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【NHK再生のために】
松田浩・元立命館大学教授に聞く(上) (「しんぶん赤旗」10月22日4面)
NHKへの信頼が揺らいでいます。視聴者の厳しい目が注がれる中、NHKは九月、改革のための「新生プラン」を発表しました。さきごろ岩波新書『NHK』を出版した松田浩さん(元立命館大学教授)に「新生プラン」と、公共放送のあるべき姿について聞きました。 (聞き手 板倉三枝)
「新生プラン」は視聴者第一主義を掲げています。「公共放送の使命」として、「何人からの圧カや働きかけにも左右されることなく、放送の自主自律を貫く」と述べています。しかし、そう書きながら、受信料支払い停止運動や不払いのきっかけになった「ETV2001」の政治介入疑惑については何の反省もないままです。政治とどう距離をとるか、具体策もありませんでした。
六月にはNHK制作現場の有志が、番組改変間題で「政治への過剰反応があった」と認め、「政治家への事前説明をやめる」よう提言しています。NHKが改革のために設けた「デジタル時代のNHK懇談会」でもこの問題が熱心に議論されています。
● 数々の事件
それにもかかわらず、橋本元一会長は「政治的圧カはなかった」の一言ですませています。これでは不信感は払しょくされないし、将来、同じことが起こらない保障はありません。現に第二回デジタル懇(七月)でも、会長発言「政治圧カはなかった」は反論され、同第五回(九月)では「第三者を入れて検証すべきだ」との意見が出ています。
会長の発言は、疑惑をめぐる一連のやりとりやロッキード・三木発言カット事件(一九八一年)などNHKの歴史を振り返っても、しらじらしく聞こえます。これまで数限りない干渉・介入事件、自主規制事件が起きていますが、NHKは一度として事実を認め、視
聴者に明確な説明責任を果たしたことがないのです。
「自主規制」も実質的には「外圧」がきっかけです。政治的圧力に屈しなければ自主規制は起こりようがない。
もともと受信料不払いは、政治介入疑惑がきっかけになっています。この疑惑に真正面から応えてこそ信頼は回復されます。なぜこの際「政治家への事前説明をやめる」と言えないのでしょうか。会長説明のお粗末さは、小学生でもわかります。
橋本会長は公共放送の原点を「すべては視聴者の皆さんのために」という言葉で説明しました。しかし、権カからの自立なしに視聴者の立場に立つことはありえません。
● 戦後の原点
戦後、電波三法(電波法、放送法、電波監理委員会設置法=一九五〇年公布)の制定によって日本の放送法制の基礎が築かれたとき、最大の眼目となったのは、「政府からの自立」でした。
そこには、戦前のNHKのあり方への反省がありました。戦前は、「無線電信及ビ無線電話ハ、政府コレヲ管掌ス」(「無線電信法」第一条)で電波はお上のものでした。国民がラジオ受信機を持つことすら政府の許可が必要だったのです。
放送が政府の国策推進機関となり、国民を誤った方向へ導いたことで、敗戦という悲惨な結果を招きました。大事なことは戦後のNHKは、戦前の国家的な公共放送を全否定するかたちで再出発したということなのです。
新生NHKの初代会長・高野岩三郎氏は一九四六年の会長就任あいさつで、「権カに屈せず、ひたすら大衆のために奉仕する」と述べています。同時に「大衆とともに手を取り合いつつ、大衆に一歩先んずることである」とジャーナリズムの主体性について強調することも忘れませんでした。
「視聴者第一主義」というのは、単に「紅白歌合戦」の曲目を投票で選ばせたり、視聴者を娯楽番組に出演させたりすることではありません。国民の「知る権利」と文化にジャーナリズムとしての責任を負い、視聴者の信頼に向きあうことです。公共放送の原点は、権力からの自立なのです。 (つづく)