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(回答先: 『若返り』をビジネスに SBIが『富裕層向け』東西に拠点(東京新聞) 投稿者 セーラー服ときかんぼう 日時 2005 年 5 月 08 日 18:37:31)
なんで、この投稿が気になり、レスを書いてみる気になったか、「Hexagon」だか、「ヘブライの館」だったかのHPに、ヒトラーの予言として、以下の文章のインパクトが残っていた為だと思う。
■■再びハンス・フランクへ……世界の二極化は進む
「やあハンス、私だ、ヒトラーだ。久しぶりだな。どうだ元気かね? ソ連軍はどこまで来ている? ほう、もうそんなにか。……いや大丈夫だ、まだまだ保つ。救援の戦車とロケット部隊をすぐ出すよ。きみもがんばってくれ。
ところでハンス、いつだったか山荘できみに、『私が生まれた100年後、1989年、人間が2種類に分かれる』と言ったことがあったな。金持ちや土地持ちと新しい貧民、恵まれすぎる国や恵まれすぎる人と、恵まれなさすぎる国や人、地獄の災害地と不気味なほどの楽園、間違いなく何もかも2つの極に分かれる、と。そのあとのことを、あのときは言わなかった。漠然とわかってはいたが、まだ確信がなかったのだ。」
「だが、今になって、それがはっきり見えるようになった。あとでみんなにも話すつもりだが、あのとき、きみに話した続きだから、まず、きみに話そう。それは激化ということだ。“2つの極”はますます進む。1989年以後、人間はごく少数の新しいタイプの支配者たちと、非常に多数の、新しいタイプの被支配者とに、ますます分かれていく。一方は、全てを操り、従える者。他方は、知らずしらずのうちに、全てを操られ、従わされる者たち。しかも進むのはそれだけじゃない。人間がそうなるにしたがって、地球にも宇宙にも大変動が起こるのだ……わかるかハンス? 私が死んだらきみがこれを伝えろ。新しい真のナチスの世界に伝えろ。きみはわからないだろうが、それはもう始まりかけているぞ。ではハンス、ごきげんよう……」
1945年2月末ごろ、ソ連軍に追われて東ヨーロッパから後退中のハンス・フンク(当時ポーランドのナチ長官だった)へ、ヒトラーが話した予言である。本来は、とても話せるような状況ではなかったが、偶然、地下本営と無線電話が通じ、ハンス・フランクが戦況を報告した。しかしヒトラーはほとんど聞かず、上のような不気味な予言を、一方的にしゃべって切った。ハンス・フランクにとっては、これがヒトラーの肉声を聞いた最後になった。
(以上、『1999年以後』より)
また、こう言うのもある。
●一方、ドイツ語で「国民車」を意味する「フォルクスワーゲン」の製造計画が発表されたのも、ヒトラーが政権に就いて間もなくであった。1933年2月11日、ベルリン・モーターショーが開催され、そこでヒトラーは「国民のための車を持つべきだ」との演説を行なう。倹約を行なっている人々に安価に車を提供することが目標であった。(当時、ヒトラーの車好きは有名であった)
「自動車が金持ちの階級のものである限り、それは国民を貧富の二階級に分ける道具にしかならない。国家を真に支えている多くの国民大衆のための自動車であってこそ、文明の利器であり、素晴らしい生活を約束してくれる。我々は今こそ“国民のための車”を持つべきである。」
(1933年2月11日のベルリン・モーターショーでの開幕演説)
●戦後、賠償金の一部として製造工場が接収されたものの、1946年にカブトムシ型をしたフォルクスワーゲンがついに完成する。フォルクスワーゲンは小型で燃費がよく「カブトムシ(ビートル)」の愛称で世界的人気を誇り、戦後西ドイツの奇跡の経済復興を支える中心的な役目を担うこととなった。
・・・続く
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