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(回答先: ワヤクチャさんよ、根本的に問いただしたい事がある 投稿者 ハードパンチャー 日時 2005 年 7 月 02 日 20:47:16)
ハードパンチャーさん、こんにちは。
>ワヤクチャさんよ、根本的に問いただしたい事がある
>http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/1049.html
>投稿者 ハードパンチャー 日時 2005 年 7 月 02 日 20:47:16: AqxiZTU7eCguE
>「闘争をしていない」と考察者Kさんを非難するが、なぜ「闘争」しなければいけな>いのか?
闘争をしなければいけないという事はありません。
状況について語り合い、これは大変な状況だなと思った時に呼び掛けはしますが、
闘争に参加する事は個々人の主体的判断に委ねるしかありません。
闘争に参加した結果、弾圧を受ける覚悟が必要です。
その意味では、覚悟が無い人に強制する事はできないのです。
Kさんは、少なくとも「首相の靖国神社参拝」には反対の立場の方でしょう。
で、私としては日本の右傾化(戦争準備)に反対の方と認識しまして、闘争の外にいて
「多数派形成の方法論」と述べるだけでは無く、闘争主体をどう支援するのか?
この闘争を右傾化阻止の闘争としてどう発展させていくのか?という観点から考えて欲しいと申し上げただけです。
>「闘争をしないこと」=「負け」
>ここの理由が全く理解できない。
国家権力は戦争をする為に様々な攻撃を仕掛けてきているのです。
君が代の強制もその中の重要な1つの攻撃です。
これに抵抗しない事は戦争が近づく事を意味するのです。
明白だと思うのですが、これはひょっとしたらハードパンチャーさんには分かりにくいかも知れませんね。
過去30年間でこの感覚が身に付いてしまっているもんで自明の事にしてしまっているのでしょう。
分かりにくければおいおい説明して行きたいと思います。
>例えば、俺は格闘技をしているが、一般の人に対して、「リングに上がること」は強>制できない。
当然です。
>「リングにすら上がっていない」と格闘技ファンの事を責めても仕方がない。
そりゃあそうです。
>格闘技を見ることが好きな人は、何かに「負け」ているのだろうか?
別に負けてはいないでしょう。
貴方はプロのスポーツとして観客の楽しみの為に闘っておられるワケです。
そして、観客は貴方の素晴らしい決め技に感動して満足するのです。
それで完結しております。
それ以上の事は観客には求められておりません。
>俺は国家権力に対し、「闘争」しようとは思っていない。
分かりました。
>政治、政府というものに対して、評価しようと思っている。
>つまり、俺はこの世の中に一定の満足と一定の不満足を持っている。
>そんな風に世の中を感じているヤツに「闘争しない事は悪だ」と断じたところで、そ>れは主観の押し付けでしかない。
それはそうです。
私は貴方の主観を尊重します。
現在の政治や政府がどのようなものであるのかについてのお話はしたいと思います。
しかし、何も問題を感じていない人に闘争を呼び掛けても無駄だという事は分かっております。
>「こんな不条理があるのに、何故闘わないんだ」
>そんな風に思ってみても、俺のように、闘うほどの意味を見出していないヤツだって>いる。
それは、重々分かっております。
Kさんとは一定の目標の共有があると思ったからこそ闘争の方法論について意見交換を試みたのです。
>「なぜリングに上がらない?」
>「強さを比較して今の自分を見極めろ!」
>「鍛えた成果を発揮するべきだ」
>どうだい?そんなことを価値観の違うものにいうことはおかしいことだろ?
おかしいです。
>価値観のすり合わせも無く、自己主張とそのステージに上がらない事を「負け」とす>ることほど「あほぅ」な押し付けはあって良いと思わない。
Kさんは、多くの人が「君が代を唄わない人」を変人だと思うだろうからそんな闘争はすべきでは無いと言いました。
私はそういう態度が敗北主義(闘わずして負ける)という事だと評価したのです。
彼とは闘争の仕方をめぐって議論していたのです。
1つの闘争の評価をめぐって。
>あんたは、「リングに上がろうとしない」から俺に「負けている」のか?
いや、そんな事はありません。
>格闘技の野蛮性に大した意味を見出せないから、「リングに上がらない」のなら、別>に「負け」てはいないのではないか?
格闘技の評価についてはココでは置いておきたいです。
私もK1を観たら興奮します。
これは何なのか?と思います。
つまり、人間には強さに対する憧れが間違い無くあると思います。
生物として自然な事なのでしょう。
この強さを戦争に使う事には私は反対します。
しかし、娯楽として格闘技を観戦する事は?
こういう事(うさ晴らし、ストレス解消)も無しに日々しんどい仕事をさせられていたら犯罪はもっと増えるかも知れないなどと思っております。
つまり、ローマ時代に典型的にあったように市民には憂さ晴らしとしての闘技場が必要では無いかと。
この阿修羅掲示板も言葉の闘技場のようなものです。
投稿する者は闘技者として身を晒したという覚悟が必要だと思います。
もし、間違った意見が投稿されて、それが誰の批判も受けずにそのままになれば?
「ああ、ココの闘技者はこんな意見も容認するぐらいの者ばかりなのか?」って事になってしまうと思います。
話がそれました。
自らリングに上がらない人に対して「負け」の宣告をしてもしょうがないと思います。
>その辺、気づいているか?
気づいております。
>「闘争に意味を感じていない」そんなヤツラの価値観を認知し、それらを引き寄せる>なり、無視するなりの手段を感情任せにしていないか?
「闘争に意味を感じていない」人々にどう話したらいいものか?
については工夫をしていきたいと思います。
感情に流れている面があれば直していきたいと思います。
ご忠告、ありがとうございました。