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アウシュビッツが『絶滅収容所』ではないことの生き証人(拙稿を中心に再掲)
何度も繰り返して投稿するところですが、アウシュビッツの「絶滅収容所」を主張してやまないグループが、自らの手で『アウシュビッツが絶滅収容所ではなかった』証明をしてくれています。獄中のアーヴングがややこしい態度をとっているようですので、この際ですから、まとめてみたいと思います。
以下の拙稿でその点について触れました。
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http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/493.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 12 月 26 日 22:14:49
アウシュビッツから移送されたユダヤ人10万人の中にあの少年も
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これは次の投稿に対するレスとして作成したものです。
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http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/492.html
投稿者 ブッシュ親子の自作自演テロの11 日時 2005 年 12 月 26 日 16:31:24
ドイツ軍のアウシュビッツに関する公式記録。ユダヤ病死者は、6万人。
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ここでブッシュ親子の自作自演テロの11さんが次の資料をご紹介です。
Political Incorrectness
http://tbrnews.org/Archives/a2037.htm#_ftn1
これは
《ロシアが所有するドイツ軍のアウシュビッツ収容所に関する公式の囚人記録:Central State Archives No. 187603, Rolls 281-286 (Auschwitz)》
を紹介するもので、上のご投稿では要点が次のようにまとめられています。
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◎1941年7月から44年10月までの間にアウシュビッツに収容されていたユダヤ人の数は、延べ173000人。
◎発疹チフスで死亡したユダヤ人の数、58,240人。
◎自然死したユダヤ人の数、2,064人。
◎他の収容所へ転出させられたユダヤ人の数、100,743人。
◎処刑されたユダヤ人の数、117人。
◎1945年1月15日にドイツ軍が収容所を去った後に残ったユダヤ人の数、11,839人。
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Total number of Jews transferred from Auschwitz, 1941-1944
100,743
Sources: CSA No. 187603: 1940-41: Frames 001-875-Roll 283-1941-42:Frames 001-872-Roll 284-1942-43: Frames 003-862-Roll 285-1943-44: Frames 019-852- Roll 286.
これに関して、私のレスで次のように書きました。再掲します。(一部に不正確なところがありましたので、加筆・訂正しておきます。)
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************* 引用 開始 *****************
「ブッシュ親子の自作自演テロの11」さんがご紹介の
http://tbrnews.org/Archives/a2037.htm#_ftn1
Official German Record of all Prisoners in Auschwitz Concentration Camp from May of 1940 through December of 1944
に目を通していて、ふと、一人のユダヤ人に関する記事を思い出しました。以前に阿修羅でご紹介した次の情報の中に出てくる、当時まだ少年だったドイツ系ユダヤ人のシーグフィールド・メイァ(Siegfried Meir)です。
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http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/123.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 5 月 09 日 02:38:27
ナチ収容所で死んだ5000人のスペイン人たち(エル・ムンドより)
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この投稿の元情報は、2005年5月8日付のスペインの日刊紙エル・ムンドに載った次の記事です。
http://www.elmundo.es/elmundo/2005/05/05/cultura/1115285102.html
Españoles en Mauthausen 『マウトハウゼンのスペイン人たち』
この一部を再掲します。(詳しくは上の投稿をご覧ください。)
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【前略、引用開始:エル・ムンド紙記事の和訳】
現在50名の共和主義者たちが生きているに過ぎない。パウ・ベルガラ【現在この収容所についてのドキュメンタリー・フィルムを作成中のスペイン人映画監督者:訳注】は、「鉄条網のはるか向こう、恐怖の記憶」ではあったのだが、そのうちの23名に合って話を聞き、わずかに13名が証言をしてくれただけだった。そして100時間を越える彼らとの会話が録音された。
「客観的な日付とデータばかりのドキュメントにはしたくはありませんでした。私の意図は話をしてくれる元収容者たちの声を視聴者に与えることでした。だから私は、このフィルムは人間性の歴史記録なのだ、と言うのです。」ベルガラはこのように強調する。マウトハゼンは絶滅収容所ではなかったにもかかわらず、収容者たちがやらねばならなかった労働の厳しさは、食料の不足も伴って、「過労によって」行われる絶滅収容所となっていた。彼はこう説明する。
証人の中に、唯一の女性であるアンへリネス・マルチネス、およびドイツ系ユダヤ人のシーグフィールド・メイァ(Siegfried Meir)がいる。メイァは最初両親と一緒にアウシュビッツに送られた。両親はそこで死亡したが、まだ子供だった彼は、マウトハゼンに移送された。
「そこで1年を過ごしました。そしてその間にスペイン人の共和主義者、サトゥルニノ・ナバソと知り合いました。私たちが解放されたときに私は彼に、私を一人にしないでくれ、と頼みました。そして彼は私を連れて出ました。私のような子供を背負っていくのは大変なことでした。私は生きるために盗みを働くことに慣れていたのです。」メイァは語った。彼は現在フォルメンテラ(Formentera)で事業を営んでいるが、ドイツには決して戻ろうとは思わなかった。「私はドイツにはアレルギーを持っています。言葉に対してすらです。これは体にしみこんでいます。」他の兵士たちとはやや異なった視点から語るこの男はこのように強調した。
【後略、引用終り】
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注目すべきは次の箇所です。
《証人の中に、唯一の女性であるアンへリネス・マルチネス、およびドイツ系ユダヤ人のシーグフィールド・メイァ(Siegfried Meir)がいる。メイァは最初両親と一緒にアウシュビッツに送られた。両親はそこで死亡したが、まだ子供だった彼は、マウトハウゼンに移送された。 「そこで1年を過ごしました。そしてその間にスペイン人の共和主義者、サトゥルニノ・ナバソと知り合いました。・・・・」》
(上記部分のスペイン語原文)
Entre los testimonios, el de la única mujer viva, Angelines Martínez, y el de un alemán judío, Siegfried Meir que fue enviado a Auschwitz con sus padres. Ellos murieron allí, pero Siegfried, que todavía era un niño, fue enviado a Mauthausen. "Pasé allí un año y durante ese tiempo conocí a un republicano español, Saturnino Navazo.
マウトハウゼン収容所が連合軍によって解放されたのが1945年5月8日で、アウシュビッツからメイァ少年がこの収容所に移送されてから1年間そこで過ごしたのですから、彼の移送は1944年の春ごろから夏ごろの期間、ということになります。
先ほどの資料の中で、
“Total number of Jewish prisoners transferred to other camps: 100,743”
『他の収容所へ転出させられたユダヤ人の総数、100,743人。』
さらに、1944年の3月に410名、4月に1927名、5月に7540名、6月には8109名のユダヤ人が、アウシュビッツから移送されたことが記録されています。この中の一人がシーグフィールド少年だったのかもしれません。この記録を見て新ためて感慨を深くしました。
そしてこれは以前にも申し上げたことなのですが、アウシュビッツがユダヤ人のための「絶滅収容所」なら、メイァの両親が亡くなった後(その死亡の原因は書かれていない)わざわざ彼をオーストリアのマウトハウゼンまで移送させる必要があったのでしょうか。
この証言は明らかに「絶滅収容所」を否定しているようです。このような「うっかり本当のことを書いてしまった」例はきっと他にも多くあるでしょう。
スペインだけではないのですが、欧州の新聞が「ガス室によるユダヤ人の絶滅計画」に対する疑いを表明することは厳重なタブー、国によっては刑法による犯罪です。さらにこの記事にあるマウトハウゼンの記録映画の製作は、「ホロコースト史観」を「教義」とする『マウトハウゼン収容者友の会』のお墨付きです。
「公式見解」ではマウトハウゼンでも「ガス室があった」とされていますが、このエル・ムンドの記事を読む限り、そこには「ガス室」は一言もかかれていないのです。また現在50名ほどいる生存者の中で記録映画のために会った人が25名で証言をしてくれたのがわずかに13名。「思い出したくない」という気持ちもあるでしょうが、『マウトハウゼン収容者友の会』によるある種の「緘口令」がひかれているのかもしれません。
そしてこの組織の会長を長年務めていた男が、実は真っ赤な偽物だった、ということまで発覚しています。まあ、そんなところでしょう。
(参照)
http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/215.html
『マウトハウゼン収容者友の会』の会長はでっち上げの偽物だった!(エル・ムンドより)
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/150.html
スペイン 強制収容所のヒーロー ペテンだった(ガーディアン)
************** 引用 終り ****************
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「公式見解」では“絶滅収容所ではない”マウトハウゼンにも「ガス室があった」とされています。この点は下の拙稿でも触れました。
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http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/105.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 5 月 09 日 22:21:16
マウトハウゼン収容所でも「ガス室」の大嘘?
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一部を引用します。
************* 引用 開始 *****************
なお、この強制収容所に関して、不勉強のために知識が無かったのですが、投稿した後で調べてみたところ、次に上げる記事に書かれていることが、この収容所の「公式な紹介」のようです。
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http://www.kk.iij4u.or.jp/~anne/info-mauthausen.htm
マウトハウゼン強制収容所
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これには以下のような記述があります。
『ドナウ川に面したマウトハウゼンは、元々オーストリア最大の花崗岩採掘場であった。ナチは採掘場のそばに収容所を建設、他にグーゼン、エーベンゼーなど大規模な衛星収容所を従え、オーストリアにおける強制収容所ネットワークの拠点になった。収容所内の強制労働、暴力などは他のものと比べても凄惨を極め、ガス殺も行われた。』
この「ガス室」については写真まで載せられているのですが、しかし私が昨日ご紹介したエル・ムンドの記事の中には「ガス室」に関する記述は一言もありませんでした。確かにそこでの強制労働が凄惨を究めたことに間違いはなく、7000名のスペイン人収容者のうち5000人が帰らぬ人となったのです。この記事を書いた記者は『「過労によって」行われる絶滅収容所(el campo el exterminio tuviera lugar "por agotamiento")となっていた』と書いているのですが、しかし「ガス殺」があったのならそれに少しは触れてもおかしくはないと思います。例えば「病気や怪我で役に立たなくなった者はガス殺された」とか何とか。
************** 引用 終り ****************
最後に、下の私の投稿でも書きましたが、
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http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/690.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 2 月 18 日 21:07:16:
よっぽど調査されたら困る事実があるらしい。「WTC崩壊」といっしょだね。
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「ホロコースト」の「有る無し」論争など、このように各地に残っている「ガス室」という物証を、徹底的にそして自由に科学調査すれば、一挙に解決する話です。なぜそれをしないのか(というよりも、させないのか)? きっとそんなことをされると困る人たちがいるのでしょう。
(こんなこと書くと、さっそく「モ印」が「ガス室」の壁にチクロンを塗りたてまくるかな?)