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(回答先: 論点2:資本概念及び「労働価値」について [すみちゃんへのレス] 投稿者 あっしら 日時 2005 年 8 月 02 日 03:08:31)
ありがとうございます。 実はまだ分かりません(笑)。
あっしら: 【経済主体が保有している生産手段総体の現在価値で、通貨額で表現される。】
労働価値の単位は通貨である(円、ドル、ユーロその他)であるということでよいですか?
あるいは、その資本が属する経済圏に主として流通するあれこれの通貨ではなく、何かもっと抽象的な概念ですか?
あっしら:
【その時点の「負債+資本の部」すなわち「資産」から、事業活動に使われているわけではない有価証券類を控除したものとお考えください。】
了解しました。
あっしら:
【価格理論や資本の論理全体に関わるもので、需給バランスで価格が決定されるわけではなく、財が生産されるために要した活動(労働)の量が価格を決定する主要因という見解を「労働価値」という概念で現したとお考えください。
財もサービスもひとの活動成果であり、その活動の量が交換価格の主たる規定要因です。
そうであっても、市場で交換されるとき、活動の量=「労働価値」がそのまま価格になるとは限りません。
「労働価値」よりも高く売れれば利益を獲得し、「労働価値」よりも安くしか売れなければ損失を被ります。
「労働価値」は、単純再生産レベルであってもその値で価格化しなければ存続できない水準であり、「労働価値」を上回る価格での販売は利潤をもたらすというものです。】
例えば1単位の財の生産活動に投じられた資本の通貨評価金額=
市場における1単位の財の販売価格
であれば、利潤(あるいはマイナス利潤)は発生しないということですか?
あっしら: 【「単位労働によって生み出される財の生産数量」という理解で問題なく、その増加(上昇)は固定資本(生産設備)の質的向上ないし一人当たりの固定資本装備額の増大によって達成されると考えています。】
こちらは相変わらず「財の生産数量」なんですが。
もしかすると、生産した財の販売=一般貨幣への転化という考え方で、
財の生産数量と財の理論販売価格合計(利潤とマイナス利潤とが発生しない価格)とを同一視しているわけでしょうか?
1単位の財の生産活動に投じられた資本の通貨評価金額=
1単位の財の生産活動に投入された労働価値
という理解は正しいんでしょうか?
そこでですが、1単位の財の生産に投じられた資本評価金額が低下するということは、
労働価値も低下するということになりませんか?
1単位の財の生産に投じられた資本評価金額が低下するということは、
労働価値は上昇しているんですよね?
次に、労働価値の上昇によって、従来1個の製品を生産できていた設備から、ごく僅かな無視できる資本投下によって2個の製品を生産できるようになったと仮定します。
この場合、1単位の財の生産に投じられる資本の通貨評価額は1/2に低下します。
この場合、労働価値は2倍に上昇するんでしょうか?
しかし、この場合に閉鎖経済を考えますと、その財の生産にかかわる賃金の総体が変わらないとすると、財に対する需要総額は変化しません。
そうしますと、単位財の販売価格は1/2に低下します。
この場合には、1単位の財の生産に投じられる資本の通貨評価額と単位財の販売価格とは同じなので、利潤もマイナス利潤もありません。
この場合、労働によって生み出される財の販売金額は総体として変化しないので、労働価値は何ら変わらないということになりませんか?
しかし、単位労働あたりの財の生産数量が2倍になったということは、もちろん豊かさを実現しているわけであって、労働価値は上昇したとしか考えられませんね?
というわけで、概念的な整理と切り分けとをお願いしたいと思います。