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(回答先: 在宅終末医療が一般化されるとどうなるか考えてみました。 投稿者 町医者 日時 2005 年 10 月 14 日 12:30:30)
この辺になると私もついて行けなくなってしまいます。
人間の最後の一時期が何故政治的、経済的、労働力の
評価対象になってしまうのか。
人間に対する見方がどこか間違っているという感じがします。
現代医療は余りにも死を機械論的に見過ぎていないだろうか。
人間の死がかくも軽くなってしまうとは。
日本人は肉親の死という実感までも人任せにしてしまうのだろうか。
私は生まれがかなりの田舎なので,村人の葬式というのを子供心に
憶えています。もだえるように悲しむ人々の姿、それを慰める人々
様々な人間模様で、それは死というものを実感させてくれます。
>患者である家族に対して、看ている家族がどこまで心を鬼にできるかという問題。
しかし、心を鬼にしなければならない医療が行われていないでしょうか。
>だんだん食欲がなくなってくる→点滴が必要になってくる。
だんだん食欲が無くなってきているのに、何故点滴が必要になってくるのか。
私はここから問いたいのです。
この時点で患者は苦しいのでしょうか?
高齢の人が、だんだん食欲がなくなるというのは、まさに人間が死にゆく準備に
入ったと言うことではないでしょうか。そのまま枯れていく生命を、
無理矢理延命させて、医者は誇るかも知れないが、
患者の苦しみは大変なものかもしれない。
この苦しみを見るに堪えない家族がいても不思議ではない。
家族の逃げの可能性もありますが・・・。
医者としての立場では、患者を生かすために最善を尽くすというのは理解できます。
しかし、この努力が逆に高齢の患者と家族に負担をかけていないのでしょうか。
ここに大矛盾があるような気がします。
国は名付けて、終末期医療などと言う。名前は立派ですが、実情は如何なものか。
このような名前があること自体がおかしい。
国の言う
「・・終末期を迎えた患者の尊厳を重視するとともに・・・」
等は嘘っぱちに決まっている。
しかし、家族自身が死に対する考え方を変えなければ、人間の尊厳など永久に
言葉だけの問題で終わるのではないでしょうか。
無理かも知れないが、死を病院から取り戻すことも必要かと思います。
安楽死にしても私的には疑問の残るところです。
調べる資料がないので何とも言えないのですが、
この概念が一般的になったのは何時頃からでしょうか。
延命治療の進歩と期を一にしているのではないか。
下手をすると苦しむだけ苦しませて、三途の川を渡らせる事になりかねない。
医療は誰のためにあるのか?
死にゆく準備に入った人には、医療は無力でしょう。
日本人自体が死というものを、もう一度実感をもって考え直さなければ
医療は変な方向に向かってねじ曲げられてしまうのではないでしょうか。
その様に感じます。
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