★阿修羅♪ > 議論21 > 977.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 「労働者」という言葉の終わり、「連帯」の終わり、「社会的運動」の終わり 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 9 月 25 日 01:45:22)
は確かにあります。
この分化された労働者同士が団結できるのか?
と問われれば非常に難しいと言えましょう。
問題は、資本家に雇われるしか生きる術を持たない賃金奴隷として自らを意識できるかどうかです。
どんなに高給を得ているかは問題ではありません。
クビになれば職を探さねばならないでしょう。
同じような職にありつけるかどうかは分かりません。
この「労働力以外に生産手段を持たない。」という事が労働者の定義です。
家を持とうが車を持とうが失職して手放せばならなくなるのであれば一緒です。
問題は、このような意味においていかに表面上の収入に差があっても仲間であるという事が分からないという事です。
労働者に自分の味方が誰であるのかを見分ける力を持たせるべきです。
そんな力があれば小泉や前原は勝てなかったでしょう。