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(回答先: いやはや 投稿者 侠骨 日時 2005 年 9 月 18 日 11:01:49)
結局は大多数の有権者に届いている情報の体系が一定の方向付けをされているという問題では無いでしょうか?
その意味ではクエスチョン氏が提唱するブログによる情報再吟味の作業が膨大に必要なのでしょう。
「改革=善」といった刷り込みが今回行われました。
この場合に「この改革って何なのだろう?」という疑問を発し、
その疑問に共感した者同士の対話が組織されるべきでした。
マスメディアに登場した主要な論調に対して批判的に吟味するという風土を打ち立てていかねばなりません。
マスメディアの言う事をそのまま鵜呑みにするだけではあらぬ方に持って行かれるゾ!
という警告も常に行う必要があります。
国民の多くは主要メディアの言う事を聞いて「まあ、そんな意見が妥当かな?」ぐらいで流していってるのだろうと思います。
批判の重要性を訴える必要があるのです。
例えば、教育現場において、批判の重要性をどれだけ教師が教えているでしょうか?
むしろ、書かれている事を「理解」する事だけが教育の目的になってしまっているのでは無いでしょうか?
書かれている事に対して何かの例を持ってきて批判するという事が行われているのかな?と考えます。
ネットにおいてようやく批判する事が市民権を得たような気がします。
日常のほとんどの場面において批判は「無難にその場をやり過ごす」事に対する妨害として忌避されているように思われます。
ネットでも自分の投稿に批判レスを付けられたら逆上する御仁がまだまだおられますが、批判に対して反批判をするというやり取りの中でのみ認識が向上するという事が
ご理解いただけいない気がします。
何もこちらはケンカを売っているつもりは無いのです。
より認識を深める為に批判しているダケなのです。
私自身の為でもあり、相手の為にもなると思って批判しているのです。
批判とケンカの違いを付ける文化を育てていかねければと思います。