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(回答先: 「犠牲者意識」の説明 投稿者 風のように 日時 2005 年 4 月 22 日 12:02:14)
>風のようにさん Amaさん どうもです。
どうも、お二人は比較的楽な職業に就いているようです。
少し、現状認識が甘い印象をお受けします。
「この世に悪い奴は存在すると思わないで、自分にある不満は、対外要素よりも、自己責任的要素の方が高い」との思考方法を示すのは間違いではなく、思考法の提示です。
と風のようにさんは主張していますし、Amaさんは「マイナス思考から脱却する事こそ必要」と主張しています。
確かに状況によっては「その考え方が当てはまる人」も存在します。
しかし、その考えは「人間に完璧性」を求めている危険な考え方です。
更に、人間的繋がりを断ち切る方向性に思考誘導を謀るデジタル思考でもあります。
「全てはプラス思考で考えて、前向きに仕事に取り組みなさい」
とか
「あなたは自分の選択で現在の職業に従事しているのですから、不平を言わず、仕事に全ての力を注いで下さい」
とか
「忙しいのは言い訳になりません。時間は自らの工夫で作り出す物です。」
と云うのは、資本者階級の「洗脳の為の呪文」です。
「リスクという物を考えなければリスクが降りかからないのでは無い」のですから、プラス思考に視野狭窄を誘う、言葉は詭弁でしかありませんし
仕事は「食べる為の手段」であり、趣味と実益を兼ねている一部の人以外は、基本的には「悪いカード」の中から生きる為に無理にカードを引かされる状況下で「職業を選ばなければならない」社会背景(生きている環境)がある訳です。「引きたくない状況下で選んだカードは、好きで選んだのとは違う」のです。
多くの人は「遊んで暮らせるならば、それを選択する」でしょう。
「この職業を選んだのはあなたです。」と言うのも、詭弁の一種なのです。
「忙しいのは言い訳になりません」などというのは、詭弁にすら値しない、呪いの呪文です。何故ならば「そう言う人が具体的方法論など示す事は、ほとんどの場合ありませんし、手本を見せる事もほぼ無いでしょう」
本来ならば、適正な要員配置をする事が「忙しいのは言い訳にならない」などとほざく者の「義務」なのです。
Kは現場で起こる不都合は「かなりの部分が現場の責任ではない」と思っています。
「その不都合が繁忙に起因するものは、基本的には定員配置を甘く見て要員を決定した者」に責任があります。
「その不都合が職員の適性によるものなら、そこにその者を配置した者」に責任があります。
「その不都合が、職員の技能による者ならば、その職員に十分な訓練をしなかった者」に責任があるでしょう。
それらは本来、経営者階級が経費をケチる為に起こるのですが、その問題点を指摘せず、現場にストレートに落とす事で「経営者にゴマすり」をするような中間機構こそ「悪の根元だ」とKは主張しています。
これは社会構造の問題であり、個人レベルでは解決の難しい問題です。
しかも、現場は一方的な被害者です。
「仕事を変えれば良い?」なんで被害者が排除されなければいけないのでしょう?
家族とか様々な物の重力を断ち切るのが正解というような思考方法が正論でしょうか?
転職にも海外移住にも人間的絆を断ち切るにも「リスク」があります。
何故、労働者・生活者に一方的なリスクを押し付けるかのような思考法になるのでしょう?
「労働改善を自らの努力で」という思考そのものが一般庶民へのリスクの押しつけでしょう。
経営者階級の「洗脳の為の呪文」と同意の事を是とするのにはKは同意できません。
お二人が経営階級の人でしたら、お二人にとっては「それは、正しい主張」なのかもしれませんが、そうならば「確信犯の洗脳行為」です。
お二人が経営者階級の人でないならば「他人に完璧性を求める」主張であり、「他人任せにする行為を批判する事」が自己矛盾になるでしょう。(他人任せにするのは他人に完璧性を求め、それが果たされない不満を「犠牲者意識」と思うのは間違いと主張しているのですが、それを自己解決できるという思考も、その人に完璧性を求めるものなのです)
また、お二人の思考は「この世に悪い奴はいない」事が前提になっています。
そうでなければ、論立て事態が成り立たないのです。実際には悪人は存在しますので、Kは論自体が呈をなしていないと考えています。
犯罪の被害者に「それがあなたの運です。受け入れて前向きに生きていきましょう」というのは偽善者の美句です。
「そのような悲劇が2度と起こらないような社会造りを考える事」が大切です。
不満を言う人から「不満を言わないで前向きに考えよう」と不満を閉ざす事や、不満から耳を塞ぐのではなく「不満の原因を考察し、問題点があるならば、それを解消する考察法」を採用するようにしないと、本当の問題は解決しないでしょう。
聞いた上で「被害妄想」と判断する事が妥当な場合もあるでしょうが「耳を傾ける方が先」でしょう。
先入観を持って「その不満は間違いだ」としたり「聞き苦しいので語るな」などと考察するのは危険であるし、間違いだと思います。
場合によってはお二人の主張が正しいケースもある事は分かっているつもりです、それは多くの場合(心の)ケアという意味合いが必要な場合だろうと思います。末期患者とか死刑囚などの救いようのない場合とか、被害妄想的な場合はそれに当たるでしょう。
それ以外の場合では、かなりの確率で「自己責任論と完璧性の押し付け」だろうとKは思います。
現在の日本では「過労死・過労自殺・過労入院」が増加する傾向があり、労働への恐怖心から労働逃避に走る者も増加しているのです。
そんな社会環境は個人の努力では改善不能でしょう。
「ならば、日本を捨てろ」と言うのだと思いますが、そんな主張のどこに正当性があるのでしょうか?
現状認識が甘いとしか考えられません。
なお、Kが日頃問題にしている「郵政公社の労働条件の悪化」に耐えきれず逃げ出す者は急増しているらしいが、待っている仕事は「タクシーの運転手」くらいとの話です。非常に厳しい環境のようで、一日14時間労働、定休日無し、年収は300万円以下だそうです。
「案ずるより、産むが安し」と言うのは誰にでも簡単に言えるが、事実はそんなもんだそうです。
負け犬に好きでなる者はいないでしょうが、現実には約8割の人が負け犬に甘んじなければならないのです。
そんな社会環境の中で「不平不満」を言うなと言うのを正しいと思うのならば、不満のない環境下で生活する人でしょう。少数派の意見は多数決で排除される事になるのです。