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考察者Kさんの誤読も含めて詳細に
http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/167.html
投稿者 風のように 日時 2005 年 4 月 23 日 11:27:37: .n/MggpimB.j.
 

(回答先: 現状認識が甘いと思われます。 全てを自己責任論に収束される危険な考え方でしょう。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 4 月 23 日 00:21:52)

考察者Kさん、レスありがとうございます。


やはり、少し認識の相違も見受けられますが、議論の焦点となっているところを中心にご説明致します。

考察者Kさんの言われることは、一般的であり、誰しもが共感の持てる内容だと思っております。それは決して間違った発想ではありません。
元来、人間とは自然の中で生き抜いていくために適応する能力を高め、種を維持していこうと考えます。そしてその所属する組織もまた「組織の法律(掟)」という取り決めを中心として存続し、維持しようとします。
そして人間には従順であることが求められ、協力し、団結し、同意する人が求められるものです。

私の話しているのは「個人主義」です。
それは、人間の「動物的な本能」からすれば受け入れ難い概念であり、現代社会の常識から外れ、得てして変わった人、恐ろしい人と思われる要素が強いと思います。
これは、動物的な観点からすると正しい考え方ではありません。しかし「支配―被支配」の関係に頼らない、平和的には見えない実は最も平和的な考え方だと思っております。

この考え方は、最初は混乱を見出すかも知れませんが、すべては革新的に一変するでしょう。皆がそのような考え方になった場合どうなるかを自分の「思い込み」といベールを外して読む必要が出てくるかもしれません。

例えば「会社が忙しいのにサービス残業をやらされる」とした場合、サービス残業をする時間は自分と会社との契約にない事項ですから、だったらサービス残業を止めて帰ってしまえばいいというものです。
皆がサービス残業を断固とした信念で、止めたとしたらどうでしょう。
組織は存続の危機を迎えるかもしれませんので、サービス時間分の人員を増やすか、業務を改善するか、若しくは喜んでサービス残業をする人を雇うしかないでしょう。それは当初の問題のある会社から脱皮することになるはずです。
なぜ自分が嫌だと思っているのにサービス残業をしているのでしょう。それは誰の責任でしょう。現場(個人)の責任ではなく会社の責任でしょうか?
常に決断しているのは個人です。
勿論、自分がサービス残業を心から止めたいと思うのなら、覚悟が必要です。
それは外側(会社)との戦いのことではなく、自分の内側の「犠牲者意識・執着意識」との壮絶なる戦いです。
それはサービス残業を断れば、「会社をクビになるかもしれない」「配置転換で自分の望んでいない部署・場所に移動させられるかもしれない」「給料が下げられるかもしれない」「取引先等に格好が悪い」・・・等の「会社」「場所」「仕事」「給料」「権力」「家族」「見栄」等のすべての要因への執着するということに対しての決別という覚悟が必要です。
この覚悟なしに、「私がサービス残業をさせられているのは、その人員を少なくした会社の責任だ」と被害者意識を続けていても、会社は困ったふりをしてニコニコ笑っているだけでしょう。
但し、組織存続の為に社員が会社を辞めない程度にはしてくれるでしょう。
今ある組織のほとんどは、個人の「執着する」という特性を最大限利用して、組織を運営しているだけです。
つまり会社があっての個人です。社長があっての社員です。「支配―被支配」関係の解り易い構図です。
どんな人情・恩情も利用するでしょう。排他的な側面を利用し結束を高めるでしょう。不安や恐怖を植え付けて組織に縛りつけるでしょう。名誉・権力を与えて社員をいい気持ちにさせ組織に縛りつけるでしょう、他の社員と同じ行動をしないことは恥じるべきことだと罪悪感を与えて業務に縛りつけるでしょう。

人生の中の貴重な個人の時間の大半を、殆どの人間は自分に費やさずに他人(組織)へ費やしているのが現状です。それが問題であると言っているわけではありません。自分に聡明な志があり、その組織を通じて社会に貢献しようと考えている人もいるでしょうし、自分のやりたいことが組織でしかできないことなので喜んで仕事をしている人もいるでしょう。それならば何の「犠牲者意識」を感じることなく、自分の貴重な時間を喜んで差し出すことになるのでしょう。

私は組織を潰そうと考えているわけではありません。人間は一人ではやり遂げられない事が多いです。組織というものを見た場合に、「支配―被支配」関係構造にあるものではなく、互いに尊重し、束縛のない、個人が主体の自由な関係が理想だと思っており、それが個人の発想を豊かにし独創的なアイデアも生まれ、組織の発展に最大限に寄与するものだと私は思っております。

また、「個人に責任がある」というのは、罪悪感を与えるものではありません。
それが良いも悪いも、原因の発端は個人の内側に存在すると言っているだけです。そして良い悪いを感じるのは、あくまでも主観的な価値判断です。サービス残業を悪いと考える者もいれば、喜んで奉仕するために良いと考える人もおります。
そして、私は何ひとつ「良い悪い」の価値判断をしてはおりませんので、この世界に悪い奴が居るともいないとも申してはおりません。ただ「良き」も「悪き」もすべての原因は自分の内側にあるのだと言っているだけです。

考察者Kさんが、これらの考え方をデジタル思考だと考えるのなら、「人間が野生動物」とか「感情の生き物」とかを強調して植え付ける「支配―被支配」の関係構造に埋没し、自分を見失っているのではないでしょうか。冷静にベールを外し考察してみてはどうでしょうか。


▼考察者Kさん
【「全てはプラス思考で考えて、前向きに仕事に取り組みなさい」
とか
「あなたは自分の選択で現在の職業に従事しているのですから、不平を言わず、仕事に全ての力を注いで下さい」
とか
「忙しいのは言い訳になりません。時間は自らの工夫で作り出す物です。」
と云うのは、資本者階級の「洗脳の為の呪文」です。】


上記3つの事を言った憶えもないですし、歪曲した理解です。
私は原因の存在する場所(自分の内側)を明示したわけであり、「前向きに不平を言わず受け入れろ」等の盲目的になれとは言ってはおりません。
変えたいなら変えればいいし、改善したいなら改善すればいいが、「犠牲者意識」を言うだけでは変化も改善も見られずに、他へ依存する気持ちが生まれるだけと言っているのです。


▼考察者Kさん
【仕事は「食べる為の手段」であり、趣味と実益を兼ねている一部の人以外は、基本的には「悪いカード」の中から生きる為に無理にカードを引かされる状況下で「職業を選ばなければならない」社会背景(生きている環境)がある訳です。「引きたくない状況下で選んだカードは、好きで選んだのとは違う」のです。
多くの人は「遊んで暮らせるならば、それを選択する」でしょう。
「この職業を選んだのはあなたです。」と言うのも、詭弁の一種なのです。】


そいう社会背景を助長しているのは、個人のそうした被害者意識から来るものだと私は思っております。
遊んで暮らしたいなら、遊べばいい。何も浮浪者になれと言っているのではありません。
「食べる為の手段」という、「食べること」「生きること」に執着し仕事をすると、そこに拘束され、いつまでも悩まされるだけの日々が続くことでしょう。ならば「遊んで」自分の好きな仕事をすることも可能だと言っているのです。(個人的には、会社を辞めると、仕事は遊ぶことだと理解が進むと私は思っております)
そして「食べること」「生きること」に執着しなくなったとき、初めて心から気持ちよく「食べること」「生きること」ことができるものと思っております。これは私の経験から来る私の真実です。


▼考察者Kさん
【「忙しいのは言い訳になりません」などというのは、詭弁にすら値しない、呪いの呪文です。何故ならば「そう言う人が具体的方法論など示す事は、ほとんどの場合ありませんし、手本を見せる事もほぼ無いでしょう」
本来ならば、適正な要員配置をする事が「忙しいのは言い訳にならない」などとほざく者の「義務」なのです。】


「忙しいのは言い訳になりません」とは言ってはおりません。
「忙しい」ことの原因は自分の内側にあるのだと言っているだけです。ご理解頂けるでしょうか。


▼考察者Kさん
【Kは現場で起こる不都合は「かなりの部分が現場の責任ではない」と思っています。
「その不都合が繁忙に起因するものは、基本的には定員配置を甘く見て要員を決定した者」に責任があります。
「その不都合が職員の適性によるものなら、そこにその者を配置した者」に責任があります。
「その不都合が、職員の技能による者ならば、その職員に十分な訓練をしなかった者」に責任があるでしょう。】


定員配置を甘く見たと思っている、思わせられているのは、個人(自分)です。組織はそれが最善だと思っているのではないですか?それでも機能しているから、それが最善だと思っているのではないですか?
個人の執着に付け込み、強調的でないのは恥だと罪悪感を植付け、「あなたは悪くはない会社が悪いのだ」と個人を尊重して擽り、個人に立ち返らないように仕向けて洗脳することで、まだ職場の仕事が少ない人員で最大限に機能している状況となり、そしてそれが最善な状況だと会社(組織)は思っているのではないですか?
個人が残業をやめ、会社が機能しなくなった時点で、人員は増強されるか、もっと洗脳しやすい社員を送り込むかのどちらかでしょう。
つまり現状が会社にとっては最善なはずです。そして問題を起こしている責任は、それを(気付かずに)助長している個人でありその選択をした行動にあるのだと思っております。


▼考察者Kさん
【これは社会構造の問題であり、個人レベルでは解決の難しい問題です。
しかも、現場は一方的な被害者です。
「仕事を変えれば良い?」なんで被害者が排除されなければいけないのでしょう?
家族とか様々な物の重力を断ち切るのが正解というような思考方法が正論でしょうか?
転職にも海外移住にも人間的絆を断ち切るにも「リスク」があります。
何故、労働者・生活者に一方的なリスクを押し付けるかのような思考法になるのでしょう?
「労働改善を自らの努力で」という思考そのものが一般庶民へのリスクの押しつけでしょう。】


「仕事を変えれば良い」というのは、自分の理想が会社には認めてもらえず、他の社員にも認めてもらえないときには、自分の意志でその会社を辞めればいい、辞める覚悟で行動すればいいと言っているだけです。
それが結果として会社組織に与える影響も大きく、誰しもが「個人主義」を持って行動すれば、結果として自分の定義している問題のない組織に生まれ変わるのではないでしょうか。その個人が強い意志を持って行動すれば、それは問題提起への確固たる礎となるものだと思っております。
自分だけが“犠牲”になるのが怖くて、他人へそれを託すことも可能でしょう。しかしその場合、他人がそれをしてくれないと責任を転嫁し、犠牲者意識を持つことはできないはずです。変えるのは自分です。


▼考察者Kさん
【経営者階級の「洗脳の為の呪文」と同意の事を是とするのにはKは同意できません。
お二人が経営階級の人でしたら、お二人にとっては「それは、正しい主張」なのかもしれませんが、そうならば「確信犯の洗脳行為」です。
お二人が経営者階級の人でないならば「他人に完璧性を求める」主張であり、「他人任せにする行為を批判する事」が自己矛盾になるでしょう。(他人任せにするのは他人に完璧性を求め、それが果たされない不満を「犠牲者意識」と思うのは間違いと主張しているのですが、それを自己解決できるという思考も、その人に完璧性を求めるものなのです)】


私が言っているのは、現在の経営者階級の人達が言っているのとは、全く真逆です。
経営者階級の人達が、私と同じ意見なら、今の企業形態は完全に崩壊します。しかし私と同じ考えで企業を運営しているところは、完全ではありませんが少なからずあります。
恐怖・不安を乗り越えた個人主義の会社です。社員の誰しもが心から仕事に誇りを思い、喜んで、伸び伸びと業務をする会社です。


▼考察者Kさん
【また、お二人の思考は「この世に悪い奴はいない」事が前提になっています。
そうでなければ、論立て事態が成り立たないのです。実際には悪人は存在しますので、Kは論自体が呈をなしていないと考えています。
犯罪の被害者に「それがあなたの運です。受け入れて前向きに生きていきましょう」というのは偽善者の美句です。
「そのような悲劇が2度と起こらないような社会造りを考える事」が大切です。】


私は「この世に悪い奴はいない」とも、「それがあなたの運です。受け入れて前向きに生きていきましょう」とも言ってはおりません。非常に曲解した解釈です。(上記参照)

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