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ニュージーランドの構造改革―種々の論点とその結果 ジェーン・ケルシー教授(オークランド大学法学部)
http://www.asyura2.com/0505/hasan41/msg/782.html
投稿者 TORA 日時 2005 年 8 月 08 日 15:21:24: CP1Vgnax47n1s
 

(回答先: 『年次改革要望書』というものがある 深夜のNews 投稿者 TORA 日時 2005 年 8 月 08 日 13:02:55)

http://homepage2.nifty.com/usui-postoffice/sub2-2.htm

郵政研究所におかれましては、今回私をお招きいただきましてありがとうございます。それでは、ニュージーランドの経験について話をさせていただきます。
ではまず始めに、ニュージーランドという国についてご照会します。日本では小学校のときから地理の勉強をして、オーストラリアとニュージーランドという国について分かっていると伺っておりますけれども、忘れてしまっている方もいるかもしれませんのでご紹介します。
ニュージーランドの国土面積は、日本の国土面積の3分の2程度ですけれども、人口は全く違い、380万人しかおりません。それから、一人当たりのGDPですけれども、1万米ドルをちょっと切るぐらいのところです。このように、ニュージーランドは日本とは全く違う国ではありますが、そういう国でありながら、いろいろな国々が構造改革を模索する中にあって、私どもニュージーランドの構造改革のモデルというものがご参考になる、あるいは何らかの政策論議に貢献していると伺っております。大変興味深いことです。ですから、本日のお話もまた、皆さん方が既に行っていらっしゃる政策論議に対しまして、さらなる情報、さらなる洞察を加えることになることを願ってお話をさせていただきます。
20世紀のほとんどの部分、ニュージーランドにおきましては政策的な中心原理はケインズ経済でありまして、非常に強力な公共投資があり、そして福祉国家を目指す国家の運営をしました。
1984年にラジカルな、一方的な抜本的な構造改革の動きがありました。
1984年から90年にかけましては、中道左派政権−労働党政権がその任に当たりました。1990年からの9年間は、より保守的な政権誕生となりまして、国民党がその構造調整の任に当たりました。この構造調整を行うための政策の設計及び政策の実施に当たりましたのは主として経済官庁の人達、それから特に財務省の人達でした。
政治的なリーダーシップが与えられたのは、往々にして“神風特攻型”の政治家達と呼ばれる人達でした。この人達の考えによりますと、政治的なコストがたとえどんなものであっても、とにかくこの改革・変化を実行するということにコミットした人達でした。最初から彼らが導入したやり方というのは、いわゆる“電撃作戦”と呼ばれるようなやり方であり、とにかくありとあらゆる分野でなるべく手早く、数多くの変化を導入しようというものでした。したがって、何か変革が導入されたときに、それに対して異論を唱えようとしても、その次に次の変化がまたやって来るというわけでしたので、どのような異論を唱えるということも難しいプロセスだったのです。
特に、このような状況が顕著であったのは、1984年から88年にかけてと、90年から93年にかけてでした。政策的な中身ですが、同じ哲学によってすべて支えられています。ある意味では一貫した政策、一連の政策でした。
この構造調整政策には、それ構成した5つのポイントがありました。まず、第一には、これは金融引締めということであり、厳密に物価の動きに目を光らせるだけに集中した金融の引き締めでした。二番目に行われたのは、国家が果たしてきた役割を減少させるというものであり、国家がやってきた貿易活動あるいはその他の活動などを自由化し、規制緩和をするということでした。そしてまた、例えば政府がやっていたものであればそれを公社化し、そしていずれは民営化し、それと同時に公的なセクターでやっていたようなサービスなども、すべて民間型のマネージメントスタイルに変えていくということでした。そして、三つ目に行われたのが、金融市場を含むいろいろな市場の自由化−規制緩和でした。四つ目の点は、労働市場の規制緩和です。最後に来た政策的な項目としては、財政の引き締めということでした。これは減税であり、それから政府の支出を削減するということであり、公的部門の債務を減らすということです。
1984年という当時のことを考えれば、とにかく何らかの変化を導入させなければならなかったということは、誰も異論のないところであろうと思います。しかし、この種の政策パッケージ(一括法案)がニュージーランドにとってベストであったかと言われれば、必ずしもそうではなかったし、また、あのような実施のやり方がベストであったかと言われれば、それもやはり、必ずしもそうではなかったと言わざるを得ません。政策立案ということに関しては、ニュージーランド型のアプローチにはある特色があり、我々のような政策に興味を持ち勉強している者にとっては、それがいくつかの懸念を呼び起こしたのです。
まず、この改革というのはイデオロギーに立脚した改革であり、こういうオプションもある、別の選択肢もあるというような議論はまったく成されませんでした。とにかく、ある声明が出され、これ以外ないのだと。この道を採択するしか外に道は無いのだという声明が出されました。これは、こういう風に持っていかなければいけないというようなことを理論化するという試みであり、また、これをすればどうなるかということに関し経験的に研究するということも、全く行われませんでした。ある命題を立てたときに、それを探求すればどうなるということに関する調査研究も、何ら行われませんでした。ここで主眼目となっていましたのは、経済的な目的オンリーであり、社会的な問題であるとか、社会的な懸念とか、そういったようなものが、政策的な代替案として上がってくることは許されませんでした。
それからまた、この政策におきましては、これを見本・手本にしてやれというような形がとられ、他の分野に当てはめるときにも、他の分野にもこれを当てはめたら適切かどうかという検討なしに、あらゆるものが、これが手本だからということですべて適用されたのです。例えば、国有企業の商業的な存在という話を、国有企業は商業的な組織として運営されなければならないという話を今からしますが、そのビジネスモデルも、例えば病院とか、それから政府系の研究機関、そういったようなところに当てはめられてしまいましたし、また、公営の住宅システム、そういったところにも純粋商業的な組織としてやるのだというモデルが適用されました。
それからまた、市場主導型のすべて発想であり、すべてのことを律するのは市場であるという心情に裏付けされた政策であり、市場が何をするかということに対する厳しい規制を設けるなどということは存在しない、そういう構造調整でした。それから、出来るだけこの構造調整をしたときに、その結果は非可逆性をもたらせることにし、昔に戻るということが決して在り得ないような形に成されました。このような動きが始まってから16年経ちました。当然、その中にはプラスのこともありました。ニュージーランドのインフレ率は極めて低いものがあります。それからまた、GDPに対する比率として見ても、公的部門の債務も低いですし、また政府の支出も低いものとなっています。また部門によっては、効率性が上がったというところもあります。また、多くの分野においては、消費者にはより多くの選択肢が与えられるようになりました。それから分野によっては、例えば商店が何時間店を開けていて良いかという営業時間の分野であるとか、労働市場とか雇用慣行、そういったような分野においては、より柔軟性・機動性が増しました。
国家そのものが中央集権的な体制をより弱めるようになり、政策決定にしても、より多くの地方自治体に対する権限委譲が行われました。地方自治体でなければ、あるいはサービスを外注するという、契約をして政府に代わりやってくれるようなところ、そういったところにより多くの権限委譲が行われました。
また、当時認識されたのは、国家のリソースと言ってもこれは有限なものであり、それをどういう順序で使っていくのかという、優先順位を付けなければならないということでした。
しかし、経済的な結果としてマイナスなものも出ています。ニュージーランドの経済的な位置付けというのも、他のOECD諸国に比べて下がってきています。1970年当時にはニュージーランドのランクは9位でたが、99年には、それがOECD諸国の中で19位にまで落ちています。それから、ひとつ大きな問題が出てきています。それは対外債務。それから、外資による支配です。ニュージーランドが持っている対外的な債務は、GDPの106%を占めるようになり、また、ニュージーランド国内の重要なインフラのほとんどは、すべて外国の投資によって所有されています。
それから、国際収支上に赤字を計上するという深刻な問題を、ニュージーランドは抱えるようになりました。部分的には、輸入品に依存するような経済になったということもありますが、もうひとつは外国投資に対し、利益あるいは配当ということを非常に負っているところが多くなったということも、この国際収支上の赤字の理由になっています。
また、非常に規制が緩い・軽いということから問題が起こっている分野があります。市場に対する規制が緩いために、政府は再規制ということを考えなければいけないという事態も、今分野によっては到来しています。例えば、市場が破綻してしまったような電力の分野。そういう分野においては、再規制ということが議論されています。
それから、民営化をしましたが、その結果必ずしもすべてが順調に行ったというわけではなく、例えば、ニュージーランド航空の一部資本を、政府はもう一度買い直さなくてはならなくなっています。また、鉄道網の一部も政府が買い戻すということをやらざるを得ない状況になっています。それから、これについては後でもう一度お話しますが、国営銀行を再び、もう一度立ち上げるということをニュージーランドはしなければならなくなっています。
もうひとつは、公的な部門のサービスをいろいろと規制緩和をし、独立してしまったことで、パブリックセクターというものがバラバラになってしまったという問題が出てきました。公共セクターの経営を改革するということから、全くその公共セクターというものが混乱してしまっているというわけです。したがって、もっと効果あらしめるために、公共セクターの再統合を図ろうという動きが出てきています。それにより、政策的にもまた実務面でももう少し効果を発揮することができるように、再統合を図るという動きが出ています。
ニュージーランド国民に対して言われたのは、長期的に良いことをもたらすためには今の痛みは我慢しろということでした。しかし、その時に痛みを被った人達には、長い時間が経っても、約束された良いことというのは訪れませんでした。
88年から96年までの間に、貧困のレベルというのがニュージーランドにおいては倍になっています。それからまた、不平等も拡大しました。ニュージーランドにおいては、人口の5%の人が国民所得の25%を持つに至っていますが、国民の80%の人における国民所得におけるシェアは減っています。それから、政府の投資が、例えば保険分野あるいは教育分野、そういったところで減らされたことにより、政府がその要求レベルを満たすことができず、公共サービスのインフラ状況が危機的な事態となっております。また、いろいろな所で、インフラが瓦解するといった事例が出てきています。例えば、電力網が上手く機能しなくなっているとか。あるいは、水道システムに危機的な状況があるとか。それからまた、いくつかの主要な州・県においては、鉄道線が閉鎖され、非常に大きな問題が出てきています。
労働市場においては、いわゆる二重構造が生まれつつあります。それは、非常に熟練度の高い労働者は給料も非常に高い。そういう労働者群がある一方で、あまり熟練度の高くないような人たちは自分たちの雇用も非常に不安定であり、しかも、給料のレベルも非常に低い。そして、往々にして、この二重構造の下の方の部分にいる人達は、失業を余儀なくされるという労働市場の二重構造化が生まれました。
経済企画ということが、すべて市場に任せられた結果、地方、あるいは中小企業、そういったところが衰退を余儀なくされたという面も出てきました。未来は市場が決定するというモデルですと、国家として、将来というのはどういうビジョンになるのかということが、感覚的にも全く存在しないということになってしまいました。
1999年に誕生した新政権は、市場が経済を動かすようなシステムにするけれども、市場が社会を動かすような社会にはしたくないと。そういうことを言っています。しかし、その言葉以上のことが、どれだけ実行できるのかということはまだ不透明であり、これまでとは本当に違うことになるのかどうかということは分かりません。
それでは、公共部門のリストラ、公共部門の構造改革ということについてお話したいと思います。特に、日本においては、郵政事業を含め、いろいろと議論があるとお聞きしていますので、そういった問題も含めお話します。
公共部門のリストラ−構造調整ということになると、通常は三つの段階で構成されます。まず、最初の段階というのは公社化と言いましょうか、いろいろな事業をやっている団体・組織、そういったところが、あたかも民間のビジネス企業であるかのように、自分達の業務を行うようになっていくという段階です。
次に来るのが民営化という段階であり、国有企業が民営化されます。で、次に来るのが市場の規制緩和ということで、このような商業的に運営される公社であるとか、あるいは民営化された会社が、実際に仕事を行う市場の規制緩和です。このようなことを実行するための準拠法となったのが、1986年に法律になりました国有企業法です。
まず、この法律により、国営企業というのは成功裡に運営をしているビジネス企業であるかのような業務をしなければいけないということが義務とされました。そのように事業を行うに当たっては、民間企業と同じだけ収益性がなくてはなりません。そして、良き雇用主になること。そして、社会的な責任を示すことが求められました。
しかし、その雇用主としての役割、及び社会的な責任を果たすという役割ですが、それは民間企業でそれに相当するものと同じだけの収益性、及び成功を上げられる範囲において、という条件が付いていました。
もし、政府が国有企業に対して収益の上がらないような業務を行うことを求めるのであれば、政府は国有企業と契約の中で明示的な形でそれを示さなくてはなりません。そして、そのようなサービスを提供することに関して、助成−補助金を払わなくてはなりません。そのような補助金を提供して、収益の上がらないサービスを提供することを求められたことは、すべての国有企業全体を通じて見ても、過去16年間の間でわずか3回しかありませんでした。そして、その3回の事例いずれにおいても、継続期間は極めて短期的なものでした。
旧い構造では、議会があり、そして議会の中に大臣がいました。そして、次官がいます。そして、その省の中で仕事をする公務員がいるという形です。こうした人達の仕事は、オンブズマンによって監視をされ、情報公開法に基づいて情報公開も求められます。公的支出に関しては、会計監査院委員長による監査も受けることになります。また、特別委員会のプロセスを通じて、議会に対する報告義務も持ちます。
これに対して新しい体制はどのようになってきたかと言いますと、株主たる大臣、実際には株主は二人います。
財務大臣と国有企業担当大臣の二人です。大臣が取締役会の役員を任命します。取締役会は、法律によりその企業の運営に当たり、法律の規定にあるとおり民間企業と同じように事業を行うことが求められます。
国有企業の最高経営責任者−CEOは、決まった期間、実績ベースでの契約に基づいて雇用されます。国有企業の従業員すべてを雇う雇用主となるのが、最高経営責任者です。それとともに、その国有企業からの下請け、あるいは外注の形での事業活動も行います。この国有企業は、オンブズマン、情報公開法、そして会計検査院に対する説明責任があります。
しかし、商業的に極めて守秘性の高い情報に関しても、それを提供しないわけにはいかないのです。これについては、このような説明責任はアンフェアーであると彼らは言っています。なぜなら、競争を行う民間企業の場合には、同じだけの責任が求められていないからです。大臣と取締役会との間の関係は、一定の距離を置いた“アームス・レンクスの関係(arms- length relationship)”になっています。
毎年の意図表明が出されます。取締役会が最終的には、その年に関しての事業の目的、及び生産に関しての最終決定をすることができます。しかし、その意図表明に関して大臣が意見を付けることができます。その意図表明の中には、毎年、その年政府に対して支払う利益のレベルなども含まれます。それらの国有企業は、半年毎、及び一年に一回、議会に対し報告書を出すことが求められます。そして、特別委員会がそれに関して質疑を行うことができます。
国有企業に対する議会のコントロールということは、これ以上のものはありません。そして、すべての国有企業の事業に関しては、国有企業をモニターする機関である“クラウンカンパニー・モニタリング・アドバイザリーユニット(The Crown Company Monitoring Advisory Unit=CCMAU)”によってモニターされます。ですから、旧い政府の省の下にあった構造とは随分異なった構造になっています。それとともに、雇用関係も劇的に変化しました。
国有企業の初期の段階においては、政府の再編を大幅に行い、そして資産の売却などを行っていましたので、その結果としてたくさんの余剰人員が生じました。1987年から1991年の間に、政府に雇用されている職員の数が半減しました。国有企業の従業員は、その国有企業での仕事に関して、就職の再申請をしなければならなくなりました。そして、これまで公務員として雇われていたときと比べて、むしろ民間の企業の従業員と同じような条件で雇用されるようになったのです。
1991年に労働市場が自由化された以降は、より多くの国有企業の従業員が、短期契約に基づく雇用形態に変わりました。労働争議にもっていくのが非常に困難な状況にあったので、3年、4年、5年間ぐらいは、国有企業、及びその他の公的分野の事業活動に関して、実質での賃金引下げが起きました。
フルタイムの労働者が時間外残業を行う要求が増えてきました。しかし、そのような時間外労働、またシフトでの交替勤務、あるいは土日の出勤に対する追加的な割増しの支払いが少なくなる、あるいは全くなくなりました。そして国有企業は、ますますその事業の多くの部分を外注するようになってきました。
そのような形で、雇用者としての責任を負わなくてもよくなったわけです。
公社化ですが、これは二段階での民営化プロセスの中の第一段階です。国有企業の設立によって国の行う事業活動が改革され、そして売ることができるような形態になりました。その中身は、社会的な責任をなくしていくこと。また、人件費を削減していくということ。新技術への投資を行うこと。収益を上げることができるような企業に変貌させていくというものです。
また、このようなやり方を取ったほうが、政治的にも受け入れやすいものでした。もし、直接、第一段階を踏まず民営化をしたなら、もっと政治的に賛否両論が大きく巻き起こったことでしょう。国有企業を作るということについては、国が行う商業的活動に対し、明確な目標と新たな規律を課す必要性があるからということで説明がつくでしょう。しかし、その意図は、出来るだけ多くの企業を民営化させようというものであったということが後になって認められました。そして、実際、ほとんどの国営企業が民営化されました。
新政権は、これ以上の民営化はないと言いました。そして、先ほど申しましたが、実際に民営化をしたけれども上手くいかなかった企業を、再び国営化しなければならなくなりました。また、いくつかの未だ民営化されないで残っていた国有企業に関して、再び社会的な目的・目標を導入しなければならず、そのような試みが成されました。
例えば国営テレビ会社ですが、これは今では純粋に商業的な事業として経営されています。しかし、それに対し政府は公共放送サービスとしての責任も担ってほしいと考えています。しかし、今説明しているようなモデルの下に作られているので、実際にはなかなかそうはいきません。というのも、法律は純粋に商業的に運営されているテレビ会社に対して、社会的な役割を持たせることを認めていないからです。
1987年までの段階では、ニュージーランドの郵政事業は三つの機能を果たしていました。ひとつは郵便事業。そして、もうひとつは郵便貯金、貯蓄銀行としての機能。これは、主として小口口座としての銀行の機能です。そして、もうひとつが電気通信の機能です。1987年以降は、これらが三つの別個の国有企業に再編されました。ひとつがニュージーランド・ポスト。もうひとつがポストバンク。三つ目がテレコムです。
この新しい構造は、株主たる大臣との間で一定の距離を置く、アームス・レンクスの関係を持つという国有企業のモデルに整合したものです。いずれも主として、成功している民間事業として運営されることが求められました。
テレコムの方は、はるかに長い話になってしまいますので、私は、本日はニュージーランド・ポストとポストバンクの二つだけに焦点を絞ってお話をしたいと思います。
ニュージーランド・ポストは、1987年から国有企業として企業化されています。そして、再編されて結局は売却されるということが想定されていましたので、非常にアグレッシブな、積極的な形での商業指向の姿勢を取って活動を行ってきました。かなりの数の郵便局が閉鎖され、また、職員も相当な数が削減されました。
でも結局は、ニュージーランド・ポストは民営化されませんでした。というのも主として、政府が民営化するという公約をしたところ、政治的な要因が絡んできて、その介入ゆえに民営化の実現が難しい情勢が生じたからです。それとともに、ニュージーランド・ポストの姿勢にも変化が見られてきました。もはや短期的な再編を目指すのではなく、むしろ長期的な企業価値を高めることに主眼が置かれるようになりました。
政府はニュージーランド・ポストの民営化を行いませんでしたが、ニュージーランドの郵便市場の規制緩和を行いました。これはまた、異なった形での民営化と言うことができます。というのも、以前は政府の独占であった事業分野に、民間事業者が参入するようになったからです。規制緩和は段階的に行われるようになりました。
1992年の段階では、ニュージーランド・ポストが独占形態を維持していたのは、普通郵便の事業、及びUPUにおける代表としての立場のみです。1998年に政府は、郵便配達事業を完全に規制緩和するという法律を制定しました。その法案に対しての意見のほとんどは、規制緩和に対して反対のものでした。人々はプライバシーの問題、及び郵便のセキュリティー―安全性に関しての懸念を表明しました。また、民間事業者は、社会的責任、及び法的な義務を有していないことに関する懸念もありました。
そして、ニュージーランド・ポストが生き残るのが難しくなってきて、結局は民営化されるのではないかというように考えたのです。その当時の野党、今は与党になっていますが、その当時野党であった政党も、やはり規制緩和に対し反対の立場を取っていました。
しかし、この規制緩和を支持したのは、民間事業者、及びニュージーランド・ポストそのものでした。これは、ひとつには政治的な現実主義に立ったものであって、ニュージーランド・ポストとしては、これ以上規制緩和に反対しても、それで得るところはないと考えたわけです。それとともに、ニュージーランド・ポストは、来るべき規制緩和に対して備えるため、何年もかけて自らのマーケットにおけるポジションを強化していました。
1998年の規制緩和の際、約束されたものの一部がニュージーランド・ポストと政府との間で結ばれた、その会社の運営に当たっての“了解証書(The Deed of Understanding)”でした。この合意は取引であり、政府はニュージーランド・ポストに対しUPUへの代表権を2003年までは独占的に認めるという約束をしました。その見返りに、ニュージーランド・ポストは郵便料金の引き上げを行わない、地方においても無料の配達を続ける、そして、全国で郵便の配達の頻度を落とさないと約束しました。
しかし、この“了解証書”については3年毎に再交渉が行われることになっており、第一回目の見直しが、現在、期限2001年に行われているところです。また、将来の合意がどのような内容のものになるかということに関しては、何の保証もありません。しかも、そのような合意を持たなければいけないというような、法的な義務もどこにも存在していません。
ニュージーランド・ポストに関して非常に良い結果が出たという意味におきましては、財務的に、金融的な意味におきまして大変良い業績を上げることが出来ました。それから、手紙の料金ということに関しても、値上げをせず、事実90年代の中頃には料金を下げるということすらしました。
しかし、ニュージーランド・ポストの事業のやり方に関しては、いろいろと論議が巻き起こっています。ニュージーランド・ポストとして業務を始めた、特に、初期の段階においては、相当アグレッシブに業務を改革したということがあり、職員が大幅に削減されました。1987年には1万2,000名ぐらいいた職員が、92年には7,500名までに削減されました。残りのスタッフに関しては、例えばパートタイムであるとか、契約社員になるとか、一時的な雇用契約・雇用関係を結ぶような、そういう職員によって補われました。
それから、ニュージーランド・ポストは、郵便局の閉鎖を大幅に行いました。
ちょうどこの構造調整が始まった1987年当時には、全国で900箇所に郵便局がありましたが、4年後にはそれが300箇所に減りました。郵便局の閉鎖を巡っては、閉鎖に異を唱える訴訟がいくつか起こりましたが、訴えた方はすべて敗訴しました。なぜなら、裁判所の見解は、ニュージーランド・ポストが負っている法的な義務というのは、商業的な企業として業務を行うことのみというものだったからです。利益の出ないような郵便局を空けておき、その業務を続けるという責任は全く有していないというのが裁判所の見解でした。
二つ目に大きな議論の的となったのは、農村地域に郵便を配達する場合には、配達料として特別料金を課すということを巡る議論です。この種のサービスには、常に特別料金というものが付いてまわっていました。これは、常に存在していた料金であります。ただ、その特別料金を1992年に、ニュージーランド・ポストは倍にすると発表したのです。農民達は、この決定に関してもまた、裁判所に訴えました。しばらくの間、特別料金の支払いはボイコットされました。しかし、裁判所の判断は、例え独占的な企業形態として存在していたとしても、利益の出ないようなサービスを提供するという義務をニュージーランド・ポストは有していないというものでした。
もっと直近の議論になっている点としては、ニュージーランド・ポストがその業務を多様化するということで、国際コンサルタント業に展開をしていくということについての議論です。この動きは、ニュージーランド・ポストが郵便事業だけをやっているという事業体から脱皮し、例えば電力事業の経営に乗り出す、あるいは港湾の管理経営に乗り出すということの一環として出てきた話です。ただ一番大きな議論になっているのは、南アフリカ(共和国)の郵便事業を巡る話です。南アフリカの郵便事業を、利益が出るような会社に変えてあげるという契約を結びましたが、そのプロセスがほぼ終了を迎えつつあります。
こういった決定に至った背後には、もちろん、商業的な判断というのもあります。南アフリカの郵便事業というのは、今でも相当の赤字を上げる存在だからです。しかし、もう一つの理由としては、政治的な背景もあります。このようなリストラを南アフリカの郵便局に対して行うことで、大変多くの貧しい黒人の人達が住んでいるような地域において郵便局の閉鎖が余儀なくされました。
また、多くの黒人の配郵便達などの労働者が職を失ってしまうことになりました。
もう一つ議論の的になっているのが、ニュージーランド・ポストが反競争的な事業展開をしていると申し立てられている件です。競合他社に言わせると、ニュージーランド・ポストというのは、自分達の持っている全国的なネットワークを競合他社に使わせていないと。競合他社が郵便事業を行うときに全国的なネットワークを使うということは、了解証書にうたわれているにもかかわらず、ニュージーランド・ポストはそれを競合他社にオープンにしていないというように言っています。このような苦情を持った競合他社は、ニュージーランドにある商業委員会に異議を申し立てました。しかし、この異議申し立ても、結局は却下されてしまいました。なぜなら、ニュージーランドは、国として競争法に関して結構緩めの政策を取っている国だからです。
ただ、最近ニュージーランド政府も、競争法に関するスタンスを少し変えてきていますので、ひょっとしたらニュージーランド・ポストに関しては、今後はより厳しいチャレンジがかかってきて、今までのやり方を変えざるを得ないという状況になるかもしれないということが示唆されます。
今のところ、規制緩和ということは言われていますが、郵便市場、郵便配達市場ということに関しては、完全に、100%自由化がされているということではありません。なぜなら、ニュージーランド・ポストというのはやはりこの市場において、支配的な存在であり続けているからです。支配的な存在である理由について、もちろんそれが一番安いし、効率も良いし、それからまた、質の良いサービスが提供されているからですが、現在申し立てられているような反競争的な事業のやり方もあり、支配的な地位が維持されているのかもしれません。昨年は全国ベースの競合他社を作ろうという試みがありましたが、その試みは失敗しました。
ですから、本当の意味での競合他社といえるような存在というのは、隙間市場―ニッチ市場に特化をしている、あるいは特定の顧客に絞った事業体であるとか、非常に地理的にも限られた、局地的な所に集中をする事業体、そういうところだけが残っているのです。
したがって、ニュージーランド・ポストというのは、商業的にもかなり確たる立場を確保するようになったのですが、それだけではありません。国民からの強い支持も獲得するような存在になってきています。それはどうしてかといいますと、ニュージーランド・ポストがその態度を少し変えてきたからです。
以前ですと、アグレッシブに商業的な利益追求というところだけに専念をしていたわけですが、今ではもっと長期的な視野を持って、顧客満足度を何とか獲得するような組織になりたいと。そして、顧客の信頼を獲得することができるような存在になりたいと思ってきたからです。
しかし、ニュージーランド・ポストの将来は定かではありません。例えば、ニュージーランド・ポストをやはり民営化しようというような、国民党主導の政権が民営化を決定する可能性もあります。競争法が厳しくなるということは、利益を上げる体質を維持し続けることを難しくするかもしれません。
しかし、ニュージーランド・ポストとしては、大きなライバルは、競合他社というよりは電子的なやり取り、すなわちEメールのようなものから来る脅威の方が大きいと思っているようです。したがって、失ったビジネスの補填は、どれだけ他の分野に多様化をしていくことができるかに懸かってくるでしょう。
でもそのこと自体、多様化をするということ自体も論議の的になっています。
ただ、ニュージーランド・ポストにとって一番大きな脅威はどこから来るかというと、UPUに対する独占的な郵政庁としての代表権が剥奪されるところでしょう。98年に出来た法律により、ニュージーランド政府は、UPUに対する代表を持つ権利を、民間の郵便事業者1社あるいは1社以上に対して、その権限を与えることができるようになりました。
これがニュージーランド・ポストに対して商業的に影響することは間違いあ
りませんが、それと同時に“了解証書”で取引材料として出ていたものに対する保証も無くなるわけです。すなわち、取引材料として、社会的なサービスもそれではやりましょう、配達も必ずやるようにします、農村に対する配達もちゃんとやりますといった、その保証も無くなるわけです。
次に、ポストバンクがどうなったかということを見てみたいと思います。歴史的に言うと、この銀行は、いわゆる国民銀行と呼ばれるものでした。低利の融資を提供する銀行であり、そして庶民のための口座を開設する、そういう銀行でした。
このポストバンクが公社化され、いわゆる国営企業になったのが1987年です。そのとき、社会的な責任というものはポストバンクからは無くなり、純粋に商業的な銀行として運営されるようになりました。2年後にオーストラリアの銀行―ANZ銀行に売却されました。その時点において、高度に自由化が進んだ金融市場の中にたくさんある銀行の中の単なる一銀行になりました。
銀行市場、あるいはバンキング・セクターが規制緩和されたということが多くの懸念を生み出しました。1986年の金融市場規制緩和により、銀行の種類は一種類だけになりました。そのひとつのカテゴリーに属している銀行が、ありとあらゆるサービス、銀行絡みのサービスを提供できるということになったのです。何行ぐらい銀行があればいいかという、数についても制限が無くなりましたし、外資がニュージーランドの銀行を保有するということに関しても、何ら規制が無くなりました。
規制緩和が進んだ市場において、すべての国有の銀行が売却されました。そこで、売却された銀行というのは、例えばバンク・オブ・ニュージーランドとか、ルーラル・バンクとか、まあこういう銀行の名前を言いますと、日本人の方の中には、この動きの中で大損をされた方がたくさんいらっしゃると思いますので、あまり銀行の名前は言わないほうが良いかも知れません。
民営化が行われた後で、多くの銀行が統合・合併しました。これを可能にしたのは、やはりニュージーランドの競争政策というのが緩めのものだったからです。今、ニュージーランドのバンキングシステムを支配しているのは、オーストラリア系の銀行が4行、英国系の銀行が1行です。これらですべてが支配されています。それから、外資によるコントロール―支配の度合いというのも相当高いものがあり、現在ニュージーランドのバンキングシステムの99%は外国銀行が支配しています。ニュージーランド人が所有している銀行がどれだけのビジネスをしているかと言うと、ニュージーランド全体のバンキング市場の1%以下です。銀行に対しては、いかなる形でも政府の保証というものは提供されていません。
雇用問題、これもバンキングシステムの中では非常に大きな問題になっています。なぜなら、過剰人員だということで相当整備されましたし、また、整理された部分に関し、再雇用で埋め合わせるということが行われなかったケースが多かったからです。この4年間で銀行が上げた利益というのは倍になりましたが、その間銀行で働く人の数は25%減です。また、銀行で働く人達は相当深刻なストレス上の問題を抱えています。
銀行の規制緩和・民営化が原因となり、非常に大きな社会問題も発生しました。1990年代に銀行支店のうち40%が閉鎖されました。これが一番打撃を与えたのは農村であり、地方によっては、銀行は一軒も無い、しかもATMのマシーンすら全くないといったような所が生まれています。それからまた、金融面で疎外される、排斥されるという問題も生まれてきています。
そうれはどういうことかと言いますと、新しく手数料とか、料金とかそういったものが銀行システムの中に導入されたことにより、特に狙い撃ちされたのが貧しい人達、それから小口の預金を持っているような人達なのです。例えば、預金をしようと思っても、口座を開設するために必要なだけの預金額を持っていない。十分な信用力を持っていない。それからまた、例え口座を開設できたとしても、口座をずっと維持するための料金が払えないという人達です。
したがって、慈善団体、ニュージーランドではフードバンクと呼ばれており、ここで食料品などを受け取ることができる慈善団体があるのですが、そういったところが慈善行為として口座を開設し、口座が開設できない人のためにそれを提供しているということすらあるくらいです。
なぜ口座を開設することが必要かというと、政府が社会福祉給付、例えば生活保護のようなものをいろいろ払うわけですが、それを支払うときには銀行口座を持っている人にしか支払われないのです。ですから、福祉給付を受けようと思えば、どうしても口座を持たなければならない。口座を持っていなければ受領できないということになってしまうからです。
ただし、代替的な手法もいろいろ編み出されており、例えば全く銀行の無いような地域社会においては、コミュニティー・マネーエクスチェンジャーというものが生まれたりしています。それは顧客と、それからその町ではない、どこか他の町にある銀行との間の金融仲介業的な役割を地域社会ベースのマネーエクスチェンジャーがやってくれるという仕組みです。しかし、これらがすべて上手くいっているかと言えば、上手くいっているもの、上手くいかないものいろいろです。
それから二つ目の代替策として導入されたのは、電子的にバンキングをより大きく行うというものです。ひとつのやり方はもちろん、ATMですが、もう一つはEFTPOS(エフトポス)と呼ばれるデビッドカードのような仕組みです。
銀行の支店が通常だったらやるような業務の多くのサービスというのは、ATMで行うことができるようになりましたが、それでも全部の業務が機械によって置き換えられるわけではありません。しかも、そのATMがいつでも使えるわけではないし、それから特に、高齢者などの場合にはATMの機械の操作がしにくいという事情もあります。
それからまた、ATMを使う際の使用料も上がり気味です。いわゆるバンキングといって良いかどうか分かりませんが、バンキングに代わるひとつの共通の形態として最近浮かび上がっているのが、日本で言うデビッドカード、向こうではEFTPOSと言われているものです。このデビッドカードを使って物品を買うわけですが、通常その物品を買うと同時にお金を引き出すということをやったりするわけです。ですから、その小売店主というのが、言ってみれば全然銀行からお金をもらっていないけれども、銀行家に代わってそのお金を出してあげるという作業をしている状況が生まれています。
ですからこの準銀行というような形で仕事をしている店舗においては、それなりのお金を蓄えておかなければなりませんので、これは治安上、保安上大きな問題となっています。これは多くのお客様にとっては非常に便利なものです。
銀行ではなく、店舗を使って預金の引出しをすることができるからです。しかし、もっと幅広い銀行業務、銀行サービスということに関しては利用することができません。
もうひとつの選択肢としては、インターネットやコールセンターを経由してのテレフォンバンキングの利用を増やすというやり方です。しかし、ここでも非常に上手くそういったバンキングのやり方を使いこなせる人もいますし、それは苦手でできないという人もいます。
全体としてこのような変化により、銀行システムに対する信用と支持に関し非常に深刻な問題が生まれています。非常に興味深いことですが、ポストバンクを買収したANZバンクが、今年の調査によると、一般市民からの支持率がこれまでで最も低い18パーセントしか得ていないということです。
このような様々な理由により、新しい国民銀行を作ろうという圧力が生じています。新しく作られる予定の銀行は、キウイバンクという名前です。キウイといいましても、キウイフルーツではありません。ニュージーランドの国の鳥、キウイから来ている名前です。このような動きですが、一部には政治的な動きから来ています。連立政権を構成している、連立政権の中での少数与党が、このような銀行を設立しようという政策を打ち出しました。連立与党の多数政党は、この考えを支持してはいませんが、政治的な取引の一環として、最終的にこの考えを受け入れることにしました。しかし、官僚は強く反対しており、このような形で政府の新しい事業体を作るという考えについては、引き続き否定的な立場を崩してはいません。なぜなら、官僚は政府が商業活動に参加すべきではないと考えているからです。
それとともに、そのような銀行を作った場合には、単純に商業的な責任ばかりではなく、社会的な責任も負わされるのではないかということに関する懸念もあるからです。それとは別の理由としては、極めて競争の厳しい銀行市場において、そのような新しい銀行が商業的に生き残ることができるかどうかということについて、完全に確信を持っていないからです。
そして、野党の国民党もこのような新しい銀行の創設に関しては反対の立場をとっており、もし自分たちが政権を取った暁には、そのような銀行は民営化すると公約しています。そのような様々な批判があるにも関わらず、このキウイバンクの設立を進めるという決定が既に成されています。そして、最初の支店を持っての事業の開始が年内にも予定されています。
この銀行はニュージーランド・ポストの子会社の形で、ニュージーランド・ポストが所有し、子会社の形で運営されることになります。ニュージーランド・ポストは、これは政治的、あるいは社会的な要因に基づいての決定ではなく、規制緩和が成されている郵便事業の中でのニュージーランド・ポストの多角化の一環であると位置付けています。
この銀行は、国有企業の中に作られることになるので、法律ではこの銀行にも商業的な目的のみを追求することを求めており、社会的な責任を負うことはうたっておりません。政府は、この銀行に対して何ら保証は行わないと名言しています。
したがって、新しく設立される銀行に関しては、長所・短所両方があります。
ニュージーランド・ポストはこの銀行が成功すると考えています。その理由は、国民がニュージーランドが国として所有する銀行を欲しているというものです。
そして、ニュージーランド・ポストは、この銀行が他行に比べてより低い料金を提供することを約束しています。もっとも、その料金というのは、商業的に生き残るために採算の合う銀行であり続けるために、十分な程度の水準でなければなりませんが。
ニュージーランド・ポストは、この銀行が非常に魅力的なものになるであろうとも言っています。なぜなら、その事業はニュージーランド・ポストの拠点である郵便局やポストショップで行われることになりますので、お客様としては、ひとつの所であらゆる取引が可能となるからです。さらに、国民の支持も得られるであろうとしています。なぜなら、ニュージーランド・ポスト自体が国民の非常に高く評価されるようになってきているからです。
しかし、一方ではリスクもあります。この新しい銀行が成功するためには、既存の銀行から、顧客を引き付けなければなりません。口座を、既存の銀行の口座から新銀行に口座を移すと答えた人の割合は、昨年は40%であったのが、今年は16%と減少しています。リスクは外にもあります。先ほど言ったマネーエクスチェンジャーや他のニュージーランドの銀行が生き残れないだろうということです。というのも、同じ顧客を巡る競争になるからです。
政府保証がつかないから破綻するのではないかとの懸念もあります。即ち、政府保証なしでは、国民が新しい銀行に対して十分な信任を置かないであろうという懸念なわけです。そして、もしこの銀行が破綻してしまったときには、庶民が損を被ることになるのです。そしてもうひとつ、かなり現実的なものとして、来年末に政権交代があった場合、民営化されるのではないかとの懸念があります。
では結論に入りたいと思います。この私どもニュージーランドの経験を日本に当てはめて考えてみたいと思います。
郵便事業と郵便貯金事業が別個の事業体であっても、同じネットワークを使って事業を行うことは理にかなっていると思われます。しかし、改革には明確な理由がなくてはなりません。そして、その理由というのは、経済な目的、社会的な目的、及び文化的な目的の間でのバランスをとったものでなければなりません。純粋に商業的なアプローチを取った場合には、財務面では成功するかもしれませんが、純粋に民間的事業として運営される国有企業は、社会的なコストを負担しなければならないことから、ビジネスに長期的なダメージが生じてしまう可能性があります。そして、社会的な保護の欠如は、社会的に不利な状況にある人、あるいは労働者といった人々を脆弱な状態にしてしまいます。
そして、私が引き出した二番目の結論は、非常にラジカルな規制緩和を行った場合には、その状況がさらに悪化するというものです。ニュージーランドにおける郵便事業の規制緩和の結果として、効率性の向上というのはあまり多くは見られていません。完全な規制緩和は、ニュージーランドの郵便事業、及びニュージーランドの国民を非常に脆弱な状態にしてしまうでしょう。というのも、民間の事業者がもたらすものについては、何ら保証がないからです。ニュージーランドでは、金融部門の規制緩和を実施した結果として社会的問題が出てきました。そして、ニュージーランドの銀行システムが外資の手に渡りました。新しく作られる国有の銀行が、このように極めて規制緩和の進んだ環境の中で生き残れるという保証は全くありません。そうなると、むしろ最初からやらないという方が、より容易な答えということになります。
そして、私が引き出した三つ目の結論ですけれども、郵便事業−ポスタルサービスは民営化すべきではありません。国際市場は、すべての国民に対し安定的かつ長期的な質の高いサービスを提供することはできません。安全性と平等性と効率性のバランスが取れた状況を提供するというのは、国家の役割なのです。一度民営化されたものを、もう一回作り直すということはとても難しいことです。一方、売らないというのは、そんなに難しいことではありません。
もし、結論ということで大胆にも、現在行われている議論において日本はどうすべきかということに関して私の見解を述べさせていただくならば、日本は郵政事業に関して、明確なビジョンを持つべきだと申し上げたいと思います。
このビジョンというのは、日本という国としてのビジョンの一環を成すものでなければなりません。そして、短期的な、例えば5年先といったビジョンということであってはなりません。そうではなく、30年先を見越して、日本の郵政事業が何を達成したいのかということを見据えてのビジョンでなければいけません。
日本は独自のモデルを持つべきです。単に他の国から輸入したモデルであってはなりません。そして、その改革というのは、達成したいゴールに行きつくための様々なオプションを十分に調査、検討した上で、正当な理由付けが行われなければなりません。そのなかには、検討するモデルのコスト便益を、それぞれしっかりとリサーチすることが含まれます。そして、そのコスト便益分析には、経済的、社会的、分化的な目的に関する分析が十分に反映されていなくてはなりません。
そして、開かれた形での議論をしっかりと行うことによって目標を達成しなくてはなりません。ただ単にひとつのモデルを決めて、これをやっていこうと、ただ推奨するだけではいけません。
一旦そこで改革すると決めて実践したならば、今度はその目標に照らし合わせて効果をしっかりとモニターしていかなければなりません。やってみて、あまりにもこれはコストが高過ぎると判断された場合には、それを変えることが出来るだけの十分な柔軟性を持たなければなりません。
ニュージーランドの場合にはそうしたことが出来なかったからこそ申し上げるわけです。日本の場合には、ニュージーランドとは違った道をとって前進することが出来る可能性・チャンスが目の前に広がっているということを最後に申し上げたいと思います。そして、皆様のご努力のご成功をお祈りしたいと思います。
長時間ご静聴どうもありがとうございました。
(以上)

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