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(回答先: 現存在・理性を優勢し、感情と情緒を理性の支配下におこうとする努力[如往さん、考察者Kさんなどへ] 投稿者 乃依 日時 2005 年 4 月 18 日 16:11:05)
>乃依さん どうもです。
何か、かなり難しい問題を取り上げて下さいましたね(苦笑)
「憑き物落としの呪い士(まじないし)」風情の手に負える問題とは思えません。
でも、少しだけ考察してみましょう。(本日は休暇ですので)
まず、「感情・情緒」などと言うと何か素晴らしいものと認識されそうなので「本能・欲望」と言葉の変更をさせて頂きます。
前にも書きましたが、人という文字は支え合っているから人なのです。支え合わなければ「野生の動物」です。本能とか欲望のママに「他人を思い遣る事もない行動を重ねる事になる」可能性が高いです。
それでは、社会(人の集まり)は成り立ちません。「悪い事をしたら罰します」という知恵によって「ワガママ」を押さえつける訳です。
「本能・欲望」は隙あらば「人(他人を支えるという意味において)としては悪の行為を
見つけて羽を伸ばそう」とします。日頃、理性(知識として植え付けられた人としてのあり方)に押さえつけられているので「屁理屈」でも「法の盲点を突くような行為と分かっていても」それを理由に「自分の理性(知恵)を誤魔化してでも「本能・欲望」を満たそうとするのでしょう。
Kに考えでは「理性・知恵」と「感情・情緒」が乖離するのは必然だと思います。
ところが最近では「個性の尊重」と言う事で「本能・野望」を認めるような方針(教育面でも経済面でも政策面でも)が見直され
反面、国とかグループなどは「その組織に都合の良いイエスマン」を作り出そうと言う方向性の強化もあります。そうしないと秩序の維持ができなくなると言う危機意識も増大しているのです。
最近のネットウヨなどの右傾化は「組織の方向性(国益重視の思想)」と「個人の獣性(日頃押さえつけられている肉体的暴力の解放)」が合致してしまったという意味合いもあるのではないかとKは考えています。
一部の人は「全てを投げ出してでも、戦いたい」のでしょう。それは損得勘定(知恵の面からの最終的なブレーキ)などでは押さえつけられない局面まで達する可能性すらあります。理性と知恵の敗北です。
それでも多少の理性は残っているようで「仲間への攻撃」とか「家族への攻撃」は(事件としては増加傾向ですが)されないで、(それが、余り根拠のない理屈でも)外敵にたいして向けられているとも考えられます。
米国に向かないのは敗戦という知恵かもしれません。(一部の人は米国に向けていますが、それは少数です)
「本能・欲望」の満たされない「理性・知性」に押さえつけられる環境は「雄々しい事を求める雄」に多い感情でしょう。
こればっかりは「Kの憑き物落としなど役に立つ事柄ではありません」
彼等は「自分(の中の理性・知性)を誤魔化してでも暴れたいのです」
「理由なんか少しばかり間違っていたって、暴れる理由になれば良い訳」です。
後は女性にでも頑張って貰わないと「喧嘩に発展」します。
最近は暴力的な思考をする女性もいますが、それでも大多数の女性は「喧嘩は好まない」でしょうし、人口の半分は女性です。
ん?これは考察として適当な物でしたか?
まあ、Kなどに問いかけても役には立たないと言う事で・・・(笑)
では、では