★阿修羅♪ > 国家破産42 > 905.html
 ★阿修羅♪
職場から  人は石垣、人は城  それが分からぬ日本になった 【SENKI】
http://www.asyura2.com/0505/hasan42/msg/905.html
投稿者 愚民党 日時 2005 年 10 月 22 日 07:55:51: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 職場から  一億総中流は終わった  日本は格差社会になっている 【SENKI】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 10 月 22 日 07:52:21)

職場から

人は石垣、人は城  それが分からぬ日本になった

http://www.bund.org/culture/20051025-2.htm

----------------------------------------------------------------------

部長は1年、私は3年を主張して対立した。その結果…

三浦直道

 システム・エンジニアをしていた90年代末のこと、私は大手コンピューター会社のビッグ・プロジェクトに参加した。日本語組版ソフトの開発だ。従来の印刷会社や出版社向けの日本語組版機は汎用コンピュータをベースとしたもので、既に時代遅れになっていた。そこで新規プロジェクトの発足となったのである。そこまでは社内の関係者の共通意識だった。  

 だが、システム開発の現場を知る私たち平のシステム・エンジニアと、現場を知らない管理職や営業との間に深刻な対立があった。現場のリーダー的な立場にいた私はシステム部門の部長と対立をした。開発期間を巡ってである。部長は営業にせき立てられて、1年間で従来の製品以上の完成度をもったシステムの開発を主張した。私はそれは無理で、3年間は必要であると主張した。毎日部長席の前で論争をした。つい大きな声をだしてしまい、周囲からは白い目で見られた。  

 そんなことが1ヶ月も続いた後、私はプロジェクトからはずされ、新規に別のグループを中心にプロジェクトが発足することになった。私は古くからの製品のユーザー・サポートをする、つまり閑職に追いやられることとなった。正直ほっとした。できっこないプロジェクトの責任を負わされるなんてまっぴらだったからだ。  

 ところが、発足した新プロジェクトはなかなか動き出さなかった。それみたことかと冷笑的に見ていた。新プロジェクトに参加した後輩からは、飲みに行ってぐちを聞く。それは楽しい日々であったと言おう。  

 業を煮やした部長は何をしたか。なんと私を新プロジェクトに強引に参加させてしまったのである。業務命令で抵抗はできなかった。私は「前の仕事のやり残しがあって」とかいいわけをしながら、順法闘争に出た。それも1ヶ月程度が限度。ついにはあきらめて、新プロジェクトに本気になった。  

 私の頭の中には3年計画しかない。ところが部長は1年後の出荷を宣言し、営業はそれを印刷業界に約束してしまった。競合他社との関係で営業はあせっていた。営業とすれば、なんとしても1年後でなければならなかったのである。それでも、できないものはできなかった。  

 現場の中にも混乱が起きた。私のように3年を断固として主張する者はむしろ少数で、いいかげんでもいいから、1年で形だけでも整えようとする者が主流となった。私も妥協した。1年を1年半ぐらいに延長させて、とりあえず不十分でもなんとかするというスケジュールで開発はスタートした。残業の連続でプロジェクトは進んだ。私は全力を尽くした。

1年後に出荷したが…

 なんとか1年後に出荷された。悲惨なのは最初のユーザーだった。とんでもないものをつかまされたと思ったに違いない。機能が十分でないのはもちろん、バグだらけであるので、日に何度も動かなくなった。とても使える製品ではなかったのだ。  

 私から見れば当然の事態である。だが悲惨なのはユーザーだけではなかった。そのユーザー担当になった若いSEである。彼はそのユーザーに常駐し、何か苦情があれば全部聞く役目になった。毎日何回謝ったのだろうか、よくも耐えられたものだと思う。  

 その評判がほかの印刷会社にも伝わった。良くはなかった。  私たち開発サイドはユーザーの反応を受けて改良計画を立て、製品の完成度を高める努力をした。問題点を洗い出し、ひとつひとつ潰していった。バグも減り、機能も充実していった。そして3年後、他社に十分に対抗できる製品に仕上がった。そのできばえにわたしは今でも自信を持っている。  

 ところがその時には既に、ユーザーや販売会社の信用はすっかり喪失していた。誰も買ってくれないのだ。結局プロジュクトは失敗に終わった。終わる前に失敗の原因を作った部長は異動になっていた。私たち開発チームは、それでも買ってくれたユーザーのために、さらなる改良作業を続けた。でも結局はうち切られることになった。  

 私はこのプロジェクトに全力を傾けた。私だけではない。仲間たちも共に努力をし、成功のためにある意味命をかけたのである。私たちにとってのプロジュクトXだった。しかし報いはなかった。会社にとっても、大きな投資をしたにもかかわらず回収はわずかで、その上信用も喪失した。  

 この過程で私は鬱病になってしまった。最後は退社することになったのである。

(システムエンジニア)


--------------------------------------------------------------------------------

ラインの作業管理が決まらない

工藤隆志

 ラジエターを製造している会社に1年半ほど前に派遣社員として就職した。仕事は、組み付けられ出来てきた製品にトラブルがないかを検査する役割である。検査といっても、部品をいくつもつけながら、小さな傷までも発見しなくてはならず、結構習熟を必要とする。自分も最近ようやく仕事に慣れてきたと思えるようになった。  

 ラジエターと聞いても余り馴染みの無い人も多いかと思う。大体は機械や車のなかに納まっていて、普段お目にかかることは少ないからだ。車でいえば、先端の空気口に大体はついている。エンジンを冷却するための装置だ。  

 私はこういう自動車の装置は、工業規格で製造されており、同一製品ならほとんど違いのないものが製造されると思っていた。だが、実際現場に入ってみると、そうとばかりはいえないことに気づいた。  

 担当しているのは大手自動車メーカーの2種類のラジエターだ。なのに検査の段階までも、規格に合わないような製品が案外流れてくる。縦や横の大きさがあわないとか、ひし形にゆがんでいるとか、大きく反っているとかである。これらを検査の段階で発見し、全く駄目なものは廃棄し、修正できるものは直す。  

 その「修正」にすごい荒業を使うときがある。そうして「直した」製品は、確かに冶具には収まり、規格的にはOKにはなる。だが「これでほんと大丈夫かな」と感じてしまう。いまのところクレームが来てないので、何とかなっているのだとは思うが。  

 問題は修理品が多発したようなとき、一時的にはトラブルが解消されても、いくらかすると同じ問題がまた発生してくるときだ。私が居たこの1年半のあいだ、同じことをぐるぐると繰り返している。考えてみると入社したころと変わらないトラブルを、今も問題にしているのだ。  

 原因はかなりはっきりしている。製造の熟練工があまり残っていないためだ。またある程度習熟した人たちも、辞める確率がとても高い。新人がいつも入れ替わりで入ってくる。その人たちが作る製品は、どんなに決められたとおりに作業をすすめても、熟練した人と同じものはできない。だから入れ替わりがあるたびに、同じトラブルが繰り返されてるのである。  

 その背景には、バブルがはじけて以降の職場環境の変化がある。入社して驚いたのだが、製造現場で従事している人の大半が派遣社員だった。正社員は「長」のつく人たちだけで数えるほどしかいない。また派遣社員の約半数は、日系ブラジル人であった。  

 日本人派遣社員は他より多少時給がいいので来るのだが、過酷な労働条件のため、比較的短期の内に辞めていく。熱いしきついし、労働時間が長い。昨年などは残業が80時間を越える月が何度かあり、毎週のように新人がきていた。日系ブラジル人は、とてもよく働く人が多い。きけばブラジルには職がなく、いままでやってきた仕事よりずっと楽だという。  

 環境がかわれば、労働に対する感じ方にこんなに差があるのかと思った。その彼らも何年かすると帰国していく。熟練工が残らず、現場で必要な技術的蓄積がされていかない。そんな職場環境になってしまっているのだ。

(工場労働者)


--------------------------------------------------------------------------------

新人が入ってきた 戦力化するための奮闘

横尾佐和

 私は都内で病院の栄養士をしている。年のはじめに相次いで3名退職があったため、この春から8月にかけて栄養士として3名が栄養科に入職してきた。12名の職場のうち3名が新入職員というのは、こんなにもたいへんなものかと痛感する毎日だ。病院は入院患者がいる以上365日営業。勤務はシフト制だ。早番、遅番等、毎日勤務が異なる。その中で半人前が3人。他の職員は自分の仕事をこなしつつ、新人職員のフォローと指導を行うことになる。私は栄養科の責任者なので、新人が犯した失敗は即、私の責任となる。  

 新人栄養士の主な仕事は厨房内での作業だ。食札という患者別の食事内容が記入されたカードの管理と食事の盛り付け、配膳。それができるようになると主菜副菜の調理を行う。栄養士だからといって事務仕事ばかりではない。4月に入職した栄養士が今、主菜の調理に苦戦中だ。最初は栄養士が一人ついて、説明しながら一緒に調理を行う。肉や魚の下処理について、ご飯とお粥の水加減について、調理開始時間など、覚えなければいけないことはたくさんある。理解力のあるものは1〜2回ついて説明すれば、一人でできるようになる。調理の流れを事前にシミュレーションできるようになるからだ。  

 だが、人によっては事前にシミュレーションができない。なので、調理担当の前の日にどういう流れで調理を進めたらいいか、紙に記入してもらいながら一緒に考える。でも当日に一人では調理できないので、一人ついて教える。終わったあと問題点と、できるようになったことを整理して、今後の課題を設定するところまで付き合う。ここまでやるのはけっこうな労力だし、時間も割かれる。本当だったら自分でやってほしいのだが、できない人の場合、調理のことを考えること自体がいやなので、第三者が付き合うしかないのだ。関わらなければいつまでもできないままだし、それは本人にとっても周囲の職員にとっても得策ではない。  

 でも、熱心に指導したからといってすぐに調理ができるようになるわけではない。最終的にはおおらかに見守るしかないのだ。それがなかなかできないのだが。

周りの職員も説得する必要あり

 新人の育成にあたって最も必要なことは、新人を受け入れる側の協力をいかに得るかということだ。私ひとりが面倒をみるわけではない。シフト制なので、私が休みの日は他の職員がフォロー&指導を行わなければいけない。厨房内での盛り付けや配膳の業務になると、年配の厨房員と一緒に作業を行うことになる。最初は一人余分に作業に入るのだが、それだといつまでも正規の作業内容を把握できないので、ある程度でやめる。  

 新人はどうしても手際も悪いし、遅いので、一緒に作業した職員がフォローしなければいけない。だから厨房員からも不満がでてくる。同じお金をもらっているのに、なんで新人の分まで働かなければいけないの、とか。栄養士の指導が悪いからできないのだ、とか。いくら新人育成には時間がかかると説明しても納得してはもらえない。新人育成への協力を呼びかけ、一人一人の職員の関わりがいかに大事かを訴える。昼休みに厨房員のいる前で新人に指導して、指導する側もされる側も頑張ってるよ〜とアピールしてみたり。  

 そうこうしているうちに、なんとなく新人の存在に慣れてくるようになる。厨房員の人たちも、子育て経験者が多いので、新人の面倒をみてくれたり、人生訓を語って励ましたりしてくれる。受け入れる体制が整ってくれば、多少仕事ができなくても、意外となんとかなってしまうことが多いなあと思うこのごろだ。  

 とはいえ、自分の抱えている仕事におわれて、新人に気を配るのを忘れていたら、退職願いを出されてしまったこともある。個々人の職員の現実があり、そこから考えて、いかにより良いアドバイスやフォローができるか、問題点を自覚させることができるか、毎日苦闘の日々である。  

 組織を形成する以上、人材の育成は不可欠だということを教わっている。お金をもらって勉強させてもらっていると思って、頑張ってみようと思っている。

(栄養士)


--------------------------------------------------------------------------------

(2005年10月25日発行 『SENKI』 1193号6面から)


http://www.bund.org/culture/20051025-2.htm

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > 国家破産42掲示板



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。