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(回答先: Re: 外野さん 投稿者 ジャン 日時 2005 年 7 月 24 日 19:42:58)
> 単に金をかけてヨーロッパ趣味の道をこしらえて、いい環境になったとか、人にやさしい道になったとか錯覚しているだけではないのかというのが、率直な感想です。
僕が煉瓦や石畳を持ち出したのは、アスファルト道路が車中心に考えられたものだと思われるからです。経験による習性というのも多分に影響していると思いますが、広いアスファルトの道路は人が歩くのには向いていません。
煉瓦敷きや石畳にしようというのは、車中心の道を人(歩行者)のための道へと取り戻すために、アスファルトから他のものにしようというデッサンの一つで、コンセプトにおけるポリシーの表明にすぎません。僕にはその他の材料が、煉瓦や石畳くらいしか思い浮かばないだけなのです。
煉瓦というのは原料にもいろいろと可能性があります。今でもゴミを燃やしたあとの燃えカスなどをリサイクルして作ったものなどがあります。もっとも、これはダイオキシンを含むとかで、すぐ使われなくなりました。このへんは、いろいろと考えてくれる人がいるはずで、現実の計画ともなれば、専門家に任すべきことだと思います。
ともあれ、街のメインストリートの大きな道などは是非煉瓦敷きか石畳にしたいものです。
景観としても良いし、街にはそういう要素も必要だと思います。
> 新たな職の創出にこだわられる見識の高さを、私は、むしろ環境問題にとってはマイナスではないかと思います。
あらたな産業や職の創出は、絶対に必要です。環境維持や保護に好ましくない産業を、それらに好ましい産業に世の中全体をシフトさせていくためです。また、たとえば自動車産業などの大幅な縮小をもたらす以上、そこで失業をするかなりの人々の職の受け皿が、その自動車産業などからの脱却を現実のものとするためにも必要なのは言うまでもありません。
>>土地収容問題などで安く土地を提供してもらうために、ある程度社会主義的な時限立法的な法も必要になるかもしれません。
>
>○路面電車等のための土地収用法の適用ということでしょうか?
これはちょっとひどかったと自分でも思います。ちょうどよい例になると思い書いてしまったのですが。
世の中のためになるのなら、と自ら進んで安く提供してくれる場合ならともかく、さすがに社会主義でもこういう不平等はないでしょう。どうしても、費用を抑えたければ、社会主義そのままに全ての土地を国有化してしまうかするしかないのでしょう。無論、日本ではそんなことは不可能なので、やはり国か自治体の借金を増やす以外ないのかもしれません。
けれど、土地の問題でいえば、現在の日本もけっこうひどいです。不動産の高い都市では、一家の主が死ぬと、その遺産相続税を払うために家や土地を売るしかないということも起こっているのですから。
もっとも、日本の内実は資本主義などではなく、官僚が統制する「最後の社会主義国」だとの評もあります。
> さまざまな面での外野さんのスタンスととらえてもいいでしょうか。
これはもちろん違います。
> 外圧や、自動車産業等のためだけではないでしょう。農業者自身が農業離れを起こしています。荒れ果てた農地・森林があちこちにあります。
「Uターン現象」というのがありましたね。またその後も、脱サラをして農業をやりたいという人がけっこういましたし、実際に実行に移した人も少なくないと思います。そのほとんどは厳しい現実に直面し続かなかったということですが。
今でもテレビで、「ダッシュ村」といって、自然農法で作った農作物で自給自足をするという内容の番組が、かなり高い視聴率をとっているということからみても、システムさえ整えば潜在的に農業分野で働ける人はかなりいるのではないでしょうか。
僕が10年ほど前に思ったのは、九州あたりに大規模な農園を一から作って若者を多く募集し、彼らの働き甲斐のある農園を作ったらどうかという提案です。それがうまくいけば、全国に波及していくのではないかと。
> 「持続可能な社会」という言葉は一つの流行語のような感じがしますが、私としては、いまひとつしっくりこないものがあります。失業者の増加が社会の持続可能性を低下させるのであれば、歴史的にも、また南米やアフリカなど世界中で社会が破綻して、持続できなくなっているはずです。
「持続可能な社会」って日本で流行語のようになっているでしょうか?少なくとも僕は最近ほとんど目にしません。また、自動車産業からの脱却という提案など、それこそ自動車会社が大スポンサーとなっているテレビや新聞、雑誌などはやらないはずです。僕が阿修羅で書くのも、そういう世の中に対してのカウンターバランスの意味も少しはあると思っているくらいです。
「失業」については先に書きました。
> スラムとはなんでしょうか。本当にそういう場所がないといえるでしょうか。都市計画によって、一見、みえにくくされているだけではないでしょうか。
911事件が起きたとき、そのニューヨークのスラム街の少年がテレビのインタビューに応えて言いました。
「ここなんか毎日あれよりひどいよ」
誇張はありますが、心情的にはうなずけるような気がします。
『スラム』とは、極貧の人々が家族単位で集まっている街と単純に思っています。
貧困、暴力、麻薬、不和、死、といった言葉などが浮かびます。このうち、麻薬、暴力などはアメリカ特有の要素ともいえるものですが、現存する『スラム』の一つの形態であるとはいえます。
日本でも、たとえば建築土木工事の仕事を得るために単身者が集まった大阪の「アイリン地区」のような貧困地区がありますが、そういうのは仕事を得るために集まっているという要素が強く、また家族単位の生活の場ではないという意味で、『スラム街』とはいわないのではないでしょうか。『スラム街』とは生活の場という意味合いが強いように思います。
> もし、「持続可能な社会」を振りかざし、危機感をあおるのなら、それに対応した政策やスローガンを出せばいいのですが、そういう感じがないように思います。
これは僕の力量不足と、僕自身が暗中模索のような状態だからです。
> 「終末予言」をちらつかせる宗教と、「持続可能な社会」をふりかざすこととどれほどの違いがあるのか。どちらも、何かの結果に物事を誘導しようとして持ち出す言葉にすぎないのではないか。
僕が反駁をしなかったジャンさんの優れたご見識は、皮肉ではなく日本を代表するような良識だという気がします。
けれど、たとえば、現在妊婦はマグロを食べてはいけない、という危機感というよりも危険性は多分ご存知でしょう。マグロのような大型で、海を回遊するような魚は人間が海に流した有害な重金属が濃縮されて残っており、その量が胎児における許容量を簡単にすぐ超えるからですが、こういったことは突発的な例外といえるでしょうか。
思いのほか海は汚染されている。それが現実ではないのですか。
こういったことは、ネットでも探せばいろいろ記述があるのかもしれません。
−かけがえのない地球−
http://www.s-yamaga.jp/kankyo/mokuji.htm
ここなどが、けっこういろんなことを網羅しています。
今後、良い記事などをみかけたら『空耳の丘』などに投稿しようと思います。
では、今日はこのへんで。
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JANJAN
http://www.janjan.jp/living/0311/0311108468/1.php
マグロと水銀 2003/11/14
今年6月、厚生労働省は水銀を含む魚介類などの摂取注意事項を発表した。水銀は海を含む自然界にも多く存在し、特にマグロなどの大型魚は含有量が多い。
ではそもそも、水銀とはなにか?人の体内には、金属の水銀と、アミノ酸と結合したメチル水銀がある。そして、この二つの中で毒性が強く人体に危険をもたらすのがメチル水銀である。メチル水銀を大量摂取すると、まっすぐに歩けないなど運動・感覚障害、知能障害が起こる。メチル水銀の多量摂取による水俣病はあまりにも有名であり、その危険性は広く認知されている。
また、近年において、微量な水銀摂取によっても胎児の脳への影響を指摘する研究があり、世界各国で妊婦や乳児への摂取制限の動きが広がっている。そのため、厚生労働省は妊婦への注意を促そうと今回の発表を行い、正確な認知をさせようとした。
しかしこの時に同省は、注意リストの中にマグロを含めなかった。日本人のマグロの一日平均摂取量は21グラムと少ないという理由で、発表の対象とはしなかったのである。しかし実際のマグロの水銀含有量は、この発表であげられたキンメダイよりも上回っている。
キンメダイは、妊婦に週2回以上の摂取をしないようにと注意を促された。これを受けてやはり消費者は敏感に反応した。キンメダイの価格が暴落し、水産業者の扱い量も減った。マグロほど日本人の食生活になじみのないキンメダイであっても、ここまでの影響があった。
また、この時に厚生労働省が示した妊婦の摂取許容量は、一日当たり15マイクログラム、週では105マイクログラムであった。しかし、基準の根拠となったWHO(世界保健機関)とFAO(国連食糧農業機関)の合同専門家会議(JECFA)による許容量は、発表後に週80マイクログラムに変更となった。
これを基準にすると、メバチマグロの鉄火丼(約80〜90マイクログラム)も週1回以上食べてはならないことになるという。(メバチマグロの値は毎日新聞を参照。)
そもそもマグロは日本人にもっとも好まれている魚介類のひとつであり、世界の水揚げ量の95%を消費している。今回、基準変更後もマグロについて正式に発表しない理由として、水産業者の保護が見え隠れする。
ちなみに同省の中では、魚の水銀値はホームページに掲載しており、隠してはいないのでそれを基準として自分で計算、判断しろという無責任な声まである。
結論として、国はこのマグロの水銀問題、ひいては消費者をあまりにも軽く扱っている。消費者と生産者を見比べた場合、利益重視の立場から生産者を重んじすぎではないか。
キンメダイや狂牛病の例を見ると、消費者は一時的にではあるが過剰反応する。しかしそれは、正しく情報を伝え、国としての役目を果たせば一過性のものに留まるはずである。それにもかかわらず、利益重視の立場をとるあまり、国の対応は後手後手にまわり、その結果、国民の信頼を失い更に被害(主に生産者のこうむる損失など)が大きくなるのである。
行政は何のためにあるのか?国民の利益=生産者の利益と勘違いしているのかとさえ思わせるほどのいい加減さには閉口してしまう。マグロ問題は国民の食にかかわる重要な問題である。それを認識して、またかつての同じような問題の反省を踏まえ、いち早く正確かつ迅速に調査しなおし、国民に知らせる義務を果たしてほしい。
(野中三郎)
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