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(回答先: 後藤田氏の遺言 なぜ今必要なのか分からない。【福井新聞、現論 地方紙にはこう言うのも載るのですね。】 投稿者 クエスチョン 日時 2005 年 10 月 09 日 13:11:04)
内橋克人氏の「小泉郵政改革は本当に圧勝したか」。
その最後の部分を。
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今回、小泉首相は、最後まで「今回選挙は、郵政民営化の是非を問う国民投票」などといいつづけた。国民投票ならば、民意は獲得議席数ではなく、獲得票数の多寡によって決められなければならない。
自民・公明の獲得票数は合計三千三百五十万票、これに対して非与党の合計は三千四百五十万票である。イエスか、ノーを問うというのであれば、およそ百万票もの大差をつけて「民意」はノーの意思表示をしている。民意、民意といいながら、その民意が、道ばたの病葉のようにうち棄てられているのではないのか。
現行憲法下で、ワン・イッシューを問う直接選挙は憲法改正のための国民投票、地方自治特別法制定のための住民投票の二つしかない。郵政民営化を問う「直接選挙」であるかのごとく擬制を装い、その実、政権は好都合な間接民主主義(代議制)の結果を総取りした。
日本政治史に特筆さるべき「国民的錯覚」の悪用といわねばならない。
権力、権威、権限をもつ側の利害を体現しつつ、「頂点」から降りてくる言説を指して私は「権論」と呼び、逆に草の根から湧き出る変革の思潮を「民論」と呼んできた。
いま、自ら求めて「権論」の形成、流布、普遍化に精を出す学者や財界人が政権の回りに群れ、「民論」は激しく衰弱している。
嵐が吹き過ぎてしまえば、「異常」を「異常」とさえ感得できず、最も重大なテーマを問う「民論」に対して、「今更」などと一顧だにしない、そのような「権論」の側にジャーナリズムが立っていいはずはない。
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という次第で当り前といえば当り前のことを書いておられるようですが朝毎読なんかを読んでる人にしたらまさか第一面に「日本政治史に特筆さるべき『国民的錯覚』の悪用といわねばならない。」なんてありえんでしょう。そういう人たちには新鮮に見えるかも知れませんね。小生もとりはじめた時は新鮮でした。そもそも第一面の下の広告欄に神戸三宮のしゃぶしゃぶ屋が載ってたりする(笑)
なお『神戸新聞』の販売部数は兵庫県下ではかろうじてですが第一位。
http://www.geneva-japan.com/share_s1.htm
これを見ると大体地元紙がシェアは各府県で第一位みたいですね。『東京新聞』みたいな例外もあるけれども。
読者の投書欄というのがありますね。あまり見てないんですが、だいたい連日小泉支持派と反対派が半々ぐらいで載ってることが多いようで、つまりいちおう民意を反映してるというべきか。昨日10日の最初のは、
小泉改革はこれまで目ぼしい改革は見当たらない。庶民に何もいいことはなく生活は苦しさを増す一方だ。・・・自民党の弱肉強食政治に不安ばかりが募る。
というもので、次の投書は最高裁判所裁判官の国民審査についてで、その次は、「総選挙では小泉魔術にかかって国民は眠ったようだった」というもの。
新聞協会から除名されんかいなと心配しておる今日この頃であります。