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(回答先: 「労働価値」概念について少しでも便秘改善ができれば... 投稿者 あっしら 日時 2005 年 8 月 05 日 14:26:11)
あっしら
【このような立場が、近代世界を“自然的所与”を考え分析する近代会計学や近代経済学と異なる説明体系になる理由です。】
一般貨幣を用いた近代経済システムとは別の経済システムまで包括する概念であるわけですから、
近代経済システム的誤解を避けるためには、「労働価値」の説明や定義は慎重に行う必要があります。
あっしら
【生産した財は期待する価格で売れるか定かではないし売れるかどうかさえわからないものですが、活動(労働)過程で価値が既に形成されているという考え方は、近代が歴史的(期間限定的)な経済社会の在り様であるのなら、近代と異なる経済社会を考えるために極めて重要になります。】
近代経済システムは期間限定どころか、非常に短い寿命しか持たないガン種のようなものでしょう。
しかし、だからと言って、「生産活動(労働)過程で価値が既に形成されている」という見方には疑問もあります。
近代以前の経済システムでも、生産活動による財の産出がそれ自体完結したものではなく、「交換」、あるいはそれ以前の「贈与」をもって事後的に価値が付与されるという考え方も成り立つと思います。
例えばムラの内部での交換は、対等な相互の財やサービスのやりとりだと思われます。
我々は他者に受け取ってもらうために財の生産を行うのであり、
受け取りを拒否された財に価値が本当にあるといえるのかは疑問です。
また、複数のムラを束ねる王政や帝国では、王への貢納や用益の提供と王からの下賜という形で交換が行われていたと思います。
前近代経済モデルでも、労働による財の生産で価値が決定されているわけではなく、
その後の贈与(あるいは相互贈与である交換)によって価値が決定されているのではないかと考えます。
その交換によって決定される価値は、近代経済システムでは「価格」として現出するものではないかと思います。
その価格は労働終了時点で客観的に財に内在できると見ることが妥当とはいえません。
財の価格は(近代以前のシステムなら価値は)、一定の社会的認知枠の下で相手側が決定するもののように思われます。
以上の疑問は、「労働価値」という概念の有効性を否定するものではありませんが、
この概念で直接「価格」を有効に分析できるのか、という点には疑念を覚えます。
あっしら
【固定資本形成を通じて「労働価値」が変動(上昇)する論理は、これまでの近代史そして今後の近代史を見通すために極めて有用です。
「労働価値」の上昇は即活動(労働)力販売価格=賃金の上昇ではありません。「労働価値」の上昇が賃金の下落を招くことも多々ありました。
「労働価値」の貨幣表現は、ある歴史的断面では可能だとしても、同じ衣類を1着つくるためにどれだけのひとの活動(労働)力を要するのかという普遍的基準と同じではありません。】
ここのあたりは了解しました。 というか確認的な質問を行ったわけです。
(あっしら)
【「労働価値」が固定資本減耗を含めた生産費に似た概念であることを認めながらも、経営的判断基準に近い理論価格や定常価格といった別の概念に置き換えることはできないと思っています。】
数値的指標としては、同一品質財については、「生産数量/生産費」に近いように見えます。
(あっしら)
【【負債+資本の部」すなわち「資産」から、事業活動に使われているわけではない有価証券類を控除したもの】は、資本概念の説明であって、労働価値を説明したものではないはずです。】
了解しました。 これも確認です。
あっしら
【日本という国民経済社会が、テレビ1台をつくるために、部品・部品のための生産設備・組み立てのための生産設備を含めてどれほどの活動(力)を必要としているかが、「労働価値」を意味するとお考えください。】
これも了解しました。