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(回答先: 『電車男』はやらせではないのか? 投稿者 南雲和夫 日時 2005 年 8 月 20 日 23:03:51)
少し内容が南雲和夫氏の投稿とずれるかもしれません。
私は電車男を小説、映画ともに目を通していないので、「やらせ」も含めた電車男にこめられた背景などの断定は出来ない。
しかしこの作品のもとになったのは掲示板「2ちゃんねる」である。「電車男」以前からしばしばテレビや新聞のニュースなどで同掲示板は取り上げられていた。もっともそれは犯罪などの予告書き込みによって犯人が逮捕されたという「負」のイメージである。
これから書くのはあくまで私の想像である。
そういった「負」のイメージを払拭するのと掲示板の訪問者を増やす目的で作られたのではないかと思うのである。そうするためには2ちゃんねるを知らない人も「対象」になっているかもしれない。そのためには「恋愛」という一般的な話を構築し、それを本にする。もちろん話の内容もあらかじめ計算されつくした物語を使っている。
次にそれを映画やテレビドラマという媒体を使って広く人々に伝える。本当に宣伝のためなら別に他の話でも何でもいいのだ。それなら「韓流」純愛ドラマのブームと同じように人々が受け入れやすい「純愛もの」を採用したと想像できる。
そして人々が小説や映画、ドラマを楽しむ。もちろんその内容自体に強烈な政治的メッセージが入っているわけでもない。しかし、その物語の要所要所に掲示板独特の書き込み・言葉をちりばめる。人々は知らず知らずのうちにそれを受け入れる。
そして、この一連の「物語」が掲示板の書き込みが発端で作り上げれたものなのだということを知る。人々は興味を持ってそのもとになった掲示板「2ちゃんねる」を訪問するということになる。
そしてここからが重要で(強引な結び付けになると思うが)、とても人々が思っていた「純愛」や「純粋」な世界と思いきやそこはもう皆さんがお分かりのような世界が待ち受けている。政治的にも相当偏り、人を罵倒するのを何とも思わない「異常」な世界があるにも関わらず「電車男」を読んだ、見た、聞いたという人はあまり気にせず(小説、映画、ドラマで独特の「言葉」は慣れている)掲示板を見ていく。やがて人々は2ちゃんねるの常連になり、知らず知らずのうちに政治的にも人格的にも2ちゃんねるの影響を色濃く受けてしまっているのだ。
これこそ2ちゃんねるの狙いであり、「客」が増えると同時に「思想」までも変えてしまおうとしているのではないか。