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「闘争をしていない」と考察者Kさんを非難するが、なぜ「闘争」しなければいけないのか?
「闘争をしないこと」=「負け」
ここの理由が全く理解できない。
例えば、俺は格闘技をしているが、一般の人に対して、「リングに上がること」は強制できない。
「リングにすら上がっていない」と格闘技ファンの事を責めても仕方がない。
格闘技を見ることが好きな人は、何かに「負け」ているのだろうか?
俺は国家権力に対し、「闘争」しようとは思っていない。
政治、政府というものに対して、評価しようと思っている。
つまり、俺はこの世の中に一定の満足と一定の不満足を持っている。
そんな風に世の中を感じているヤツに「闘争しない事は悪だ」と断じたところで、それは主観の押し付けでしかない。
「こんな不条理があるのに、何故闘わないんだ」
そんな風に思ってみても、俺のように、闘うほどの意味を見出していないヤツだっている。
「なぜリングに上がらない?」
「強さを比較して今の自分を見極めろ!」
「鍛えた成果を発揮するべきだ」
どうだい?そんなことを価値観の違うものにいうことはおかしいことだろ?
価値観のすり合わせも無く、自己主張とそのステージに上がらない事を「負け」とすることほど「あほぅ」な押し付けはあって良いと思わない。
あんたは、「リングに上がろうとしない」から俺に「負けている」のか?
格闘技の野蛮性に大した意味を見出せないから、「リングに上がらない」のなら、別に「負け」てはいないのではないか?
その辺、気づいているか?
「闘争に意味を感じていない」そんなヤツラの価値観を認知し、それらを引き寄せるなり、無視するなりの手段を感情任せにしていないか?