはなれないでしょう。】
「大人」というのが、「正しいこと」と用いられているのでしたら、そこには私との相違があります。
ただし非動物的という観点から「進んだこと・進化していること」として捉えているのであれば、私と同じです。
私は犠牲者意識そのものが、「正しいこと」とは決して思ってはおりません。正しくも、間違ってもいない、ただの存在のあり方(態度)があるだけだと思っております。
また「大人」というと、「正しいこと」という観点で考えてしまいがちですが、決して「大人」だからと言って「正しいこと」をするわけでもなく、「正しいこと」をしたからと言って「大人」であるとも思っておりません。
クドイようですが、もう一つ。
▼Amaさん
【真に働くという事は自分の為に働く事ではないでしょうか。 自己の能力の可能性を最大限まで見届ける事ではないかと思っております。
負け犬になるか、やったぞと思えるかは本人次第でしょう。 生きてる時代が悪いなんて情け無いことは言いたくないですね。】
私は、「自分の為に働く事」が、「真に働く事」とも思っておりませんし、「生きてる時代が悪いと言う」ことを情けないとも思ってはおりません。そして奴隷になることも「悪い」とは思ってはおりません。
それは「良い―悪い」「正しい―間違っている」という価値判断ではなく、一つの存在のあり方であり、一つの態度があるだけであり、そして自分の採用した行動という原因に基づく一つの結果が存在するだけだと思っております。
ですから、私はたまたまある結果を求めて考え行動しているにすぎず、それが「良い―悪い」の観点からされたものではありませんし、万人に共通する「良い―悪い」とも思ってはおりません。
勿論、これらの価値判断はAmaさんの選択した考え方ですので、私がとやかく言うことではありませんし、間違っているわけでもありません。私の言説へのレスということですので、一応、私の考え方を書いたまでです。
ただ、基本的な行動パターンとしてAmaさんとは、共通的なものを感じますね。