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(回答先: 「司法」はどこまで軽くなるか? [ニュースの現場で考えること] 投稿者 一鍼多助 日時 2005 年 10 月 08 日 14:06:10)
学生時代に戻るが、
憲法裁判では、「傍論(ぼうろん)」が重要だ、と芦部信喜教授が語った。
傍論が成長して主文になるからだ。傍論は、単についでに言う理由付けではな
い。筋がとおったものなら、主文並みに大いに尊重すべきものだ。
肩書きだが、小泉純一郎議員も、落選すればただの人、肩書きなしの一市民だ。
刑事事件であっただ、たまたま氏名が同一であった、ただの人が「弁護士」の
肩書きのある名刺で詐欺を働いた。単なる肩書きだ、との弁解は通らなかった。
当たり前のことだ。
小泉総理の不純性は、総理の肩書きをつけて参拝をすること、これに尽きる。
肩書きをつけるな! ただの「小泉純一郎」でやれ!
そうして参拝しても彼の言う「純粋な平和と鎮魂の祈り」の妨げには、
なるまい。