★阿修羅♪ > マスコミ批評1 > 723.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 岩波新書「NHK」の著者、松田浩・元立命館大教授、「NHK再生のために(上)」を語る(しんぶん赤旗) 投稿者 gataro 日時 2005 年 10 月 22 日 19:50:08)
テレビはNHK、民法を含めすべてだめですね。
ダメというのは政治的な報道に対してです。他もダメだが政治が特にだめ!
真実を伝えようとする誠意がない、熱意がない、何もない。
この様なテレビの体質をまともな物に再生させることができるのか。
再生できると思って期待すると、また痛い目を遭うかも。
真実を報道すべき映像の目は、政府側には瞳孔が開きっぱなしですもの。
既に死んでます。
死人に口なし。
画面から出る映像は冥府(政府)からの垂れ流しと考えた方が安全かも
NHKもな〜
今朝(10/22)NHKの8:30のニュース番組で、
イラクでサダム・フセインの裁判が始まったとのニュースの紹介がありました。
サダムが白い囲いの中に入っていた映像と、サダムの落ち着きのない目の動きが
アップで流されていましたが、これもサダムの惨めな姿をさらすための映像で、
どこぞの国からのものでしょう。
しかし、私が驚いたのはその直後に流された映像です。
阿修羅の皆さんはテレビをあまり見ないかも知れませんが、
イラク戦争開始前後に、テレビで流され続けた映像が流れたのです。
思い出せる人はピンと来るのですが、
サダムが、ライフルらしき物を空に向けてぶっ放す映像と、
サダムが大剣を鞘から出して納める映像です。
それらは、まともでない人物、独裁者をイメージさせる映像です
この映像を私が何故憶えているかというと、イラク戦争直前、
私はテレビ朝日の「スーパーモーニング」と言う番組をよく見ていました。
(現在は正体が見えてしまって、くだらないので見ていません)
その時、繰り返し、繰り返し流された映像がこれなのです。
当時の私でさえ、テレビ朝日ともあろう者がサダムの映像は
これしかないのだろうかと疑問に思った程でした。
今はその意味が分かります。
イラク戦争直前にサダムフセイン=悪い奴、変質者、独裁者の
イメージを私達に植え付ける為の映像だったのです。
テレビ朝日の悪質なところは、声の吹き替えにもサダムや金正日の時には、
重々しい、如何にも裏がある悪人らしき声を使うのです。
もちろんブッシュの時には、普通の声で吹き替えをやるのにです。
NHKもサダムに関して本当にこの映像しかもっていないのか?
NHKがサダムの裁判が始まる時に何故またこの映像を使うのか。
イラク戦争の間違いがこれほど明らかになっているにもかかわらず、
この種の映像を流すNHKはもう既に死んでいる。
(香典ならいざしらず、受信料などとはおこがましい)
イラク戦争の意味、自分の為ならどんな汚いこともやるアメリカ、
それについて行くしか脳のない小泉、それらを検証し直す視点が全くない。
それが今朝の映像から分かりました。
今、思い出したのですが、メディアが如何に真実を伝えないかと言うことで
こんな事もありました。
昔、アメリカがパナマを侵略した時に、ノリエガの住居に
PLAYBOYなど無数のポルノが散乱していたとの記事を何かでを読んだことがあります。
またサダムが穴蔵で捕まった時には(本当は違うらしいが)
「罪と罰」があったとテレビで言っていました。
嘘に決まってるだろう! こんなもん。
ノリエガにしてもサダムにしても善人だとは言わないが、
人を誘導する様な記事や映像を流すな!
アメリカの言うことをまともに検証せず垂れ流すマズゴミ。
こやつら、よくもまあ−、嘘を垂れ流して平然としていられるのだろう。
しかも、尻を拭かない。
「マズゴミを期待はしない、信じない、、見ない、読まない、かまわない」と
ここまで徹底すれば、精神の桃源郷が出現すると思います。
しかし、現代社会に仙人では住みにくいので
「期待しない、信じない」程度でで浮き世を渡りましょうか。
キーボードが滑ってしまったのでついでに。
マズゴミの言葉遣いに注意してみませんか。
日頃、ネット上で素晴らしい意見を述べている人が,マズゴミ用語の
「小泉劇場」、「小泉チルドレン」、「勝ち組 負け組」などの言葉を
平気で使っているのを見るとため息が出てしまいます。
さすがに、阿修羅にはその様な人は余り見ませんが。
マズゴミ言葉を使っていては、どのような鋭い分析も、
所詮マズゴミの掌の上で踊っている可能性があります。
マズゴミの言葉には、ある種の意味が隠されていて
その言葉を批判的に使用しても、その言葉を使えば使うほど
隠された意味を刷り込まれることがあるのではないかと言う気がします。
例えば「勝ち組 負け組」
この言葉の実質的意味は、「金持ちと、貧乏人」でしょう?
(もともとの使われ方は違うらしいが)
この言葉は、現実感の回避として使われていないでしょうか。(社会的不公平感の緩和)
「あなたは勝ち組だと思いますか? それとも負け組だと思いますか?」
「あなたは金持ちだと思いますか? それとも貧乏人だと思いますか?」
どちらの質問がグッときますかね。
テレビのコメンテータが「勝ち組、負け組がはっきり分かれる」などと、訳知り顔で
宣うと、正直嫌になってしまう。自分自身は一体何組?
自分が勝ち組だと思っているくせに、正義の味方ずらして負け組について
同情的コメントをする。
上から下を見下しているのにそれに気づかない鈍感さ。
しかし、上の文を金持ちと貧乏人に置き換えたらどうか。
テレビのコメンテータが「金持ち、貧乏人がはっきり分かれる」などと、訳知り顔で
宣うと、正直嫌になってしまう。自分自身は一体どちら?
自分が金持ちだと思っているくせに、正義の味方ずらして貧乏人について
同情的にコメントをする。
上から下を見下しているのにそれに気づかない鈍感さ。
私は下の文章の方が数段現実味のある文章だと思うのだが。
これに気づくのが、いわゆる「改革」にだまされない第一歩だと思うのだ。
人生、二者択一でないうえに、「勝ち組 負け組」などと具象性のない言葉で
無理矢理選別化しても何も意味はないのに、何か分かった感じにさせられるから怖い。
仮に、「勝ち組、負け組」と言う言葉を使わなければならないとしても、
これらだけでは不十分であることは、少し生きてきた者にはすぐ分かる。
それは「予選落ち」と言う現実だ。
「勝ち組、負け組、予選落ち」これで少し現実社会に近づくか。
予選落ちを別の言葉で言えば「世すね人」かな
「金持ちと、貧乏人、世すね人」この言葉の方がよっぽど優れた言葉だと思う。
マズゴミのよく使う言葉は注意した方が良いかも。