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(回答先: 話がそっちに行っちゃいましたか(笑) 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 7 月 29 日 14:15:37)
> また、何が科学的であるか、非科学的であるかといったところにも、混同がある。
>それは、養老氏の文章を読まれた瞬間において、即座に「否定の為の否定」に走られたことでわかります。
>
>何故、氏の短い文章から、反証不能な箇所を切り取って反論を試み、氏の意図しないところを作為的に曲解し、「この学者は・・」と侮辱するのでしょうか?
>全体の文脈からは、氏が何を言わんとしているのかは、子供でもわかることですが。
「子供でもわかること」というのは、
≪一般の人となると、もっと科学を絶対的だと信じているかもしれません。
しかし、そんなことはまったく無い。
例えば、最近では地球温暖化の原因は炭酸ガスの増加だ、というのがあたかも「科学的事実」であるかのように言われています。
この説を科学者はもちろん、官公庁も既に確定した事実のようにして、議論を進めている≫
と、
≪科学は多数決ではないのです≫
といったようなことでしょうか。
しかし、前者で「地球温暖化」論議の例をもってきて論ずるのは小学生もしないような誤りでしょう。
「地球温暖化」で「CO2説」を信じている人はその説を信じているのであって、彼が言うように「科学を絶対的だ」と言っているのではない。
「CO2説」を信じている人のなかにも、「科学」は「絶対的だ」と思っていない人もいることでしょう。つまり、例として「地球温暖化」論議をあげるのは養老氏の誤った論理です。
後者の「科学は多数決ではないのです」。これはガリレオ・ガリレイの話を知っている人であれば誰でも知っていることです。もちろん僕にも異存があるわけはありません。
また≪「これは“CO2増加によると推定される”という風に書き直して下さい」≫もまったく正しい。
しかしよくないのはその後です。
≪その際に、後で実はその推論が間違っていたとなった時、非常に問題が起こる可能性があるからです≫
≪非常に問題が起こる可能性≫という言葉は具体的な幾つかの起こるであろう問題を想像した上でないと言えないような言葉です。単にあてずっぽうで言っているのでなければ。
僕はCO2原因説を信じて≪日本が京都議定書を実行するにあたっての方策、予算を獲得して、林に手を入れていくこと等々が話し合われた≫ことを実行に移した際に、実際に≪非常に問題≫になる可能性というのはどういう事象のことなのか、ちゃんと書くべきであると言っているのです。そうでないと”非科学的”だと言っているのです。
僕にはそれで人類や地球が困るようなことになるという具体的な事例が思い浮かばないです。
> 反論を試みられる前に、敢えてこういった枕詞を用いられることは、宛ら「ベストセラーを読む連中など、馬鹿である」という侮辱と受け取られます。
>>ご紹介の“科学の危うさ”を読んで二つのことを思いました(僕はベストセラー本はまず読まないので、この『バカの壁』もこれまで読んだことがなかったのです)。
これが何故そういうことになるのか全く理解不能です。
「ご紹介の“科学の危うさ”を読んで二つのことを思いました」。これは単なる事実の記述にすぎません。
「(僕はベストセラー本はまず読まないので、この『バカの壁』もこれまで読んだことがなかったのです)」。これは『バカの壁』が大ベストセラーであり、多くの人が読んでいるので、「読んで二つのことを思いました」と初めて読んだようなことを書いたことに対しての単なる補足です。
ちなみに、僕がベストセラーをまず読まない理由は……「それは私にとって(誰にとっても)何の意味もなさないこと」だろうなので、書くのはやめます。
> 槌田エントロピー理論
エントロピーの話はよくわかりますが、次のものなど20年前の東京と今の東京の気温を比較してみれば多分矛盾するものでしょう。
> 都市気象、ヒートアイランドですね。ホコリで一杯になって、その中では、もはや空気は動かない。
20年前の東京は光化学スモッグだのなんだのと今より空気は悪かったと思います。京浜工業地帯など夜でもひどい悪臭が漂っていて(三重県の四日市もひどかった!)、他の地域から来た人など”カルチャーショック”さえ起こしかねない有様であったのでは?