★阿修羅♪ > 議論21 > 628.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 「官僚」とは目障りだが、大きな組織には不可欠な存在 投稿者 NOVO 日時 2005 年 8 月 13 日 19:10:41)
>世界中には10万単位の人員を抱える多くの巨大企業が立派に運営されているのだから、「官僚機構を非効率と腐敗をさけて運用するノウハウ」は既に確立して居ると考えられ、これからも洗練されて行くだろうと期待できます。
>
>日本の官庁にも、これを持ち込めば済むはなしです。
そうは簡単にはいかない。
戦後の民主化でそのようなノウハウが持ち込まれたのですが、占領直後から長期間にわたって徐々に骨抜きにされてきた、というのが戦後の日本の政治制度史です。
その結果として、日本の官庁や大企業の官僚社会には「官僚機構を非効率と腐敗をさけて運用するノウハウを避けて官僚集団の権益を維持拡大するノウハウ」が既に確立して居ると考えられるのです。
そして日本の国民には、「官僚機構を非効率と腐敗をさけて運用するノウハウ」を維持するためのメンタリティが欠けているように見えます。
「官僚機構を非効率と腐敗をさけて運用するノウハウ」というのは要するに、権力は腐敗するということを前提認識として、腐敗を防止するためには風通しと日当たり(参加と監視)が必要であるということです。
そのノウハウを維持するメンタリティというのは、日本の人が、権力の腐敗を自分たちの力で防止しようという意思です。
ところが、日本の人は、「偉いヒト」をナイーブに尊敬してしまうか、逆に「どうせ政治家は悪いことをやっている。政治家などその程度のものなのだ」と諦めてしまうかのどちらかが多いようです。
官僚の「官僚機構を非効率と腐敗をさけて運用するノウハウを避けて官僚集団の権益を維持拡大するノウハウ」というのは、いろいろあります。巧妙に制度を複雑化してグレーゾーン(行政指導とか天下り用の独立行政法人とか)を増やしていく、人事権を自分たちで持つ(教育委員会の公選廃止とか、大臣は官僚に対して人事権を行使できない慣行にするとか)、参加や監視がなされないように運営する(秘密主義)、参加や監視を求める個人や集団に対しては徹底的に嫌がらせをする、もしくは逆に資金援助や人的援助を通じて抱き込んでいく、などなどいろいろな方法があります。
そして、おそらく、日本の人は、官僚の本音を敏感に感じ取っているのでしょう。官僚集団に対して、風通しと日当たり(参加と監視)を求めることが彼らの逆鱗に触れることも知っているのでしょう。なので、「官僚機構を非効率と腐敗をさけて運用するノウハウ」を主張することに及び腰なのです。
問題は、日本の人が、全体として、そういった現象に対して危機感を持っていないことかもしれません。主権者教育の問題ということになります。しかし、主権者教育も官僚の本音の逆鱗に触れるので、難しかったりします。
あな、むずかし・・。
* 日本の人の美徳は目上の人(権力者)を崇拝して、彼らから人治的な目配りを期待することです。日本人はそのような小集団の関係の中で生きています。そのような政治意識からは、「権力は何もしない」政治制度を期待することになります。慣行の反復とちょこまかとした目配りだけしか行わない権力ということです。江戸幕府などは「権力は何もしない」政治制度に近かったのではないか? 現代社会の国家や巨大組織にそれを期待するのは、不可能を期待するというものでしょうに。