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http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20050618k0000m040106000c.html
原爆60年:米テネシー州で記念行事 日本人との間に溝
【オークリッジ國枝すみれ】米テネシー州オークリッジで16日、原爆開発60周年記念イベントが開かれ、マンハッタン・プロジェクトと呼ばれた原爆開発製造計画に関与した研究者らと家族約70人が参加した。参加者のほとんどが「原爆投下は戦争終結のため必要だった」と話し、「原爆」に対する日本人との溝の深さを感じさせた。
オークリッジは広島に落とされた原爆に使用されたウランを分離・濃縮した工場があり、プルトニウムを生産したワシントン州ハンフォードや、原爆の設計製造を担ったニューメキシコ州のロスアラモスなどと共に、マンハッタン計画の中核となった。
アラバマ州の医師リチャード・シェパードさん(79)は45年春からオークリッジの工場で働いた。「原爆投下のニュースを聞き、戦争が終わったとほっとした。投下しなければ、もっと多くの米兵と日本人が死んだ」と話した。シェパードさんは海軍から同工場に派遣されたが、訓練で一緒だった友人はほとんど戦死したという。
レセプション会場では、日本の報道陣を意識したかのように、1人の女性が立ち上がり、「亡くなった父は原爆の開発をしたことに誇りを持っていました。罪の意識や後悔は感じていませんでした」と発言。大きな拍手を浴びた。この町の人々は、日本人が繰り返し、原爆の罪を主張し続けることに大きないらだちを感じ続けているという。
原爆投下を正しいとする見方は、核開発の歴史と共に歩んできたオークリッジ市民の意見でもある。原爆開発に携わった自分たちの歴史と照らし、「原爆の正当化」はどうしても譲れない点なのだろう。核兵器を製造保管するY−12施設で働く研究者、レイ・スミスさんも、「原爆は町を破壊し、死者を出したが、恐ろしい殺し合いを終わらせた。戦争終結の役割を担ったことを誇りに思う」とまで語った。
原爆開発計画は極秘だったため、オークリッジは49年までは地図にも存在しない「秘密」の町だった。郵便物の住所は別の町になっていた。「口が軽ければ、船が沈む」。町に住む7万5000人の研究者たちはウランという言葉を使うことも、勤務地を話題にすることも禁じられた。マンハッタン・プロジェクト歴史保存会のマイケル・ビッキオ代表は、「原爆開発の重要な歴史を保存したい」と話した。そこに、キノコ雲の下の惨状への思いは感じられなかった。
毎日新聞 2005年6月17日 21時35分
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(長崎市、丸田徹館長)が主催する初めての原爆展が6日夕(日本時間7日午前)、米イリノイ州のシカゴ平和博物館で開幕した。シカゴは、世界初の核分裂連鎖反応実験が行われた土地だが、展示物を見た市民から驚きの声も上がった。8月14日まで、被爆地の惨状を訴える。
黒焦げになった遺体や大やけどを負った少年少女、きのこ雲の写真パネルなど41点、被爆資料23点を展示している。
会場の一角では、13歳の時に爆心地から850メートルの地点で被爆した吉田勝二さん(73)=長崎市片淵=が被爆体験を語った。顔に大やけどを負った被爆直後の写真も今回、海外で初展示した=写真。【シカゴ小山内恵美子、写真も】
毎日新聞 2005年5月7日 東京夕刊
アインシュタイン:手紙6通寄贈へ 原爆の苦悩にじませ [毎日]
http://www.asyura2.com/0502/bd39/msg/872.html
投稿者 ネオファイト 日時 2005 年 6 月 13 日 22:15:57
原爆投下、市民殺りくが目的 米学者、極秘文書で確認(ジェラス・ゲイ|江原 元のページ)
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html
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