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(回答先: 縄文ビト さん ジャン さん 投稿者 外野 日時 2005 年 7 月 23 日 06:25:19)
外野さん、ジャンさんお二方のレス読ませていただきました。
また外野さんからの貴重な(学会)情報別枠で集めております。
私にとってお二方、また他にも理解してくださる人がいるということが励みになっております。
【外野さん】アスファルトを煉瓦敷きに変えるというのは、そもそもがアスファルトというのは自動車のために出来た材料であること、それを人間のための道路にすることがまず第一に大事であったことと、自動車産業に従事していた人がそういう環境整備職に就くことを仄めかすためでもありました(実際はそういう転職はむずかしいのかもしれませんが)。しかし、たしかに環境を左右する材料としての比較はやらなければならないことでした。個人的には石畳の舗道などが好ましいのですが、多くの石を切り出す必要があることから、そちらの産業に雇用が多く生まれるということもあり、こちらのほうがよいかもと思います。ただ、日本にはそれだけの石の資源があるのかどうか、ちょっとわからないといったところです。
【ジャンさん】しかし、環境問題が解決したところで、搾取の問題は解決せず、搾取の問題が解決したからといって、拉致問題は解決しないのです。そして、拉致問題の現実を国民につきつけて、世論が誘導されてきたのではなかったでしょうか。
確かに、世の中には、さまざまな問題があって、どの問題が、より緊急性が高いのか、どの問題とどの問題が関連しているから、まずどの問題をかたづけなければならないのか、そういった優先順位は考える必要はありますが、搾取の問題に対して環境問題を対置したところで、現実的な局面では関連はしているのでしょうが、議論のうえでは、それはそれで別々の問題であるように、私には思われます。
視点(現社会をどのように見るか)としては同じようなものがあると私は見ております。ジャンさんは少しだけマルクス主義が強いように見えますが(失礼な文章お許しください)そして外野さんは現在の車社会(資源の無駄遣い・環境問題等の立場から)を考えたいが、雇用不安が問題になるという気遣い。そのような文章と受け取りました。
縄文ビトの考えは、人間社会での全ての基礎が食料生産にあり、そこで発生した余剰生産分(食料)が分業を発生させる基盤となるわけです。そこでは分業が人間に必要な分業と、不必要な分業に分かれるわけです。不必要な分業というのは、平和社会であれば必要としない軍人であり、戦争に必要な軍需産業であり、そして高価な使い捨てである自動車、それ等は人間社会にとって不必要な分業形態と見ています。つまり食料のただ飯を食っているわけです。方や人間社会に必要な分業というのは食料生産に携わらない人達でありながら社会にとって必要な人(公共機関に携わる人・公共交通機関に携わる人。例えば大学教授・裁判官・弁護士・そして電車の運転手であり・バスの運転手・それ等の乗り物を作る人たち・医療に・住居に等・限りなくありますが)
そして不必要な分業を無くすということは雇用を失うのではなく、必要な分業に組み込まれることにより、総体的には労働時間の短縮に繋がるわけです。
外野さんの言われるように自動車産業に従事する人が自動車の生産台数を削減すれば失業者が出るというものではないといえます。人間社会に必要とされる分業に消化されるだけです。
ただ社会形態が今のままでは無理があるかと思いますが。
そして私なりに現在の車社会を恐れているもう一つの理由があります。それはアスファルトに擦り付けられたゴムタイヤが磨り減っていく時、相当量のゴムが粉塵となり空気中に舞い、雨水によって河川に流れ水を汚す。私の知る限りでは現在のところ誰も問題にしていませんが、自動車タイヤが撒き散らすゴムは人間の健康にとって良いとは思えません。また誰も問題にしないということはもみ消している面があり、現在の社会では雇用は産業からという中で自動車産業が優遇されている面から来ているのではないでしょうか。
私自身は外野さんの言われていた、公共交通機関の充実された社会が未来社会の姿では無いかと考えています。
今後ともお二方の活発なご投稿期待しております。