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円・元・ドル・ユーロの同時代史  第35回〜石油・ドル本位制の終焉 ? 【日経BP】
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 8 月 29 日 11:34:59: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 米株価指数先物が下落−ハリケーン接近で原油70ドル突破を嫌気 (ブルームバーグ) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 8 月 29 日 11:15:46)

円・元・ドル・ユーロの同時代史 第35回〜石油・ドル本位制の終焉?
Chapter 5 国際通貨体制の将来


http://bizns.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/search/wcs-bun.cgi?ID=322134&FORM=biztechnews


3 米ロ「冷たい平和」の中で


前節で予告しておいたとおり、ここでは「石油・ドル本位制」とはどのようなもので、それがいまユーロとの関係でいかなる挑戦に面しているかを見てみたい。

いま述べた意味での「挑戦」に震源地があるならば、それはロシアのエカテリンブルグである。ニコライ二世とその一家が銃殺され、ロマノフ朝終焉の場所となった史実によって名高い。ウラル山脈のふもと、その先はシベリアという欧州最東端の都市からドルへの挑戦を起こした動因は、モスクワとベルリンの急接近だった。そしてキーワードは石油である。

基軸通貨は還暦を迎えた


改めて振り返ってみると、1944年7月、米ブレトン・ウッズにおいて純金1オンスが35ドルと定められ、外国通貨当局が持ち込むドルをこの比率で金に交換することを米国が約束した時、ドルは価値の標準原器になったのだと言える。各国通貨はそれぞれドルとの間に事実上の固定相場を維持する仕組みとなり、ここにドル基軸通貨体制が成立した。

下って71年夏、本稿が出発点に据えたエピソード=「ニクソンショック」が起き、金とドルの交換は一方的に停止された。

それによって、戦後経済に「第二幕」が開けてからの経緯は多言を要しない。例えば金融派生商品(デリバティブズ)がこの後登場し、リスク回避技術が発達したのは偶然ではない。時間や空間を超えて余所へ移さなければならないほどのリスクなど、固定為替相場がもたらす静かな環境では存在しなかった。

そのようにすべてが変動する時代となったかに見えながら、この間ドルの地位のみが不動だったとは、考えてみると驚くべきことである。ただの紙切れに過ぎなくなったドルがそれでも基軸通貨であり続けたのは、結局のところどんな事情によるものだったのか。

通貨とは、価値を計る尺度であるとともに、価値を貯える手段であると経済学の教科書には書いてある。1ドルが360円から100円近くになったこの間の歴史は、ドルがいずれの定義に照らしても失敗通貨だったことを示していよう。

ところが通貨にはもう一つ、モノを買うための交換手段であるという肝心要の働きがある。そして世界には、ドルでしか買うことができず、かつそれなしでは生活が成り立たない石油という商品があった。

石油との排他的・独占的交換性――。

ドルが世界の基軸通貨であり続けたゆえんは、結局のところここに帰着する。それなら今ドル体制への挑戦者が狙いを定めるのも、まさしくこの点となることに不思議はない。「金・ドル本位制」は71年に終わった。今問われつつあるのは、それに代わってこの3分の1世紀続いてきた「石油・ドル本位制」の余命である。

ワシントン・リヤド密約とは


アメリカと、世界最大の産油国サウジアラビアとの間に暗黙の約束(「ワシントン・リヤド密約」)があるとの説を聞くことがある。「密約」である以上、項目を列挙するすべはない。内容には論者によって異同がある。けれども公約数的な解釈を、次のようにいうことはできる。

すなわち「ワシントンは、サウド王家に安全保障を提供する。リヤドは引き換えに、米国国益の増進を心がける」

CIA出身のロバート・ベアというアメリカ人が書いた近刊書*1 や、米系石油会社アラムコの歴史とイブン・サウド・サウジ初代国王の一代を記した本*2 などはどれも、密約の原型を一九四五年二月、ヤルタ会談直後に持たれた米サ頂上会談に求めている。

スエズ運河北口へ停泊中の米巡洋艦「クインシー」上で開かれたローズベルト大統領とイブン・サウド国王の極秘会談は、第2次大戦後のサウジを守るのはイギリスでなくアメリカだという点を含め、互恵関係を進める包括合意を生んだ。

これは後に、アラブ諸国が共産勢力から攻撃された場合、アメリカは求めに応じて必ず軍事介入するという「アイゼンハワー・ドクトリン」*3 へと発展する。

石油販売代金はドルでしか受け取らないというサウジの約束*4 ――石油・ドル本位制の主柱――とは、もしあったとしたら、元来このように冷戦下のバーター取引として生まれたものである。

それなら冷戦が終わって久しく、パレスチナ問題とイラク戦争を巡って中東産油諸国に反米感情が広まった今、古い密約は反故にされそうなものである。

事実、「悪の枢軸」と名指しされたイランは石油販売代金をユーロで受け取りたいと口にしたことがある。イラク戦争後はサウジも同様の意向だとは、消息筋の話として始終取り沙汰されるところだ。

イスラム金融の中心をもって任じるマレーシアには、イスラム諸国間の貿易収支尻を金で決済しようという構想すらある。収支尻だから、石油取引は当然含んだアイデアである。マハティール前首相の着想で、初めは同氏に一流のブラフであるかに見えていた。ところがマレーシアは、この構想に前首相引退後も執着している*5 。

けれども石油代金の受け取りを本当にドル以外の通貨へ切り替えた実例は、歴史を通じてたったの一国――サダム・フセインのイラク以外にない。

イラクは2000年9月24日、石油代金として今後一切ドルを受け取らないと表明した。当時のイラクは国連を通じてしか石油を売れない。その国連が1カ月後の10月30日、イラクの意向を受け入れることにしたから、この時初めて石油・ドル本位制に小さな綻びが生まれた。

「ロシア産原油をユーロ建てに」


アメリカではあたかも大統領選挙直前の時期である。権力空白期を狙った露骨な嫌がらせで、ブッシュ大統領が就任早々イラク攻撃を決意していたとしたら、これこそその引き金になったとする説がある。俗耳に入りやすいせいか、口にするのは必ずしも陰謀史家ばかりではない。

つまりそれほど事柄は機微にわたるのだから、2003年10 月9日、プーチン・ロシア大統領が次のようにシレっと言ったのには世界中が驚いた。

「我々は、ロシア産原油の輸出をユーロ建てとする可能性を除外していない。ヨーロッパの貿易相手国は(そうなれば)面白いと思うんじゃないか」。

後に触れる通り、石油代金の決済通貨を変えることは見かけほど簡単でない。しかし今度ばかりは、アメリカに対する嫌がらせと片付けるわけにいかなかった。

プーチン氏は首相だった1999年の10月、フィンランドのヘルシンキでEU(欧州連合)諸国首脳と会談に臨んだ折まったく同じ提案をしたことがある。

当時の動機は、アメリカへの対抗意識だったかもしれない。単一通貨ユーロが発足したばかりの年で、ヘルシンキの会議では安全保障面での露欧協力も論じられた。

しかし近年、殊に「9.11」の後はロシアがアメリカに歩み寄り、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約を巡ってぎくしゃくしていた従前の関係を、プーチン氏自ら大きく改善していたはずだった。再び米露関係に、我々には見えにくい冷風でも吹き始めていたのだろうか。

それをひとまず措いたとしても、プーチン提案には一定の経済合理性が含まれている。第2にヨーロッパ諸国にも、これに呼応する素地がある。そして第3に、どうやらドイツを味方につけたという大層な自信を背にしたうえでの提案であるということが、次第に明白となった。真剣な検討を要する提案であることが、誰の目にも明らかとなったのである。

アメリカ離れと対独急接近


本稿は既に何度か、グルジアや中央アジアにおける情勢の変化を見てきた。しかしここで改めて振り返るならば、ロシアは一言で言って、アメリカの攻勢が受忍限度いっぱいまできたと感じている。いわば裏庭と隣家をともに、軍事的に抑えられたと見ているからだ。

裏庭とは中央アジア諸国であり、グルジアである。ここに対する米国のかかわりかたはこれまでの章で見てきた。

他方隣家とは、旧ワルシャワ条約機構の成員だった東欧諸国である。2004年3月29日、バルト三国とブルガリア、ルーマニア、スロバキア、スロベニアの七カ国が北大西洋条約機構(NATO)入りを果たし、NATO前線はとうとうロシア国境に達した。

これを米国が主導したゆえに起きた現象と理解するのは、欧州とロシアにおける共通認識である。これら諸国の加盟には米国議会に対する工作が必要で、そのため活躍したのが有名な「ネオコン」人士だったことも知られている。

日本から見えにくいだけで、米露関係は「コールド・ウォー(冷戦)」とまでは言わないにしろ、「コールド・ピース(冷めきった平和)」としか言いようのない状態に後退していた。

以上の背景に置いてこそ、プーチン政権が今遂行中のエネルギー政策を理解することができる。ドイツに対する急接近の動機を知ることもできるだろう。

石油と天然ガス事業に関する限り、国家の独占を再び強めようとするのが最近のロシアが選んだ政策である。米系石油資本に株式を売却しようとしていた大手石油会社ユーコスの社長を昨秋脱税容疑で捕えたのは、その典型的表れだった。

石油と天然ガスを代表とする地下資源はロシアにとって虎の子の輸出産品であり、国力の源泉である。米国の攻勢に押しまくられないためには、これへの統制を再び強めておく以外ない。

対独親和政策は、この延長上に自ずと出てくる。ロシアの資源を買う上得意はヨーロッパ各国、なかでも経済規模が最大のドイツであるからで、プーチン氏がドイツ語をよく話すこととは直接関係がない。ちなみに大統領のドイツ語は、もちろんKGB時代に鍛えたものである。

2003年10月9日、プーチン大統領が爆弾提案をした席には、首脳会談を終えたばかりのシュレーダー・ドイツ首相がいた。

ところは冒頭に記した通り、ヨーロッパ最東端の街エカテリンブルグだった。

2003年だけで、プーチン、シュレーダーの両首脳は合計7回会っている。2004年3月20日、プーチン氏は圧倒的支持を得て大統領に再選された。シュレーダー氏は4月2日モスクワへ行き、再任後の大統領に初めて会う外国首脳となった。

この時シュレーダー氏は「7割以上もの支持を得られるリーダーなど、あなたのほかにいったい誰がいるでしょう」と露骨なおべんちゃらさえ言っている。

まさしく蜜月で、それは露独間の貿易が今日185億ドル(2兆円強)を超え、ドイツはロシアにとって世界最大の貿易相手となったことの表れだろう。ロシアが外国から受け入れた直接投資のうち、ドイツ発の残高は18%、100億ドルを超していて、これまた最大である。

中国は2001年、WTO(世界貿易機関)入りを果たしたというのに、ロシアはこれから。加盟へ向けた運動の力強い支持者とロシアが頼むのもドイツである。

とはいえ2003年10月の会談が中でも格別のものだったことは、「エカテリンブルグ精神」という新語を生んだところに表れている。2国間関係の主導理念を作った場として理解されているようなのだ。

オセロゲームめいた戦略意図


ロシアには、今やNATOメンバーのリトアニアとポーランドに挟まれたカリーニングラードという飛び地がある。哲学者のカントが生まれ、旧名をケーニヒスベルグというこの地はドイツ人にとっても因縁の場所だ。昨年暮れには、ここからベルリンに向かう旅客鉄道が再開された。

この措置はエカテリンブルグ会談の成果で、路線はじき東へ伸び、当のエカテリンブルグがベルリンと直結する日も遠くないという。もはや含意は明らかである。ウラル山脈までをヨーロッパ・ロシアとするならば、その全体がベルリンと強く結ばれる象徴でなくてなんだろう。

アメリカと冷たい平和を続けるロシアは、今ドイツと熱烈な関係を結ぼうとしている。恐らくそこにはオセロゲームめいた、戦略的意図がある。NATOへ入りアメリカに忠誠を捧げる「新しいヨーロッパ」を、東西の「古いヨーロッパ」が結んで挟撃しようとでもいうような。

エカテリンブルグ会談ではまた、今秋ドイツのハンブルグで予定されている首脳会談へ向け、安全保障面での協力を含めた中長期の戦略青写真を双方の共同作業によって策定することが決まっている。エネルギー協力に関しては、別に企業を巻き込んだ会議を開くことも決まった。

このように、会談が独露双方にとって持っていた意義を探れば探るほど、ほかならぬその席で石油・ドル本位制への挑戦がなされた意味合いには軽視できないものがあったと思わざるを得なくなる。

もっとも、ボールを投げられたドイツは態度を明らかにしていない。といって球は無人のコートに落ちたのではない。

EUのエネルギー担当コミッショナー、ロヨラ・デ・パラチオ氏はつとに2003年6月、「ユーロはいつか、石油決済通貨としてドルに取って代わるかもしれない」と述べていた。アメリカ・エネルギー省長官と会談する中で出た発言である。

同月、ヨーロッパ議会の経済金融委員会はヨーロッパ中央銀行(ECB)に対し「エネルギーなど一次産品をユーロ建てにする」議論を支持するよう求めていた。

エカテリンブルグの露独首脳会談に居合わせたヨーロッパ委員会議長のロマノ・プロディ氏は、プーチン提案が飛び出したと同じ記者会見で質問に答え、EU加盟国が2004年に15カ国から25カ国に増えるのを踏まえると「輸出入双方向を同じ通貨建てにする方が便利に決まっている」と述べている。

極めつけは通貨の番人、ウィム・ドイセンバーグECB総裁(当時)の発言だろう。プーチン提案が出て数日後にモスクワを訪れた折、「ロシアがユーロで石油を売るのは理に適っているかもしれない」と、中央銀行家にしては踏み込んでみせた。そしてそこには、ユーロを司る人ならではの自信なしとしなかったはずである。

ユーロの地位、向上中


ロシアをはじめ産油国の悩みは、ドルという弱い通貨を石油代金として受け取り、ヨーロッパという強い通貨の経済圏からモノを買わざるを得ないところにある。石油代金自体が上がり手取り金額が増えたうまみは、このせいで減殺されてしまう。

中東産油国、ロシアを含む新興ヨーロッパの対外輸出入関係を相手地域別にみた統計によれば、対EU比率はそれぞれ26.8%と51.1%。対アメリカ比率の12.6%、4.8%をはるかに上回っていて、輸出入双方をユーロ建てにするメリットが確かに認められる(数字は1999〜2002年平均、ECB調べ)。

ユーロ通貨圏相手の商取引が増えれば、準備通貨の構成にも影響が生じる。

国際通貨基金の統計によると、全世界の準備通貨に占めるドルの割合は、2000年の67.5%から2002年に64.5%へ3%低下した。ユーロは逆に、15.9%が18.7%となって、2.8%増えている(円は5.2%が4.5%)。

ロシア中央銀行に至っては、ユーロ準備の比率をこの2年で10%から25%以上に上げ、何事か、明らかに備えている。

ロシアは今、日量570万バレルの石油を輸出している。それがユーロ建てになる場合、石油価格を計算に入れると、全世界でドルは毎日2億ドル近く無用になる。

このところ日本が為替市場で続けた円売りドル買い介入は、それだけで日割りにすると4億ドルに上ったから、2億ドルは巨額というべきかどうか。

この際肝心なのは、ドルが一つのネットワーク商品である点を考慮することだろう。ネットワークには独特の増殖法則がある。三者の間にできる回線は3本に過ぎないが、参加者が1人増え4人になるだけで、その間を結ぶ回線は6本と倍になる。

減るときは逆に、ネットワークは同じ急激さで縮小する。ロシアはその引き金を、引いてみようかと言っているわけだ。

本節のおしまいに、2点指摘しておきたい。

以上の議論に石油の専門家は必ず異を唱えるだろう。石油取引市場は、数ある商品取引マーケットのうち最も豊かで流動性に富んだ市場である。すべての取引がドル一本でできる自由さが基礎にある。別通貨を導入し、これを分断する経済的利益は乏しい。それゆえ筆者も、石油・ドル本位制が「経済合理性だけで」、何か別物に変わると考えているわけではない。

しかしそれを言うならば、ユーロの成立にそもそも十全な経済合理性はなかった。ヨーロッパに単一通貨ができたのは、二度と戦争しあうまいとする独仏の強い政治的意図があったからである。後述する通り、行き掛かり上この情念を共有できない英国はいまだにポンドを捨てきれずにいる。そしてプーチン大統領、シュレーダー首相ともに、経済合理性で動く動物ではない。

その意味で、プーチン大統領があえてした提案は、石油・ドル本位制にとってかつてない深刻な挑戦たるを失わない。

そして、仮にこの挑戦がなかったとしても、毎日15億ドル以上の資金不足状態にある米国がドルの地位をこの先保てるか、疑ってかかるべきだというのが2点目である。

FRB(連邦準備理事会)のグリーンスパン議長は2004年3月2日の演説で間接的ながらここに触れ、国境の敷居が低まりカネはますます効率的に市場へ集まるようになったのだから心配には及ばないと述べた*6。

アメリカの資金繰りは大丈夫と言うわけである。ところで資金繰りに心配がないと財務責任者がいう企業は、実のところ不安を抱えているのが大概だろう。プーチン大統領は恐らく経済的合理人である前に政治的動物だから、この辺りの臭覚には鋭いものがあったに違いないのである。

(以上、本節は、月刊誌『Voice』2004年8月号所載拙稿に加筆修正を施し、脚注を加えたものである。なお次回は8月9日掲載の予定ですが、休載します。)

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*1:ロバート・ベア著、柴田裕之訳『裏切りの同盟・アメリカとサウジアラビアの危険な友好関係』(NHK出版、2004年) pp. 144-147
*2:Anthony Cave Brown, Oil, God, and Gold: The Story of Aramco and the Saudi Kings (New York, NY.: Houghton Mifflin,1999), p. 117。アラムコは後サウジに接収される。しかし発端は米国の石油会社にほかならなかった。
*3:Ibid., p. 217, p. 219
*4:実務的にはこれは、サウジがニューヨークのマネーセンターバンクに開いた非居住者ドル預金口座を決済口座として指定、ここ以外で石油代金の決済をしようとしないことを意味する。
*5:ちなみにこの構想の決済スキームは、ケインズがホワイト案に対抗し提案した決済同盟と酷似している。収支尻の相殺決済に用いられる金を、バーチャルな、つまり現物でない、「e-gold」「e-dinar(dinarとはムスリム諸国で広く用いられた通貨の名称)」とするアイデアもある。
*6:谷口智彦『タテ読みヨコ読み世界時評』(日本経済新聞社、2004年) pp. 240-245


谷口 智彦(編集委員室主任編集委員)
近著に『タテ読みヨコ読み世界時評』(日本経済新聞社、日経ビジネス人文庫)。国際金融と安全保障に関心。前日経ビジネス主任編集委員。米プリンストン大学ウッドローウイルソン・スクール国際問題研究所フルブライト客員研究員、上海国際問題研究所客座研究員、ロンドン外国プレス協会プレジデントを各歴任。


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