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ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(4)嘘で世界を操る野郎ども
この文章は下記の投稿に続くものです。
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http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html
ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(1)ユダヤ・ファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキー
http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/389.html
ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(2)ゾンビどもの跳梁
http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/393.html
ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(3)『負け馬に賭けた』?
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ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで
(4)嘘で世界を操る野郎ども
●理屈と膏薬はどこにでも貼り付くが「果実」はその本質を裏切ることは無い。悪党どもがどれほどの言辞を弄して飾り立てようと、それが「果」を実らせるための政治プロパガンダである以上、彼らの語る言葉や著述の表現などは、すべて彼らの「果実」に向けられてのみ理解されなければならない。
人間は平気で意図して嘘を付く存在である。「悪の果実」を作る者は騙すことだけを目的にした発言をする。「この人はこうも言ってる、ああも言ってる」ではなく、「コイツが実現させたことが実際にこれだからこの言葉はこんな意味だ」ということなのだ。
「嘘」を血肉化させた悪党は数多く生きているが、その中の一人、米国シオニスト・ユダヤとイスラエルのエージェント、ネオコンの悪徳詐欺師であり、同時にイタリア・フリーメーソンP2ロッジ幹部であるマイケル・レディーン(Michael Ledeen)に注目してみよう。この人物の言動が、ウラジミール・ジャボチンスキーのユダヤ・ファシズムの理想を現在の世界で結実させつつある勢力の本当の姿を、象徴的に表現していると思うからである。
●先日の私は阿修羅に次のような投稿をした。
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http://asyura2.com/0505/bd41/msg/826.html
「ニジェール・ウラン偽文書と捏造しすぎた男」【和訳】:ネオ・ファシズムの尻尾?
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これはインターネット新聞Daily Kosに寄せられた『Niger Yellowcake and The Man Who Forged Too Much』(by Pen Fri Jul 22, 2005 at 05:56:03 AM PDT)を翻訳したものだが、その一部を再掲する。(ぜひとも上記阿修羅投稿で全文をご参照いただきたい。)
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http://pen.dailykos.com/story/2005/7/22/7563/12283
「ニジェール・ウラン偽文書と捏造しすぎた男」【和訳】:ネオ・ファシズムの尻尾?
【前略、引用開始】
1984年にさかのぼるが、Michael Ledeenはイランに対する武器の違法な販売を行うというManucher Ghorbanifarのアイデアを実行に移した。CIAの作戦部長補佐官(Deputy Director for Operations)であるClair GeorgeはGhorbanifarを全く信用が置けないと考えた。彼はGhorbanifarがモサドのダブルスパイであってイスラエルの治安だけを優先させていると感じたのだ。しかしジョージ・ブッシュSr.は、ロナルド・レーガンを当選させた悪名高い「10月の驚き(October Surprise)」に先立って、パリにいたGhorbanifarと関係を持っていたのだが、Ledeenに同意し、こうしてGhorbanifarはイラン・コントラ事件として知られるようになった事柄の中心人物となったのである。実際に、オリバー・ノースはコントラに資金を振り向けるように1986年の1月にGhorbanifarと会った際に提案されたと証言した。
【中略】
1:この会合【注釈:米国をイラク戦争に引きずり出すための、具体的にはニジェールの偽ウラン文書を捏造するための会合】にいた二人の米国人は
(a) 特別計画室(Office of Special Plans)のメンバーであり、Michael Ledeenの舎弟、そして政府とAhmed Chalabiのつなぎ役であったHarold Rhode。(b) 特別計画室の元メンバーであるLarry Franklin。彼はAIPAC組織を通してイスラエルに機密を横流ししたとしてFBIに逮捕された
2:そこにいた2名のイタリア人は
(a) SISMI(イタリア諜報機関)チーフのNicolo Pollari。(b)イタリア国防長官Antonio Martino。
3:会合はローマにて2001年12月のことであった。
Newsweekが我々に伝えていないことは、最初の会合に第3の米国人が出席していたことであり、そしてその男がその会合をお膳立てしたのであった。Michael Ledeenである。
【中略】
Rocco Martino、Michael Ledeen、Francesco Pazienza、Silvio BerlusconiおよびNicolo Pollariは全員がP2のメンバーである。P2はSISMIのエージェントを雇い入れてそれと並行して存在する諜報機関として活動してきていることがわかっている。PollariはAbu Omarの誘拐を承認した。この誘拐はRobert Ladyの協力を得たと言われている。ある未だ知られていないSISMIエージェントがMartinoと接触し、彼にニジェールの文書を渡すことのできる"lady"と接触させた。ニジェール大使館は盗みに入られた。この正体不明のSISMIエージェントは"lady"に、偽造した文書と一緒に本物のニジェールの書類を渡した。この"lady"はそれをMartinoに渡した。
【中略】
Michael Ledeenは国家安全保障ユダヤ人協会the Jewish Institute for National Security Affairs (JINSA)の発起人の一人である。彼はAIPACのシンクタンクであるthe American Enterprise Institute (AEI)に出入り自由の特権を持っている。彼はイランの民主連合の共同発起人である。1980年にさかのぼれば、CIAはLedeenをイスラエルの重要なエージェントと格付けしていたと言われる。LedeenはKarl Roveの主要な外交政策アドバイザーである。Ledeensの主な妄想はイランを倒すことであるように見える。
1972年に彼はUniversal Fascismという本を出した。その中で彼は「ファシストの目的の正しさ」について詳しく述べている。Universal Fascismの中で、Ledeenは最初に、ファシズムが「20世紀革命」であったこと、そして「人々は本当のこと、つまりファシズムにあこがれる」という彼の主張を打ち立てる。それはファシズム革命の青写真なのだ。
1980年に彼は、"BillyGate" 事件でSISMI とP2のFrancesco Pazienzaに協力した。【訳注:"BillyGate" 事件:70年代の終盤にジミー・カーターの弟ビリーが、自分の経営するビール会社の製品をリビアで売ろうとしてリビア政府から経済的な計らいを受けた、とされた事件で、イランの米国大使館人質事件とともにカーター再選の障害物になった。これには「ユダヤが仕掛けた」という説がある。】これは、最近イタリアの影の諜報機関に所属していることが明らかになったPazienzeと同一人物である。1985年にPazienzeは政治的な操作、偽造、そしてテロリストを匿ったことで有罪とされた。Ledeenは裁判資料の中でSISMIのエージェントとして身元を明らかにされている。
ペンタゴンは1980年代の半ばにLedeenの機密事項認可をSCI最高機密から普通の機密に格下げした。それはLedeenが禁輸品目をある外国に、イスラエルだと信じられているが、横流ししていることをFBIが調べ始めた後のことである。
2001年にLedeenは特別計画室と契約する仕事をするためにFeithに雇われた。
イスラエルのスパイであるJonathon Pollardに海軍で仕事をさせたのはLedeenである。
イラン・コントラ事件で、モサドのダブル・スパイManucher Ghorbanifarを使うように言い張ったのはLedeenである。
2001年の12月1日にローマでRhodesとFranklinとGhorbanifarの会合をお膳立てしたのはLedeenである。
2001年12月12日に、米国大使SemblerはLedeenおよびイタリア国防長官Antonio Martinoと私的に昼食を共にした。LedeenとMartinoは、彼らが共に出席するGhorbanifarとの次の会合について話し合った。その秘密会合で二つのCIA「でっち上げ情報」の受け渡しが行われたことに深い関心を持ったSemblerは、それをすぐにホワイトハウスに、特にStephen Hadleyに知らせるように、CIAに連絡した。Hadley はLedeenとその協力者にGhorbanifarから離れるように命じた。しかしその命令は無視され、GhorbanifarとRhodeの間の連絡は2003年の2回目の会合に至るまで続いた。
【後略、引用終り】
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このレディーンを中心に捏造された「ニジェール・イエローケーキ」だけではなく、数々の嘘がイラク戦争の「理由」とされたことは記憶に新しい。9・11でも先ごろのロンドン7・7でも、我々は嘘と隠蔽によって『新たな歴史』が作られる現場を目撃している。嘘と隠蔽による重大事件によって世界が揺り動かされる歴史は1898年のメイン号事件以来散々に繰り返されてきた。『公式の歴史』では「嘘は無かった」ことになっている。要はその『公式の歴史』が嘘によって編修されている、ということだろう。そこに巧妙に隠されているのはあるエリート集団の「世界支配へ向けての意図」である。
このマイケル・レディーンという男も嘘のために生まれてきたような奴とみえる。その知性は、嘘をつき新たな嘘で嘘を覆い隠すために、常に研ぎ澄まされている。これはネオコンやシオニスト中枢にいる連中の最大の特徴でもあろう。彼らの脳の中は虚数空間ならぬ「嘘数空間」であり本心から嘘をつく。嘘発見器などは効かないのではないか。
もちろんレディーン一人が《イスラエル》−《イタリア》−《米国(ネオコン・シオニスト)》を結び付ける人物であるはずが無い。彼も一人の「スター」に過ぎまい。しかしこのような人物を追うことによって、その背後にあるものの全体像を推測していくことができるはずである。
●ここでやはりWikipediaを覗いてみることにしたい。表面ヅラではあるがこの人物の略歴が分かる。『Michael Ledeen』の項目を概訳してみよう。
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http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Ledeen
マイケル・レディーン(1941年8月1日生まれ)はアメリカン・エンタープライズ研究所【訳注:正式名はThe American Enterprise Institute for Public Policy Research:ヘリティッジ・ファウンデーションとともにブッシュ政権を支えるネオ・ファシスト系シンクタンクで1943年に設立】の研究員である。彼の政治的理想、歴史観と哲学はイラク戦争に向かうブッシュ政権に影響を与えた。彼はNational ReviewとJewish World Reviewの編集人の一人であり、国家安全保障ユダヤ人協会The Jewish Institute for National Security Affairs (JINSA)の発起人、および相談役の一人でもある。同時に米国ネオコンサーヴァティヴと多くの人から見なされている。
レディーンはウイスコンシン大学で哲学博士号を取得、ドイツとイタリアのファシズム史を比較研究した。レディーンの初期の指導者の一人にドイツ生まれのジョージ・モッセがいた。もう一人イタリアの歴史家レンツォ・デ・フェリーチェが彼に影響を与えた。【訳注:George Mosse(1918-1999)とRenzo De Felice(1929-996)については後述】レディーンの政治思想は「集中化された国家権力に対する戦いの緊急性、および人間の自由を中心とすること」を強調する堅固にアンチ・ファシスト的なものであり、これがブッシュ政権に影響を与えたと言われる。
レディーンはロナルド・レーガン政権最大の外交スキャンダルの中で中心的な人物となった。いわゆるイランコントラ事件である。【訳注:これに関しては前述の記事にもあるし、また後で詳しく触れることになる。】彼はまたヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件がブルガリアの秘密諜報機関の陰謀であると語ったが、後に否定された。
中東地域での政権転換に関して、レディーンは2002年に国防顧問のスコウクラフトに反論して、「対テロ戦争」を主張した。2002年9月に「The War Against the Terror Masters」を出版。
レディーンは1972年に「ユニバーサル・ファシズム(Universal Fascism)」「国際ファシズムの理論と実践1928-1936(The Theory and Practice of the Fascist International, 1928-1936)」を出版したが、いまは絶版となっている。レディーンは革命的な「ファシスト運動」と失敗した「ファシズム政権」を区別し、イタリア・ファシズムを批判した。
2003年には、「我々はテロに対する戦争を中東の範囲を超えて西欧の中心部にまで持ち込まなければならない。そこでは中東と同様に、我々の最大の武器は政治的なものである。つまり我々に反対する国々にいる人々の自由への願望の提示である。」と書いた。
レディーンはイランの政権転覆を唱え、イランがイラクの抵抗勢力の背後にいてアル・ザルカウイのアルカイダ・ネットワークをも支えていると主張する。
ニジェール・イエローケーキ捏造【訳注:これは前述の投稿に詳しいので省略する】
【後略、概訳終り】
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レディーンが属するアメリカン・エンタープライズ研究所はムッソリーニ政権が崩壊した1943年に設立された。このことは我々に重大な示唆を与えてくれる。ファシズム運動の中心がイタリアから米国に移ったように思えるのだ。以後この機関はヘリティッジ・ファウンデーションと共に米国による中南米侵略・支配の中枢機関となり、また「対テロ世界戦争」やユーラシア各国の軍事・非軍事クーデターを通して「世界の自由化・民主化」を推進する中心的な役割を果している。
それにしてもWikipediaもよく言うよ。『レディーンの政治思想は「集中化された国家権力に対する戦いの緊急性、および人間の自由を中心とすること」を強調する堅固にアンチ・ファシスト的なものであり、これがブッシュ政権に影響を与えたと言われる。』だってサ。嘘つき野郎の屁理屈をそのマンマ宣伝している。「張り付いた膏薬」でしかモノを考えないような人間はコロリと言わされるのだろうな。
●ここまで来ると、どうしてもリンドン・ラルーシュJr.と彼が主催する運動に登場してもらわなければならない。彼らの主張がすべての面に渡って当を得ているかどうかはともかく、第2次大戦後から現在までの欧米権力者集団による嘘と謀略を調査し告発し警告を発している最大のグループだからである。彼らは世界のファシズム化を策謀するこの権力者集団の動きを「シナーキズム(synarchism)」という用語で標記している。
ラルーシュ運動のサイトの一つであるExecutive Intelligence Reviewの中から、2003年7月11日に寄稿されたScott Thompsonによる『シナーキズム−ナチ/共産主義:マイケル・レディーンはイランの「政権転覆」を要求(’SYNARCHISM-NAZI/COMMUNISM' Michael Ledeen Demands `Regime Change' in Iran)』という論文の一部を翻訳しよう。
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Executive Intelligence Review
http://www.larouchepub.com/other/2003/3027ledeen_iran.html
SYNARCHISM-NAZI/COMMUNISM'
Michael Ledeen Demands `Regime Change' in Iran
by Scott Thompson
【前略、翻訳開始】
レディーンの「シナーキスト」のルーツ
レディーンの生涯に最初の重要なインパクトを与えたのはドイツ系ユダヤ人移民のジョージ・モッセ(George Mosse)だった。彼はあのナチのリーダーであるヨーゼフ・ゲッペルス(Joseph Goebbels)やヘルマン・ゲーリング(Herman Goering)と良い仲であった。モッセはゲーリングが彼の父親を「アーリアン」であるとするほどに親密であり、家族は法律が変わる15分前にドイツを離れることを許された。
ケンブリッジで学んだモッセは、ウイスコンシン大学でレディーンの教官となるのだが、ファシズムが、アンチ・セミティズムによる「悪用」であったのだが、科学的に研究されるべきであると彼に教えた。なぜなら西側諸国のガイスト(精神)が窒息しておりファシズムかナチズムを通してのみ再生させることができるから、というのである。レディーンはその大学の哲学科で働いているときに、ウラジミール・ゼエヴ・ジャボチンスキー(Vladimir Ze'ev Jabotinsky)と結びつくイスラエル諜報部関連の運動の支部――それはモッセの影響下にあった――に参加していたことで排斥された、と言われる。このジャボチンスキーはイスラエルの指導者ダヴィッド・ベン・グリオン(David Ben Gurion)が『ウラジミール・ヒトラー』と呼んだ男なのだ。
レディーンが後の大統領府対外諜報顧問委員会(Presidential Foreign Intelligence Advisory Board)メンバーであるデイヴィッド・アブシャイァ(David Abshire)に紹介されたのはモッセを通してであった。この男は戦略国際研究センター(CSIS;the Center for Strategic and International Studies)の創設者であり、レディーンを政治情報参謀として雇った。
しかしむしろもっと重要なレディーンの師匠はレンツォ・デ・フェリーチェ(Renzo de Felice)であった。彼は、最初の近代ファシストであるナポレオン・ボナパルトの登場を導いたフランスのジャコバン革命の擁護者であった。デ・フェリーチェは、『イルミナティと革命的神秘主義1789-1900(The Illuminati and Revolutionary Mysticism, 1789-1900)』を書いた際に、自分のファシズムを隠さなかった。「私のジャコバン主義とある種のファシズムとの間には共通の何かがある。・・・・文明の歴史の新たな面に向かって・・・・ファシズムは社会と個人の変革の達成を求めた。」
1966年と1967年のイタリアで研究したレディーンは、そこで文明戦争の「魔法使いたち」であるヴェネチアの寡頭政治支配者たちの子孫に会ったのだが、その後『普遍的ファシズム(Universal Fascism)(1972)』、Journal of Contemporary History(July 1969)の記事『イタリア・ファシズムと青年(Italian Fascism and Youth)』、アーヴィング・ルイス・ホロヴィッツ(Irving Louis Horowitz)編集のThe Use and Abuse of Social Scienceの記事『ファシストの社会政策(Fascist Social Policy)』を書き、そしてその他にレンツォ・デ・フェリーチェ著でレディーンによるインタビューを含む『ファシズム、その論理と実践への非公式な招待(Fascism, An Informal Introduction to Its Theory and Practice)』を出版した。
レディーンは拘束の無いジャコバン・スタイルのファシズムを好んだ。1900年代初期のガブリエレ・ダヌンツィオ(Gabrielle D'Annunzio)のそれのようなものである。1972年の『普遍的ファシズム』で、レディーンはベニト・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を、あまりにも厳格である、として非難した。「彼は決してイタリア人に十分な信頼を置かずファシズムへの純真な参加を人々に許さなかった。」
レディーンの犯罪暦
レディーンは、過去20年を通して、いくつかの最も浅ましい犯罪に関与してきている。政府高官たちや諜報機関員たち、そして私的な「シナーキスト」ネットワークと共謀しながら。
イランゲート:
レディーンが今日イランの「政権転覆」を呼びかけているのは特に皮肉なことである。彼が1980年代を通してイランの政権と手を結んでの民主化計画の秘密作戦で主犯の一人となっていたからである。彼はフランスに住むイラン人マヌチャル・ゴールバニファル(Manuchar Ghorbanifar)と密接につながって働いたが、イスラエルの政治諜報エージェントであるダヴィッド・キムチェエ(David Kimchee)がレディーンにこの男を紹介したのである。レディーンは1985年10月8日にゴールバニファルを国家安全保障委員会補佐官のオリヴァー・ノース(Oliver North)とのミーティングに連れて行った。その場にはイスラエルの武器商人ヤアコヴ・ニモルディ(Ya'acov Nimrodi)も出席していたが、この男はノースの「エンタープライズ」の中で重要人物だった。レディーンはこの件で1985年中ひんぱんにノースと会った。CIAがゴールバニファルを信頼が置けないとしているにも関わらず、である。500基のTOWミサイルがイランに輸送されたのはゴールバニファルを通してである。続いて19基のホークSAMミサイルもである。その見返りとしてレバノンでテロリストによって捕縛されていた米国人人質が解放された。これがイラン・コントラ事件の中心をなす『武器と人質の交換』取引であった。イランに行った武器は、米国の武器庫から、あるいはイスラエルの巨大兵器産業から、直接にやってきた。これにはイスラエル政府のトップの高官も関わっていた。
レディーンは、単にイランに対する「調査計画」に関わっただけだ、と主張し続けた。これは「たまたま偶然」に「行動計画」に変更された、というわけである。しかしながらこの時期の間中、CIAの計画補佐官テオドール・シャックリィ(Theodor Shackley)とともにEATSCO【訳注:the Egyptian American Transport and Services Corporation】という企業を利用して、彼は関与し続けたのである。なおこのシャックリィはイラン・コントラ人脈のもう一人の中心人物なのだ。
イタリアのプロパガンダ2(P2)ロッジ:
大西洋両岸からの数え切れないほどの情報源によると、CSISでキッシンジャー(Kissinger)とアレクサンダー・ヘイグ(Alexander Haig)の下で働きながら、レディーンはプロパガンダ・デュウ(P2、Propaganda Due)ロッジのメンバーになっていた。そこは1981年5月20日に白日の下に曝されることとなった。この暴露が起こったのは、メフメット・アリ・アグカ(Mehmet Ali Agca)による教皇ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件のちょうど7日後のことである。この事件にP2ロッジが関与していたと考えられたのである。P2が明るみに出されたことによって、47名のイタリア陸軍の将軍と6名の海軍指揮官が辞任せざるを得なかった。同時にブリュッセルのNATO本部で働く海軍の高官ブルーノ・ジ・ファビオ(Bruno di Fabio)が名指しされたのだが、彼のデスクを通してあらゆるNATO加盟国の秘密諜報機関の報告が受け渡されていたのである。この秘密組織のメンバーであることが明らかにされた他の著名なイタリア人たちは、軍の最高スタッフ、ジォバンニ・トリッシ(Giovanni Torriss)、秘密諜報機関の協力団体の責任者ワルター・ペロッシ(Walter Pelosi)、軍諜報機関(SISMI)の責任者ジゥセッペ・サントヴィト(Giuseppe Santovito)、文民諜報機関(SISDE)の責任者ジゥリアーノ・グラッシーニ(Giuliano Grassini)であった。彼らは地位を失い、また彼らがレディーンの親密な付き合いの中に含まれていたことが明らかにされた。P2ロッジのグランド・マスターであるリチオ・ジェッリ自身について言えば、彼は完璧な「シナーキスト」であり、レディーンなら「普遍的ファシスト(universal Fascist)」と呼んだかも知れないが、ナチSSの連絡将校であり、少なくとも1956年まではソヴィエトのエージェントでもあった。
「神殿の丘」謀略
レディーンと彼の妻バーバラは、イスラム教徒にとって第3の聖地であるエルサレムのアル・ハラーム・アル・シャリフ(アラビア語で「神殿の丘"Temple Mount"」)の上に、ソロモン第3神殿を再建する『ハルマゲドン・プロジェクト』に参加し続けている。聖なる岩のドームの上にあるアル・アクサ・モスクの破壊計画は、中東での止めることが不可能な戦争を勃発させるかもしれない。バーバラ・レディーンは最近まで「聖書考古学誌(Biblical Archeology Review)の編集幹部を務めていた。この雑誌は、英国フリメーソンリーのthe Quatuor Cornati ("Four Crowns")とともに、その第3神殿が置かれるべき場所を決定する中心的な役割を果している。
【以上、訳出、終了】
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●この論文のイラン・コントラ事件に関する部分に出てくるイラン人マヌチャル・ゴールバニファルやフリーメーソンP2ロッジに関しては、最初にご紹介した私の阿修羅投稿にも書かれている。さらにP2はオプス・デイとも深く関わると言われ(というかオプス・デイがP2の宗教部門といっても良いほどの関係)、当然だがバチカンの中枢とつながる。SISMIだけではなくCIA、モサド、MI6とも強く連結されているのは言うまでも無い。
(参照)
http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/1006.html
「使命」を終えたヨハネ・パウロ2世;『バチカン=オプス・デイ=CIA』軸への考察
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/444.html
超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ
そしてその人脈の中にユダヤ・ファシストの直系マイケル・レディーンが顔を見せる。
さてさて、イタリア半島には余程とんでもない妖怪が住み付いているようだ。前回「(3)『負け馬に賭けた』?」で、私は、ムッソリーニは『負け馬の皮』ではなかったのか、と申し上げた。脱いだ『皮』は投げ捨てて野良犬どもが食いちぎるに任せれば良い。『本体』はとうに先のほうを走っているのである。レディーンがファシズムを称揚してムッソリーニをけなしたのは、『本体』に属する者として当然のことだろう。ちょうどレオ・シュトラウスがヒトラーのナチズムをけなしてネオコン主義の元祖となったように、である。彼らも先を行く『本体』に属する者たちに違いあるまい。
ヒトラーも東条もしょせんは『本体』に投げ捨てられた『負け馬の皮』だが、それを未だに唸り声を上げながら噛み付き食いちぎるのに余念の無い人たちや、逆に後生大事に守ろうとする人たちが跡を絶たないようだ。どっちもご苦労さんなことで!
●ところでユダヤ・ファシストの元祖ウラジミール(ゼエヴ)・ジャボチンスキーはこの「妖怪の郷」イタリア半島で一体何に出会ったのか。
マイケル・レディーンの師匠の一人ジョージ・モッセは、『ファシズムが、アンチ・セミティズムによる「悪用」であったのだが、科学的に研究されるべきである』と彼に教えたようだが、要は「アンチ・セミティズムでなければ良い」というわけだ。このモッセの論調がジャボチンスキーの運動から直結していることは火を見るより明らかだろうし、その論法はレオ・シュトラウスの屁理屈と極めて類似している。
また、現在の欧州で「ホロコースト」を使って「アンチ・セミティスト」レッテル貼りキャンペーンを展開するシオニストどもが現代のイタリア・ネオファシストと肝胆相照らす仲であるのも、この観点からすれば当然と言える。
またもう一人の師匠レンツォ・デ・フェリーチェは第2次大戦後にイタリア共産党に属していたようだが(後に脱退)、彼がP2とどんな関係を持っていたのかは不明だ。しかし彼の視点は明らかに『本体』のものだろう。彼はファシズムの根源を啓蒙主義(Enlightenment:「(理性の?)光を当てること」の意味で、イルミナティIlluminatiを連想させる)以来の中産階級(ブルジョアジー)のイデオロギーであると見なし、中産階級の独自のパワーを発揮させる断固たる運動である、と考えていたようだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Renzo_De_Felice
Renzo De Felice
ひょっとすると同様の主張はフェリーチェよりもはるか以前から存在しており、ゼエヴ・ジャボチンスキーが惚れ込んだのもそのようなものではなかったのだろうか。これは憶測に過ぎないのだが、現在の欧米のネオファシストども――間違いなくシオニストやネオコンと同根(ラルーシュ流に言えば全部併せて「シナーキスト」となるか)――がたくらんでいる彼らなりの「革命(=ワンワールド・オーダーの実現)」について考えるときに、非常に示唆的である。ジャボチンスキーがその根っ子の一つになっていることが明らかだからである。
●次回は再びこのユダヤ・ファシズムが現在の世界でどのように姿を現しているのか、について、いくつかの異なった視点を持つ文章を通して、このジャボチンスキー以来の系譜を見つめなおしてみたい。