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(回答先: ドイツ軍のアウシュビッツに関する公式記録。ユダヤ病死者は、6万人。 投稿者 ブッシュ親子の自作自演テロの11 日時 2005 年 12 月 26 日 16:31:24)
アウシュビッツから移送されたユダヤ人10万人の中にあの少年も
「ブッシュ親子の自作自演テロの11」さんがご紹介の
http://tbrnews.org/Archives/a2037.htm#_ftn1
Official German Record of all Prisoners in Auschwitz Concentration Camp from May of 1940 through December of 1944
に目を通していて、ふと、一人のユダヤ人に関する記事を思い出しました。以前に阿修羅でご紹介した次の情報の中に出てくる、当時まだ少年だったドイツ系ユダヤ人のシーグフィールド・メイァ(Siegfried Meir)です。
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http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/123.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 5 月 09 日 02:38:27
ナチ収容所で死んだ5000人のスペイン人たち(エル・ムンドより)
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この投稿の元情報は、2005年5月8日付のスペインの日刊紙エル・ムンドに載った次の記事です。
http://www.elmundo.es/elmundo/2005/05/05/cultura/1115285102.html
Españoles en Mauthausen 『マウトハウゼンのスペイン人たち』
この一部を再掲します。(詳しくは上の投稿をご覧ください。)
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【前略、引用開始:エル・ムンド紙記事の和訳】
現在50名の共和主義者たちが生きているに過ぎない。パウ・ベルガラ【現在この収容所についてのドキュメンタリー・フィルムを作成中のスペイン人映画監督者:訳注】は、「鉄条網のはるか向こう、恐怖の記憶」ではあったのだが、そのうちの23名に合って話を聞き、わずかに13名が証言をしてくれただけだった。そして100時間を越える彼らとの会話が録音された。
「客観的な日付とデータばかりのドキュメントにはしたくはありませんでした。私の意図は話をしてくれる元収容者たちの声を視聴者に与えることでした。だから私は、このフィルムは人間性の歴史記録なのだ、と言うのです。」ベルガラはこのように強調する。マウタウゼンは絶滅収容所ではなかったにもかかわらず、収容者たちがやらねばならなかった労働の厳しさは、食料の不足も伴って、「過労によって」行われる絶滅収容所となっていた。彼はこう説明する。
証人の中に、唯一の女性であるアンへリネス・マルチネス、およびドイツ系ユダヤ人のシーグフィールド・メイァ(Siegfried Meir)がいる。メイァは最初両親と一緒にアウシュビッツに送られ、両親はそこで死亡したが、彼はまだ子供だったのでマウタウゼンに送ってこられた。
「そこで1年を過ごしました。そしてその間にスペイン人の共和主義者、サトゥルニノ・ナバソと知り合いました。私たちが解放されたときに私は彼に、私を一人にしないでくれ、と頼みました。そして彼は私を連れて出ました。私のような子供を背負っていくのは大変なことでした。私は生きるために盗みを働くことに慣れていたのです。」メイァは語った。彼は現在フォルメンテラ(Formentera)で事業を営んでいるが、ドイツには決して戻ろうとは思わなかった。「私はドイツにはアレルギーを持っています。言葉に対してすらです。これは体にしみこんでいます。」他の兵士たちとはやや異なった視点から語るこの男はこのように強調した。
【後略、引用終り】
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注目すべきは次の箇所です。
『証人の中に、唯一の女性であるアンへリネス・マルチネス、およびドイツ系ユダヤ人のシーグフィールド・メイァ(Siegfried Meir)がいる。メイァは最初両親と一緒にアウシュビッツに送られ、両親はそこで死亡したが、彼はまだ子供だったのでマウタウゼンに送ってこられた。
「そこで1年を過ごしました。そしてその間にスペイン人の共和主義者、サトゥルニノ・ナバソと知り合いました。・・・・」』
(上記部分のスペイン語原文)
Entre los testimonios, el de la única mujer viva, Angelines Martínez, y el de un alemán judío, Siegfried Meir que fue enviado a Auschwitz con sus padres. Ellos murieron allí, pero Siegfried, que todavía era un niño, fue enviado a Mauthausen.
"Pasé allí un año y durante ese tiempo conocí a un republicano español, Saturnino Navazo.
マウトハウゼン収容所が連合軍によって解放されたのが1945年5月8日で、アウシュビッツからメイァ少年がこの収容所に移送されてから1年間そこで過ごしたのですから、彼の移送は1944年の春ごろから夏ごろの期間、ということになります。
先ほどの資料の中で、
“Total number of Jewish prisoners transferred to other camps: 100,743”
さらに、1944年の3月24日という日付で3名のユダヤ人がアウシュビッツから移送されたことが記録されています。この3人の中の一人がシーグフィールド・メイァだったのかもしれません。この記録を見て新ためて感慨を深くしました。
そしてこれは以前にも申し上げたことなのですが、アウシュビッツがユダヤ人のための「絶滅収容所」なら、メイァの両親が亡くなった後(その死亡の原因は書かれていない)わざわざ彼をオーストリアのマウトハウゼンまで移送させる必要があったのでしょうか。
この証言は明らかに「絶滅収容所」を否定してるようです。このような「うっかり本当のことを書いてしまった」例はきっと他にも多くあるでしょう。
スペインだけではないのですが、欧州の新聞が「ガス室によるユダヤ人の絶滅計画」に対する疑いを表明することは厳重なタブー、国によっては刑法による犯罪です。さらにこの記事にあるマウトハウゼンの記録映画の製作は、「ホロコースト史観」を「教義」とする『マウトハウゼン収容者友の会』のお墨付きです。
「公式見解」ではマウトハウゼンでも「ガス室があった」とされていますが、このエル・ムンドの記事を読む限り、そこには「ガス室」は一言もかかれていないのです。また現在50名ほどいる生存者の中で記録映画のために会った人が25名で証言をしてくれたのがわずかに13名。「思い出したくない」という気持ちもあるでしょうが、『マウトハウゼン収容者友の会』によるある種の「緘口令」がひかれているのかもしれません。
そしてこの組織の会長を長年務めていた男が、実は真っ赤な偽物だった、ということまで発覚しています。まあ、そんなところでしょう。
(参照)
http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/215.html
『マウトハウゼン収容者友の会』の会長はでっち上げの偽物だった!(エル・ムンドより)
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/150.html
スペイン 強制収容所のヒーロー ペテンだった(ガーディアン)