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利潤、交易、一般貨幣、市場の外部性
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投稿者 すみちゃん 日時 2005 年 8 月 03 日 22:37:09: xnvpUXgHxuDw6
 

(回答先: 論点1:通貨及び近代経済社会の特質  [すみちゃんへのレス] 投稿者 あっしら 日時 2005 年 8 月 02 日 03:07:25)


昨日は旅行に行っておりましたのでレスが遅くなりました。 お待たせして申し訳ありません。

前回は、立場を整理するための質問を行いました。
今回はもう少し先まで踏み込むつもりです。 できるかどうかは別として・・・・


あっしら: 【現存する近代経済社会を「一般通貨による財やサービスの交換を可能とする市場が経済生活の全面を覆うにいたったシステム」と捉えると、表層的理解はできても、その本質が見えなくなると考えています。】

【近代経済社会は、上述のような経済構造と異なり、銀行家と労働者(活動力販売者)が大きなウエイトをもって存在しています。
近代経済社会の通貨は、政治的統合主体である政府部門が財や用役を手に入れるために発行することではなく、[中央]銀行が貸し出し(債券類の購入も突き詰めれば貸し出し)のために発行することで流通を始めます。
近代経済社会の通貨は、財の交換を目的として出現するわけではなく、利息の取得(資本増殖増殖)を目的として出現するものです。
また、農業であれ工業であれ自立した経済主体は減少し、自己の活動力を売る以外に生存維持ができない人々が増大していった歴史過程が近代の大きな特徴です。】


このスタンスは理解しました。

確かに市場による財やサービスの交換と、財やサービスの数量的、一般的価値評価という側面を強調することは、利潤という動因を見失わせる結果となり、また組織化された金貸しと労働者という、近代に特有の存在を見えにくくする結果となります。
表層的に見える、かくかくしかじかの諸要素よりも、深層の動因に注目するべきであるというスタンスには感銘を受けます。

しかし、市場は、それほど表層的なものでしょうか?
市場は共同体に対して外から到来してきたものであり、商人に利潤の機会を与えることによって、利潤と同様に共同体に対して破壊的な作用をもたらすものではないかと思うわけです。
ここで、私は、市場は表層的なものではなく、一般貨幣、利潤、そして共同体間(通貨圏間)交易と深い関係のあるものではないかと考えます。

原初的には、商人が共同体間交易によって利潤を得、その利潤を定着する媒体が一般貨幣であり、そのような交易の場を市場と呼ぶべきではないか?

そして、やがて市場=一般貨幣による取引が共同体内部に深く入り込み、共同体を、利潤獲得=資本増殖活動の場へと作り替えていく過程で、ご指摘のように、
投機的商人が、金融家と産業資本家に分裂したと考えることができます。

また、共同体内で、ムラ的人間関係とか、あるいは土地貴族との貢納=分配関係にまどろんでいた家族 親族は、分業を行う労働者として雇用され、貨幣を得ることで初めて生存を確保できる存在となっていったと考えることができます。

ここで、金融家は、一般貨幣の市場,つまり金融市場での取引によって利潤獲得を目指し、
労働者は、労働市場で自分の労働力を金融家または産業資本家に販売することによって生活の糧を得るようになったと言えます。

財やサービスの交換を通じて利潤獲得を目的とする市場(「一般市場」とでもいうべきか?)だけではなく、金融市場と労働市場でも、やはり財やサービスの交換を目的とする市場と共通の原理が働いていると見ることができます。

それは対立当事者の合意によって交換対象の価格が事後的に決定され、その価格が不断に、動的に更新されていくという点です。

このような見方をすれば、近代経済社会を、経済生活の広い側面を市場取引が包括するようになった社会であると見ることは可能であると考えます。
ただし、このような見方の「有用性」は別です。 これは別に検討する必要があります。


あっしら: 【近代の象徴が機械化された大規模工場である産業だとすれば、自前の生存維持条件をなくした労働者(活動力販売者)の相当ボリュームでの存在が不可欠ということになります。
労働者(活動力販売者)を擬制的に商品販売者と位置づけることはできますが、彼らが資本と結合して活動した成果こそが交換される財やサービスですから自立的な経済主体とは言えず、外形(見掛け)のみないし便宜的説明として交換取引をしている“擬制の経済主体”でしかありません。】


確かに、労働者は、己の目的を持つ存在ではなく、利潤獲得活動へと向かって労働と財と土地とを有機的に組織していく産業資本家の手足であり、それ自体が独立的経済主体であるとは言えません。
特に、近代の最大の特徴である、資本投下による財やサービスの創出と、市場でのその財やサービスの交換を通じた利潤獲得=一般貨幣増殖活動をみていく上で、労働者を独立経済主体として見ていくことが有用であるとは私も考えません。

その一方で、労働力とその対価(労賃=一般貨幣)の交換を行う労働市場は重視されなければならないと考えますし、労働市場における交換が擬制の交換と呼ぶべきものかどうかは疑問を持ちます。

マルクス経済学では労働力商品という言葉があるのだそうですが、これは私も不勉強で何のことかわかりませんし、どうでもよいです。

労働力と労賃との交換を行う労働市場は、稀な例外を除くと、構造的に労賃の低下へと向かう正のフィードバックが働きやすく、
これが産業資本家にマクロ的に剰余価値がもたらされているという誤解を広範に生じた原因となり、また構造的なデフレーションの原因ともなるということです。


あっしら 
【「資本増殖活動」を近代経済社会の基本論理とするのは、それが経済主体の活動目的であり存続条件だからです。
産業資本であれば、投下した資本(貨幣)よりも多い資本(貨幣)を財の生産・販売を媒介として得ることが目的であり、それができない状況が長期化すれば撤退を余儀なくされます。】

【上述したような自立した“市民”(経済主体)たちの貨幣を媒介とした交換経済が自然成長的に近代経済社会に進むことはありません。
そこでは、資本を増殖できる条件もありません。資本の増殖は利潤の獲得によって成し遂げられるものであり、経済主体間の交換からは利潤は発生しないからです。
以前から説明していますが、“真の利潤”は外部経済社会からしか得ることができません。
近代経済社会に進むためには、外部経済社会から貨幣的富を獲得する条件・貸し出しを始源とする貨幣供給・労働者(活動力販売者)が必要であり、それらを実現するためには政治権力の行使が不可欠です。】

【近代産業は生産設備のために膨大な投資を求められます。それは、多量の貨幣が物に化けて固定化されることを意味します。固定化された設備を使って、投下流動資本を超える回収を実現するとともに、固定資本の償却費及び追加的固定資本の原資を稼がなければなりません。
追加的設備投資を行える条件を保持していなければ、“過剰な供給(生産)力”を構造的宿命とする近代経済(産業)社会では、競争に敗北し撤退を余儀なくされます。
“過剰な供給(生産)力”という条件こそが、全面的貨幣経済=全面的商品化を形成する動力です。
金融資本は、このような産業資本の経済論理を好条件として「資本増殖活動」を展開します。】


このあたりは、近代経済社会の理解として特に違和感を感じません。


あっしら
【近代経済社会でも、産業資本の資本は土地や生産設備といった物で保有されています。
資本が貨幣というのは金融資本です。金融資本でさえ、貨幣資本は貸し出し債権や債券という別のものに転化させなければ増殖させることはできません。
金融資本の強みは、ものに転化させたはずの貨幣がすぐさま自分のところに戻ってくることです。(これは、中央銀行を含むすべての銀行が単一の金融資本家によって所有されている経済世界をイメージしていただければ理解できます)
近代貨幣の究極的権能は「他者の支配力」です。
「財やサービスの数量的価値表示、すなわち一般貨幣」は、機能であって本質ではありません。
「財やサービスの数量的価値表示、すなわち一般貨幣」の使用は、資本増殖活動を効率的に行う手段というレベルで捉えておけばいいのではないでしょうか。
使い勝手は悪いし反発も噴出しますが、効率的資本増殖=「他者の支配力」の増大は、財やサービスの“配給”でも可能だと思っています。】


最後の二行は意味がわからず、論点が拡散しそうでもあるので、とりあえず無視させて頂きます。

利潤が共同体間(通貨圏間)交易でしかもたらされないことは当然であり、そもそも商業の発生は共同体の外との交易に求めるべきものです。

抽象的な話は疲れるので例を挙げます。

例えばローマ帝国の遺跡からは漢の絹織物製品が多数発見されています。
絹織物は西洋では生産できない神秘の産物であり、貴族間で人気がありました。
この絹織物は、漢の南部地域で生産されており、それを貿易風や季節風を利用してインド、紅海を経由してローマに運んだと言われています。

インド、中東の商人は、漢とローマにおける絹織物の莫大な価格差(100倍にもなったと言われています)、および絹織物が軽量で運搬しやすいという特徴に目をつけ、難破の危険を冒して異なる共同体間での商品の運搬を続けたそうです。

漢の内部では、絹織物の需要は飽和しており、大量生産すれば価格崩壊を招くという状況下において、ローマという新たな輸出先を発見したことによって、絹織物の生産に弾みがつき、商人には儲けを、漢には莫大な貿易黒字をもたらすことになりました。

ここでローマは金貨をもって支払いを行いました。 この金貨はインドや漢からも出土しているそうです。

例えばインド商人や中国の絹織物生産者がローマ帝国の法定金貨を受け取り、その金貨の増殖を目的として交易事業、絹織物の生産事業の拡大を目指すということは何を意味しているでしょうか?

インド商人や絹織物生産業者がこのように絹織物の代替交易物品を求めるのではなく、金貨を受け取り、その蓄蔵と増殖とを目指すところに、一般貨幣の発生を見ることができます(歴史的な事実ということではありませんが、一つの考え方として提示しています)。

このローマ金貨は刻印があり、容易に数量を計算することができます。

このローマ金貨をもって、ローマ帝国産品の購入を行なえるようであれば、金貨は、異なる物品の一般交換手段、価値表示手段としての自己を確立したことになります。

やがて歴史の経過とともに、金貨からはその属性が徐々にはぎ取られていき、最後にはペーパーマネーとして流通するようになりますが、この段階は、共同体の解体と労働者の資本による組織化をおえた段階であり、別の水準にあると理解します。

このような取引(外部共同体との交易)による利潤の発生=一般貨幣の蓄蔵は、互いに切り離すことが難しい一体のものとして存在しているように思われます。

論点が広がりすぎるので、近代までいかず、このへんでいったん終了します。

「他者支配」といったあたりは、飛躍があるようで理解が難しいので、更なる説明か、あるいは関連投稿の指示をお願いします。

以上、乱文失礼いたしました。

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