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(回答先: 加藤哲郎先生(一橋大学)のホームペイジより 投稿者 はてな? 日時 2005 年 7 月 19 日 21:45:20)
>1936−45年に、ユダヤ人や反ナチ活動家20万人を収容していた、ホロコースト遺跡です。その入口の標語は、アウシュヴィッツもブーヘンヴァルトも同じで、「ARBEIT MACHT FREI」(労働は自由にする)でした。「労働を通じての人間の自由」──それが死に至る館に掲げられたのは皮肉ですが、ナチスの正式党名は国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)、「労働」は柱の一つでした。事実、ナチ時代のドイツ経済はワイマール期を上回る成長を見せて、後に「ナチズムの近代化効果」という問題になります。ナチスと敵対し、「プロレタリア独裁」を掲げた旧ソ連も同じでした。「労働者こそ主人公」とされ、「労働英雄」をつくるスタハーノフ運動や「土曜労働」奨励、さらには「人民の敵」を鉄道・運河建設に強制動員する「収容所列島」が集権的計画経済にビルトインされていました。猿が人間になるにあたっては「労働の役割」こそ決定的だった、資本主義の「疎外された労働」は社会主義では克服され「労働が喜びになる」というイデオロギーをも伴って。ザクセンハウゼン収容所は、戦後も存続されました。1945年から50年まで、ここは、ソ連軍に占領された旧東独地区であったため、ナチスのユダヤ人収容所が、そのまま旧ソ連に反対したり社会主義・共産主義の批判をした約6万人の「政治犯」を収容し、1万2千人の命を奪ったのです。入口の「ARBEIT MACHT FREI」は、そのまま掲げ続けられました。
この文章を見る限りでは、強制労働だけが肯定されており、ガス室肯定の文はないようですが・・「ユダヤ人や反ナチ活動家」と書いているので、ホロコースト肯定派とも思えません。