★阿修羅♪ > 雑談専用13 > 1031.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Kさんは手法としての「君が代反対運動」だけではなく、『君が代反対』そのものに嫌悪をいだかれていますか? 投稿者 NJ 日時 2005 年 6 月 30 日 13:53:53)
「Aについて、考えたければ、まず、Aについて知らなければならない。」
私、昔、試験で変な点取ったとき、大学の先生に言われました。
知るとは、この場合当然ですが、その事象があることを知っていると、いうことでは無いです。この基本的性質はなにか、それの重要性はどこにあるか、ほかのこととどのように関連付けられるか、それはどのような応用が考えられるか、といったことを指して、「知る」といっているのです。
一般大衆に受け入れられねばならないと言う理由で、肉を削り、最後には勝つ、と仰るが、
現権力が許容する範囲で、権力と異質であることが表面に現れないよう行動を選択し、権力と同じ手法を用いれば(御用小説家を使って小説うんぬんを仰ったときには、陰謀論を地でいってはる、と思いました。)、あなたも立派な現権力の一員だ。そのほうが一般大衆に受け入れられると、あなたは考えているようだ。しかし、その際、一般大衆というものの認定も定かでない。一方、あなたの考える大衆は、あなた自身の洗脳の結果である“大衆”のイメージそのものだ。あなた自身は“大衆”の味方であるはずが、あなたの書いたものを批判的に読む(否定的に読む、事とも、懐疑的に読む、事とも違うものです)ことができない人に、権力がポチ新聞を使って誘導している世論と、同じ方向に、世論操作を行なうことになっている。
実際に行動を起こし、権力がこれを潰しにかかった人達(この場合は処分を受けた先生達)が追い詰められたのと、同じ立場に立たない限り、それ以外の大部分の黙した人々の味方にすら、成り得ないのだ、という事に、気付かなければならない。それには、権力がどういう態度に出ているか、に対処するだけでは、力となれない。権力の秘したところ、その意図を、多くの誠実に日々暮らす人々目の前で、白日の下に晒す必要がある。
真の友人になりたければ、まず、知らせること。君が代“強制”に対し、反対しないことが、どういう社会の到来を意味するのか、知らせること。見えていないことがあるならば、それをしらせること。あなた自身も含めて。考えるのは、それからだ。