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(回答先: 球環境問題は社会システムの問題でもあると思います。 投稿者 外野 日時 2005 年 7 月 21 日 22:29:07)
外野さん。どうも。脈絡もわからず、横から口出しなどしてすみませんでした。
パークアンドライドのこととか、おそらく自治体における環境会計の導入などに的を絞ってのご説明かと思いますが、おっしゃることはごもっともと思います。
ただ、人間の意識というのは、本当に楽なほうに流れるものですから、相当、意識的にとりくまないと環境問題の解決は難しいと思います。
「持続可能な社会」といいますと、近頃は、福祉の分野や財政の分野でも使われるようになりましたので、当然、ここでは持続可能な地球環境という意味合いで使われていることと思いますが、高齢化と過疎化の進む地方の自治体にあっては、なかなか、ドイツのようにはいかないようです。
パークアンドライドどころか、バス路線すら1日数本というところもあります。それでも、1日数本のバスにのればいいのですが、車の便利さというのは、なかなかやめられないものがあり、つい、私も自家用車で出勤しています。
車にかぎらず、電力需要も増加しておりますが、(電気を生み出すための工程で、環境に影響があるようですが、)パソコンをはじめ、便利なものがふえ、なかなかやめられない状況です。最近は、公衆電話が減ったので、あまり利用頻度のない私まで携帯電話をもち、数日おきに充電をくりかえしています。
一方で、高齢化の進展もはげしく、地方財政も危機的状況ですから、都市交通やバス事業ができるのは、裕福な自治体ではないかと思います。まして、通行するだけの道をレンガづくりにするというのは、(レンガの政策工程とアスファルトコンクリートの製造工程とどちらが環境に優しいかは知りませんが) どちらかというと、これも裕福な自治体のやることじゃないかなとも思います。
話はかわりますが、田舎の河川管理について、水棲生物に配慮した多自然型の河川整備を、という声もあります。しかし、現実に中小河川を管理するのは、年老いた農業者であり、大した金もおとさずに、自然を少しだけみて帰っていく、通りすがりの都会の人が関心するような、マンパワーにたよらなければ管理できない自然環境重視の河川よりも、たとえ殺風景ではあっても管理の楽なコンクリートで固めた河川を、地元は望んでいます。
楽がしたい人は多く、環境問題を進めることは、相当に意識的で国民的な取り組みが必要なのだと思います。そのような意味では、「社会システム」の改革以前に、意識革命的なものが必要なのかもしれません。
ところで、商品生産社会の廃絶は、階級闘争の結果らよらなければもたらされないと考えており、政府や自治体の政策問題を超えています。環境問題でいうところの社会システムの変革は、私にはまだ、法律の整備や政策の変更によって可能なレベルであるように思います。もちろん、グローバルに考えてローカルに行動せよ ですから、環境問題の実践は当然、できるところからということになります。
その意味では、改良か革命かといった議論と、どことなく似通ってきて、具にもつかない概念や理論をいうまえに、まず現実をみよというふうに思われるかもしれません。
しかし、環境問題が解決したところで、搾取の問題は解決せず、搾取の問題が解決したからといって、拉致問題は解決しないのです。そして、拉致問題の現実を国民につきつけて、世論が誘導されてきたのではなかったでしょうか。
確かに、世の中には、さまざまな問題があって、どの問題が、より緊急性が高いのか、どの問題とどの問題が関連しているから、まずどの問題をかたづけなければならないのか、そういった優先順位は考える必要はありますが、搾取の問題に対して環境問題を対置したところで、現実的な局面では関連はしているのでしょうが、議論のうえでは、それはそれで別々の問題であるように、私には思われます。