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(回答先: 「官僚機構を非効率と腐敗をさけて運用するノウハウを避けて官僚集団の権益を維持拡大するノウハウ」が既に確立して居る 投稿者 たけ(tk) 日時 2005 年 8 月 14 日 00:12:46)
なかなか鋭い。とくに次の点は全くその通りだとおもいます。
『そのノウハウを維持するメンタリティというのは、日本の人が、権力の腐敗を自分たちの力で防止しようという意思です。
ところが、日本の人は、「偉いヒト」をナイーブに尊敬してしまうか、逆に「どうせ政治家は悪いことをやっている。政治家などその程度のものなのだ」と諦めてしまうかのどちらかが多いようです。』
これを前提にしてどうするかですが、先ず「何故そうなのか?」を考えて見ました。色々あると思いますが、少なくとも江戸時代以来の国内が平和な時期には、現在を含めて日本の民衆は、権力の横暴や腐敗から著しい被害を被った経験が殆どないことが最も大きいと考えて居ます。
テレビ時代劇の定番である「腐敗した役人と悪徳商人がつるんで、善良な人々を直接ひどい目に遭わせて収奪し、私服を肥やす」と言うケースが絶無とは言いませんが、現実には殆どなかったと思います。そのような事例が在れば、これは記録や稗史のネタとして残ると思いますが、あまり見た事がない。
当時の行政官は武士であり、子供の時から「良い行政官になる」ように教育されました。当時の学問と言えば殆ど儒学ですが、私の知る範囲では儒学そのものが「良い行政官とは、如何に考え行動すべきか」を扱った学問です。だからこそ幕藩体制下の幕府や各藩は、家柄と共に儒学の素養を上級行政官登用の目安にしたし、中国の歴代王朝や李氏朝鮮は科挙制度で「儒学の知識と教養」に秀でて居ることをエリート行政官任用の唯一の基準にして居ました。
ここで「家柄」が出てくるの日本だけですが、「行政官の清潔さ」と点から見ると、これは大きくプラスに働いたと考えます。武士の子(長男)として生まれると、彼の最大の使命は「祖先から引き継いだ家禄を、間違いなく次の代に引き継ぐこと」とされました。学問を修め、行政官として出世する事は、むしろその為の重要な手段でした。
元々家禄によって最低限の収入と地位が保証されて居たから、「ばれると家禄を失うおそれがある」ような酷い腐敗行為に手をつけるリスクを冒すの愚者は、極めてまれだった筈です。
ここで良く誤解されるのが「付け届け」の慣行ですが、これは腐敗ではなく、半ば制度化された慣行です。例えば初めて「役付き」となり家禄に加えて役禄をもらえるようになると、上役だけでなく、色々「お世話になった」人々に、その人の地位や自分との関係に応じて「何を送るべきか」は、こと細かい慣行が出来て居て、贈る方ももらう方も「当然の仕来り」と考えて居ました。
その上幕府の制度は「能率より腐敗防止」に重きを置いて居ました。例えばあるポストに同時に複数の人間を任命して同じ権限を持たせ、相互牽制で悪いことが出来ないようにして居ました。だから「お役所仕事」と言う言葉に込める感情は、袖の下などの腐敗や不公平に対する苦情であるより、杓子定規や時間が掛かって、付き合って居ると(こちらの)能率が上がらないと言う不満です。
だから日本での「支配者と被支配者」の関係は、ある日突然、馬に乗った異民族の大群が押し寄せて、財物や女をかっぱらって引き上げるとか、「言葉も違う異民族の領主」として居座り、武力を背景に「税」や娘を取り上げると言う歴史的な経験が生々しい国々とは、「支配者と被支配者」の関係が全く異なり、「支配者を見る目」が違うのは止むを得ません。
これは簡単に変わる話ではありませんが、見方を替えて「日本の官僚制度や役人は、役に立たない/居ない方が良いほどに悪いか?」を考えて見ます。
私は世界水準から見て、決して悪い方でないと思います。末端のサービス水準で見ればかなり良くなったと言うのが実感です。かつて「非能率・不親切・横柄」のお役所仕事の代名詞になって居た「区役所も窓口」は、昔とは全く変わって居ます。
逆に悪くなったのは上の方、キャリアのエリート達でしょう。戦前や戦後復興期の先輩達にくらべ、使命感と(良い意味の)プライドが著しく欠けて居ます。現在の上級公務員制度は、この「使命感とプライドが欠けて居る連中」を前提とすると、甚だしく実情にあわない。先ず手を付けるべきなのは、此処からだと思います。
最後に「政治家のクリーンさ」について。日本人は潔癖すぎると思います。政治とは、もともと論理的に黒白の付かない私的利害の対立をほぐす機能です。元来がきれい事ではない。ところが「色々と仕事はしたが、ヤバイ金もやりとりした田中角栄」より、「目にたつ悪いことはしないが、政治家として何をやったか判らない三木武夫」の方が人気がある。
私はむしろ私腹も肥やすが、その何十倍も国益に貢献する政治家が望ましいと思います。