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(回答先: デラシネさん 縄文時代は重要な問題になります。 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 8 月 01 日 08:54:11)
不平等発生と縄文時代、それがどのように結びつくのかという問題になります。
まず不平等発生起源とはどのようなものかということから入ります。
一言で言えば現代社会での不平等とは経済的格差があることです。
一方は金をより多く持ち、またその金が金を増やしていく富の層に対し、
方やその反対側にいる層は家族を養うため必要以上の労働を自らこなして行かなくてはならない。最近の傾向としての企業が不況の時のために、いつでも雇用を解除することが出来る派遣社員・パートタイマー・アルバイター等の労働者であり、労働を売っている側にとっては不安定な雇用状態であります、仕事をさせてもらうと言うことから必要以上に肉体をすり減らしています。
現在の社会で家族を養って行くということはその一家の大黒柱である男性にとっては日夜生活するための安定した金銭を月一でも家に持ち帰らなければならない。それでも現在の生活を維持していくためには、必要としている買い物を控えたとしてもマイナスになるときがある。そのとき招き入れるかのように笑顔で語りかける消費者金融のコマーシャルをふと思い出してしまう。
泥沼にはまりこむというよりも、蟻地獄の入り口と知りながら安易な気持ち(本人にとっては安易ではない)からつい手を出してしまう。
無担保・無保証、だが決してそんなことはないのです。金を借りれば返済をして行かなくてはならない。それは借りたもの自身が返済という責任を負うことになる。無担保・無保証ということを武器に、預金者の銀行預金よりもはるか高い利子で貸し付ける。働いて返すという本人の未来の労働が担保となっているにもかかわらず、銀行は消費者金融との提携と称し差益の上がる金貸しえと力を入れて行く。
金を借りるということは未来の労働を担保に取られているということを忘れてはならないのです。
方や金を貸すほうは借りた側の返済という責任から、現代社会の契約を武器に相手方の未来の労働をきっちりと押さえ、金が金を生むという現象の上に胡坐を書き、後は毎月の支払いを待つという鵜匠の役割に没頭すればいいということになります。
金を貸した側は、借りた側の未来の労働を抑えることが出来、借りた側は本人の未来の労働を抑えられたことになります。
この現象が許されている社会。なぜ許されるのか。それは概念として「他者の労働の私有化が」が当たり前のこととしてまかり通っている社会があるからである。
「他者の労働の私有化」という概念、それは何もこの一例だけではなく社会全体がこの概念が当たり前だと植え込まされている。すべての事柄にこの概念が大手を振って歩いているといいきれる社会なのです。
そこから、何時・どこで・この概念が発生したのかということになります。
そこで、日本における縄文時代が日本だけではなく、やがて世界の注目を集める形でクローズアップされてくる。つまりこのような人間の労働を他者によって私有化されてない社会が日本の縄文時代にあったということです。