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(回答先: こんなアーティクルを思い出しました。 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 7 月 27 日 16:02:10)
ご紹介の“科学の危うさ”を読んで二つのことを思いました(僕はベストセラー本はまず読まないので、この『バカの壁』もこれまで読んだことがなかったのです)。
> 最近、私は林野庁と環境省の懇談会に出席しました。
そこでは、日本が京都議定書を実行するにあたっての方策、予算を獲得して、林に手を入れていくこと等々が話し合われた。
> おそらく、行政がこんなに大規模に一つの科学的推論を採用して、それに基づいて何かをする、というのはこれが初めてではないかと思う。
その際に、後で実はその推論が間違っていたとなった時、非常に問題が起こる可能性があるからです。
これを読むと日本が如何にも「京都議定書」などでも良い成績を残すかのようなふうに印象づけられますが、それは事実に反するということ(これは日本は環境政策では進んでいるという誤解がこれ以上蔓延しないようにするためにも言っておく必要があると思います)、また「予算を獲得して、林に手を入れていくこと等々が話し合われた」云々等のことが現実に実行された場合、何が「非常に問題が起こる可能性」があるのでしょうか。
仮にCO2原因説が誤っていたとしても、そのCO2削減を目標にしておこなわれる様々な取り組みは、もともと人類と地球にとっては必要な環境政策といえます。何が「非常に問題が起こる可能性」なのか、その肝腎なことを書かないこの学者は、自分の論のために”非科学的”にこういう事案を利用しているだけのように思われます。
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もう一つの「失われた10年」〜みんなでヨハネスブルグへ行こう
http://www.all-waseda.com/html/culture/0622_1.html
(2002年6月22日 前鎌倉市長 ラボ地球市民代表 竹内 謙)
探検部での大学生活
私も早稲田大学理工学部(土木工学科)に籍がありましたが、授業に出た記憶はほとんどありません。毎日、探検部というクラブ活動に明け暮れていました。
当時は京都大学に探検部ができて、関東では早稲田が最初でした。京大探検部をつくったのは、今西錦司、梅棹忠夫、川喜田二郎といった京大人文科学の大御所たちで、探検部の目的が人類学、民族学、生態学といった自らの学問と一致していました。
一方、早稲田の探検部をつくったのは、関根吉郎という理工学部(応用化学)の先生、歯に衣着せぬ毒舌で有名な早稲田の名物教授でした。関根先生のもう一つの顔は、早稲田山岳部で鳴らした登山家で、早稲田探検部の性格は自ずと京大の学究派と対照的に行動派になりました。
関根先生の口癖は「アングロサクソンの書いた世界史を日本人の目で書き換えろ」でした。例えば高校の世界史では「1850年、アフリカ探検に出掛けたイギリスの宣教師、リビングストンがビクトリア瀑布を発見」なんてことを習うわけですが、関根先生にいわせれば「アフリカには古代から現地人が住んでいるんだ。それを発見とはおこがましい」ということになる。
そのころ日本は海外旅行がまだ自由化されていませんでした。観光旅行は許されませんから、パスポートと外貨の発給を受けるために、まず大学の許可をとることにみんな苦労していました。そこで海外遠征に関心のある運動部や文化部が大同団結してつくったのが探検部でした。
多くの仲間がアジア、アフリカ、中南米、オーストラリアなどの、あまり日本人が行ったことのないところへ出掛けて行きました。私自身、学生という比較的若い時代に、異民族、異文化に接した旅は大変に貴重な経験でした。お陰で授業からは遠ざかるばかり、大学を出てからは新聞記者、しかも理工学部とは何の関係もない政治記者、さらには市長をする運命になったのも、多分に学生時代の活動が影響していると思います。
さて、海外旅行が自由化(1964年)されて40年近く経ちます。年間1800万人が海外に出かけています。旅行を通じて確かに日本人は昔に比べれば世界を知るようになりました。しかし、いまは国際情勢の変化のスピードが激しい時代です。しかも複雑化しています。日本人は依然として世界のなかで生きているという国際感覚には乏しい面があります。とくに大学生にもっともっと世界を知ろうという意識と行動力がないと、これからの国際社会についていけなくなるのではないかと心配します。
その一例として、今日の講義に「失われた10年〜みんなでヨハネスブルグへ行こう」というタイトルを掲げてみました。
優等生から劣等生に成り下がった日本
「失われた10年」という言葉はいろいろなところで使われてきました。いま、一般的に言われているのは、バブル崩壊後の日本の低迷する経済に関して、何らの有効な施策をとれないまま10年が過ぎてしまったことを揶揄して使われています。
この10年を振り返って、私は経済ばかりでなく、地球環境にとっても、その恵みを受けて生存している自然にとっても、そして人類にとっても、「失われた10年」であったと思います。
1992年、ブラジルのリオデジャネイロで「地球サミット」が開かれたことは皆さん承知しているでしょう。全世界の首脳、つまり国家のトップ(国王、大統領、首相など)が歴史上はじめて一堂に会した会議でした。なぜ、世界中の首脳が集まることになったのか。それは全世界が協力して取り組まなければならない地球規模の問題が深刻化し、人類の将来に黄信号が灯ったからです。いろいろな治療法を約束した「アジェンダ21」と呼ばれる文書が採択され、世界が力を合わせて取り組む決意が表明されました。
この10年、その成果はどうだったでしょうか。地球温暖化に例をとりますと、CO2排出量は世界全体で9%増加しました。増加傾向は一向に止まりそうもありません。
リオの地球サミットでは「先進国は2000年までに1990年レベルに安定化させる」ことが約束されました。EUはこれを守りました。フランス(+6%)やイタリア(+5%)のように増加した国もありますが、ドイツ(−15%)やイギリス(−8%)の大幅減少でEU全体では−2%でした。成績がよくないのがアメリカ(+13%)、カナダ(+17%)です。日本も+10%と、約束を大幅に超過しました。
しかも、この間、経済はずうっと低迷していました。経済は拡大しないのに、エネルギー消費は延びるという2つの面での「失われた10年」だったわけです。
経済成長とCO2排出量の関係について、日米欧を比較してみると下表の通りです。
経済成長率 CO2排出量
日本 10% +10%
米国 32% +13%
EU 18% −2%
日本は年平均1%程度の低成長(ここ3、4年はほとんどゼロ成長)にもかかわらずCO2排出量は10%増え、EUは日本より高い年平均1・7%の成長をしながらCO2排出量はマイナスという鮮明なる優劣を見せつけられることになりました。
もう1つ、中国についても触れておきたいと思います。先進国はこれから途上国が経済規模を拡大して、大量のエネルギーを消費することが地球温暖化の大きな要因なると心配しています。その代表格が中国ですが、中国は年平均7%(10年で2倍)という高度成長をしながら、2000年のCO2排出量は1995年に比べて10%減少したことが、最近発表された米国の研究機関の情報にあります。急増し続けてきた中国のCO2排出量は97年をピークに減少傾向に入ったというのです。「中国の統計資料は信頼性が乏しい」という悪口を言う人もいますが、少なくとも「失われた10年」の日本にそういうことを言う資格はありません。中国は90年頃から環境政策に積極的に取り組み始めており、その頃からしばしば現地で取材してきた私の目には、その成果が現れだしたものと見えます。
かつて「省エネ優等生」といわれた日本がどうしてこんな劣等生に成り下がってしまったのか、ここはしっかりと考えなければならないところです。
安値原油に安住した経済と政治の無策
劣等生の中身をもう少し詳しく見てみましょう。1%の経済成長をするのにどのぐらいエネルギー消費を増やしたか、つまり、エネルギー消費の伸び率を経済成長率で割った値を「エネルギー弾性値」といいますが、日本のエネルギー弾性値は73年のオイルショック以前はずっと1以上でした。エネルギー多消費型の産業の拡大が経済成長を支えてきたともいえましょう。
それが一転、オイルショック以降は一貫して1未満に下がりました。70年代後半は0・26、80年代前半は0・12、80年代後半は0・77です。各産業が省エネ技術を開発し、しかもエネルギー多消費型からエネルギーをあまり使わない高付加価値型へと産業構造の転換を進めた結果の現れです。これが「省エネ優等生」といわれた根拠です。
これが90年代になると、エネルギー弾性値は再び1を超えることになります。90年代10年間の合計は1・43です。つまり、1%の経済成長をするのに、1・43%のエネルギー増を必要としたことになります。地球温暖化防止の必要性を世界中の首脳が確認し、エネルギー節約型の産業、社会構造に転換する取り組みを決意したにもかかわらず、世界一級のノウハウや技術力を自負する日本がそれにこたえられなかったばかりでなく、後退してしまった事実は深刻です。このことこそが「失われた10年」だと思います。
例えば、一番CO2排出量が増えた旅客輸送部門をみると、CO2排出量は35・2%増です。交通量は9・7%増に留まっているのに、どうしてこんなに悪化したかと言えば、1人を1キロ運ぶに必要なエネルギー量(エネルギー原単位=CO2/人・キロ)が23・3%も悪化してしまったのです。89年までは横ばい〜低下傾向にあったものが、90年代から急速に上昇しました。個々の車についてみれば燃費は改善されたのですが、物品税を廃止して贅沢な車の税金が安くなりましたから、消費者は大型化(3ナンバー)にシフトし、全体として車のエネルギー原単位は悪化したのです。温暖化防止という面からみれば完全な政策の失敗といえます。
自動車ばかりでなく、産業界全体として、原油価格が安かったことに安住した傾向があります。温暖化防止の技術開発に資金や人手を使うよりも、安い石油を使ってCO2問題には頬被りしている方が得だという後ろ向きの姿勢になってしまったのです。さらには、温暖化防止の国際ルールができる前に努力してしまうと、その分だけ低いレベルが日本の基準になってしまうから損をするという「せこい考え」を公言してはばからない人たちもいたのです。その意味では社会の発展に背を向ける「堕落の10年」でもあったのです。
グローバリゼーションと南北対立
さて、今年8〜9月に再び「地球サミット」が南アフリカ・ヨハネスブルグで開かれます。今度のサミットで将来への道は開けるのだろうか。結論から言えば明らかに「No」と言わざるを得ません。
ヨハネスブルグ・サミットの正式な会議名は「持続可能な開発に関する世界首脳会議」であり、温暖化防止だけでなく、貧困、水、衛生、農業など地球規模のさまざまな問題を扱いますが、これまで4回の準備会合では、ほとんどすべての争点について合意に達することができず、すでに「ヨハネスブルグ・サミットは失敗」の声が出ています。
原因は何か。先進国と途上国の対立が解けないのです。これは10年前のリオ・サミットの時からの継続した懸案で、途上国側の言い分は、「途上国が貧困や環境破壊、伝染病や飢えに苦しんでいるのは、現在の貿易体制や先進国の巨大な多国籍企業のせいで、先進国がもっと資金を出して貧困問題を解決することが先決だ」ということです。
たしかに、リオ・サミットでも、この問題は最大の争点で、先進国側は途上国援助(ODA)を「GDPの0・33%から0・77%に引き上げる」と約束しました。ところが、この10年間の実績はどうだったかというと0・22%、つまり、リオ・サミット当時の3分の2に減少したのです。途上国の債務はこの10年間で34%増加しました。
貧富の差もこの10年間で一層拡大しました。世界全体で所得の多い上位20%の人々と下位20%の人々の所得格差は、UNEP(国連環境計画)の報告(99年)によると、1960年に30対1であったものが、90年は60対1、90年代はさらにそのスピードを上げて(97年に74対1)います。
ヨハネスブルグ・サミットの論議を進めるために、EUは再び「GDPの0・7%拠出」を言い始めていますが、米国が「途上国の自助努力」を強調して反対、日本、カナダ、オーストラリアが同調している状況で、どうもうまくいきそうもありません。
「9・11同時多発テロ事件」が起こって以来、「グローバリゼーション」という言葉をよく聞くようになりましたが、グローバリゼーションは米国のひとり勝ち、「富める国と貧しい国」の格差をますます広げているという深刻な問題を孕んでおり、じつはヨハネスブルグの焦点もここに集まってきました。
人類の明日を切り拓く3つの突破口
それでは、人類の将来は、絶望的なのか。そんなに絶望的に考えるぐらいなら、こんな話をするはずもありません。今日の結論として、3つのことを言いたいと思います。
1. 自然と文化を見直そう
産業革命以来、工業化文明、物質文明が大変発展し、われわれの生活は便利なもので取り囲まれるようになりました。それが逆にいろいろな問題を引き起こしていることがわかってきました。温暖化、地下水汚染、環境ホルモン、地球規模で起こってきた問題は人類の将来を危ういところにまで追い込んできました。もう一度、われわれは自然の恵みの中に生かされているという原点を思い起こさなければならない時代を迎えています。
東洋ばかりでなく、アジアも、アフリカも、ラテンアメリカも、世界の大部分の地域は、自然とともに生きる伝統文化をもっていました。国籍のない巨大企業が世界を席巻するグローバリゼーションの波がそうした伝統文化を破壊してきましたが、グローバリゼーションの波が同時に国家の基盤を揺さぶるなかで、人々は地域が持っていた自然や伝統文化を復活する運動を起こしはじめています。自然を征服できると考えた本拠地のヨーロッパでも、そうした運動が起こりつつあります。
東洋の文化が西欧の文化に影響を与えるのが21世紀ではないか。私はここに大きな期待を掛けています。
2. 環境税を導入しよう
EUがなぜCO2の安定化に成功し、さらに高い目標を掲げているのでしょうか。環境税という新しい税制を導入したことが大きな役割を果たしていると思います。環境を汚染する排出ガスに税をかけることによって排出ガスを減らそうという発想です。こうした地球環境を護る経済メカニズムは、これから世界中の国が導入すべき政治の課題です。
3. NGOの役割を重視しよう
NGOの活躍ぶりがこのところ世界的に際立っています。とくに99年から大きな流れができました。というのは、同年11〜12月、米国シアトルで、WTO(世界貿易機関=貿易や金融の世界ルールを決める機関)の閣僚会議がありました。この会議は新しい「多角的貿易交渉(ミレニアム・ラウンド)」の開始を決めることになっていましたが、世界各地から集まったNGO7万人が会場を取り囲んで、会議は何も決められず流産してしまいました。このデモの仕掛け人のひとりである消費者運動家、ラルフ・ネーダーは「多国籍企業は国家の主権を超える存在となり、市民生活を脅かしている。WTO貿易交渉にたいして、市民の側に立つよう要求する」と呼びかけました。まさに、今日に至る「グローバリゼーション反対」の大きなうねりの出発点でした。ロンドン、パリ、ニューデリー、マニラでも大規模なデモが起こりました。日本だけは何もありませんでした。この辺に日本の国際感覚の乏しさが現れています。
その後、主要な先進国の首脳が集まるG7サミットなど国際会議にデモは恒例となり、2001年7月、イタリア・ジェノバで開かれたG7には連日20万人の抗議デモが押し掛け、ジェノバは「反グローバリゼーションの街」と化しました。
こうした行動が、貧困、債務などの困難を抱える途上国の実情を世界にわからせる大きな役割を果たしたことは間違いありません。政府間の交渉だけでは遅々として進まない問題にNGOが突破口を切り開く役割を果たしはじめています。国家の統治が弱体化し、国境を意識しない「地球市民」が活躍する時代に入ったのが21世紀だと思います。
私は今日の話しに「みんなでヨハネスブルグへ行こう」という副題を付けました。世界を知るために、ぜひ、このNGOのうねりを若いうちにみて欲しいと思います。途上国の不満は募っています。どんな展開になるか、予想がつかないからこそ、興味深いのです。
お金がない、時間がない、という人は、インターネットで情報を取りながら、遠くから参加できる時代です。私は技術者になるのだから、政治やNGOは関係ないと思わないで欲しい。世界の問題がわからなければ「技術バカ」になってしまいます。世界に通用する立派な技術者になってください。
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