★阿修羅♪ > 議論21 > 623.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 人頭税は、昔から財政にとって手っ取り早い増収策ですが・・ 投稿者 ジャン 日時 2005 年 8 月 13 日 10:30:17)
元朝が人頭税を導入したと言う話は面白いですね。
南宋の税制が「戸や集落的なまとまりに対して賦課されていたらしい」と言うのは、その通りだったと思います。これは「水田稲作」という、むら単位の水利の開発・維持管理や、田植え時などでの共同作業の必要から、徴税もこの生産組織を単位にするのが合理的です。
日本でも中世から戦国時代に荘園制が崩壊して武家の支配が確立する時期には、荘園主や武士とムラ単位で交渉して納税額を決め、ムラの責任で納税する方法が普及して居ました。その交渉の基礎になって居たのは「土地の生産力の見積もり」ですが、これは長年の実績から、交渉の両当事者が認め合う基礎資料があったと思います。
秀吉や徳川幕府の初期には、検地を行い、武士が直接知行地から年貢を徴収することも行われましたが、やがて「労多くして効すくなし」で、実務を名主などのムラ役に一任する「ムラ請け」が普及しました。南宋と同じ経済基盤だったからです。
ところが元朝を作った蒙古族は「騎馬遊牧民」です。彼ら騎馬遊牧民の経済は、自分たちの家畜以上に、「遠征に行って略奪した戦利品」の収入に依存して居たのは、江上波夫の「騎馬民族国家」を読むとよく判ります。
南宋の「ムラ請制」は、資料に基づく交渉をベースにして居た筈ですが、これには手間と時間がかかり、遊牧民の感覚に合わない。そこで「お前のムラは何人だから、幾ら出せ」と言う話になったのではないでしょうか?