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(回答先: 多数決は認めないと「孤立化」を深めるだけでしょう。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 7 月 19 日 21:53:06)
貴方は主張の内容(「君が代反対」など)を捨象して「多数派」一般を自己目的化していると私は言っているのです。
つまり貴方は「わが方」が勝つ事が大事であって、勝った事でどのような社会ができるには比較的関心が薄い気がするのです。
手練手管で勝とうとするからそうなっちゃうと思うのですね。
違いますか?
貴方は「負ければ全ての努力が無駄」という脅迫観念に捉えられて「主張を取り下げてでも」勝とうとするように思えます。
では、全ての敗北が無駄なのか?
連合赤軍事件は左翼の1つの敗北を意味していると思います。
しかし、あの事件によって我々が学ぶ事は多いと思います。
敗北から学ぶという事です。
こういうと縄文ビトさんから「やはり、連合赤軍に同情的だ。」と言われるのかも知れませんが、彼らを単なる犯罪者扱いをするダケでは我々は同じ事を繰り返す可能性があると思います。
「私が」というワケでは必ずしもありませんが。
彼らを批判して乗り越える事、これこそが我々の使命であると思います。
敗北に対して清算主義に陥らないという事です。
意味ある敗北もあるのであり、「勝たなければ意味が無い。」とだけ金科玉条のように唱える事には私は違和感を感じます。
連合赤軍事件が「意味ある敗北」というにはあまりにも凄惨な事件であった事は認めますが。
彼らは論理的な典型例を示したと思います。
「革命戦士はかくあらねばならぬ。」というイデア支配の結末を。
「負けたという事はやり方がまずかったのだ。」なんて誰でも言えます。
しかし、最善の選択をしても敗北する事はあるのであり、貴方のような清算主義では人間は進歩しないでしょう。
将棋で負けたら何故負けたのかを考える事が大事であり、「やり方がまずかった。この勝負は価値が無かった。」とダケ総括していたら腕は上がらないのと同じです。
私は少数派を自己目的化しているのではもちろんありません。
正しい事を主張しても少数派で敗北する事は多々あるのであり、「敗北したのはそのような主張をするという選択が間違いだったからだ。」なんて言っても意味無いのです。
結果論だという事です。
勝つという目的を導き出す為の現在の戦術を「手練手管」で評論家的に考えているダケであり、現実のパトス(情熱)を伴った闘争の現場はそんなものではありません。
闘争の現場に共感できず「勝つ方法論」を醒めた目で模索するダケでは闘争などと言うものは成り立たないでしょう。
と書いてきて、長壁さんや手ポリオさんに対して私が行った批判を考察者Kさんが私にしているダケなのか?という気がしてきました。
違うかな?