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(回答先: なんか、はっきりしない、すっきりしたい 投稿者 NJ 日時 2005 年 7 月 26 日 17:51:29)
>NJさん
ご意見には「なるほどと思う部分もありますが」
もう少し「知性を持って、冷静に判断する事を考えてみて下さい」
Kの基本的な考え方は
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/169.html
に書きましたので参考にしてみて下さい。
Kは【「目的の為なら、手段を選ばず。」】とは考えていません
手段を選べと主張しています。(イメージ的には分かりますが、言葉って難しいのですよ)
>【仕掛けた相手の計算に負けないだけの、怜悧な計算が勝敗を決する。個人の思想信条などで対処可能な問題は置いておけ、今は。】
というのは、かなり核心に迫った考え方ですね。ただ、ストレートに書くと色々と摩擦が起こるので、どのように「相手にそのように気付き、考えて貰うのか?」を考えていますし、感情論の完全否定(切り捨て)を行わない模索もしています。
そこが【なんか、はっきりしない、すっきりしたい】の原因になっているのでしょう。
>【一方、数として、取り扱いにくい主題の代表格が、思想信条の自由、言論の自由、ではないか、と思います。だから、Kさんのこの論理では、どうしても、こちらは抜け落ちる。結果として、軽んじたように見えてしまう。】
思想信条などは基本的には「何が正しいのか証明が難しい(反証も不能)」なので、一種の宗教的観念(Kは憑き物と表現しています)なので、軽んじているというより、拒否の立場なのであろうと思っています。
証明もできないイメージ的な「訳の分からない概念」に多数派形成なんてできないと思っています。
また、それをするのは「こちらの思想信条を他人に押し付ける事」で「自由を叫んで、相手の自由を軽視している」のだろうとも思います。
ただし、この辺は「体制論理(企業論理など)」との綱引きである事も確かですので、一方的に放棄する訳にはいきません
結果的には「正しいであろう。考え方の提示」を行うのが「一番真っ当なのかな」と考えていますし、今までのKの主張には「基本的に、その路線に沿って行われる物がほとんどです。」
ここで問題なのは「正しいであろう」がKの主観である事です。
ですから、常に立脚点には「疑問を呈しています。」
そこが、評論家的に見られるのであり、冷徹に見られるのでしょうが
ここで勘違いして貰いたくないのですが、Kは「自分が憑き物に憑かれていないとは思いませんし、自分が正しいとも考えていません」
Kは「Kのような考え方もある」と書いているだけですし、多角的に思考しようと提案しているだけです。
>【教育という、労働者の職場と質的に異なる、独立した分野の出来事です。影響の分析に当たっては、当然、一般的職場や、地域社会とは、異なるアプローチがあって然るべきと、思います。ですから、選挙人の数に置き換えて論じてしまい、意味を考えないKさんの論の立て方は粗雑で、私には賛成できません。】
この辺は非常に重要です。
「君が代拒否の運動の影響」を教育の場という事で捉え直そうと言う事ですが、Kの予想では「自分本位の若者が増える」というのが最大公約数の影響になる可能性が高いと「前から考えています。」
どういうことかと言えば「自分の主張を通す自由」を優先的に考え
「社会のルール」とか「規則や規定」よりも「自分なりの正義」の方が正しいので「自分の解釈的に間違ったルールなら守る必要はない」となるだろう。と言う事です。
Kは「法が間違っているならば」それを「正させるのが先で、先に守らないのは混乱の元」だと考えています。「法を守らない事を解決策にするのも『時にはあり』でしょうが、基本的には正しい方法論とは思いません、多くの場合では逆効果でしょう」
まあ、この辺にしておきましょう。
どう書いたって「感情論的な物にこだわる人はこだわります」
他人の言葉よりは「自分の考えの方が正しい」と思うのは普通です。
ただし、明確な根拠が「思いつかないのに関わらず『間違っているのは他人の言葉』とするのなら」
会話をするのは無駄と言うことです。