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(回答先: Re: 謹呈。 投稿者 ジャン 日時 2005 年 7 月 20 日 22:51:47)
ジャンさん、こんにちは、初めまして。
>外野氏の指摘は、特に地球環境問題という視座からの指摘であって、その意味では、縄文ビトさんだけに向けられたものではないように思います。
勿論、そのような視座からの発言であることを十分承知しておりますし、唯単に縄文ビトさんのみに向けられたものでないと推察することは可能だと考えます。しかし、このスレに至るまでの縄文ビトさんと外野氏との間に交わされた遣り取りからその方行を眺望したとき、そこに浮き彫りにされたのは外野氏の弾力性と許容力に富んだ心性であり、主にそれは縄文ビトさんに向けられたものだと感じました。かくして氏の応答に私の想いを重ねたのはそのような外野氏の心象風景に感銘を覚えたからに外なりません。
さらに、今回の縄文ビトさんへの謹言(謹呈)は、およそ半年間の阿修羅での遣り取りを眺めながら、その間に楢篠賢司氏(=縄文ビトさん)の著書『人が人を使って利潤を得ても良いという権利、人はそれを誰に貰ったのか』を再読し、縄文ビトさんが称揚する縄文時代に固有な生活体系一般をどのように現代社会に組み入れようとされるのか注視していたのですが、一向にどちらにも開示されるようすがないので思い余っての所作です。
>確かに、旧社会主義陣営は、工業化を無条件に美化し、環境問題については、資本主義諸国以下の関心・・まるで発展途上国のような・・しかなかったのではないかと思いますし、その原因が、産業の発展を礼賛するマルクス主義にあったといえなくもないでしょう。
所謂近代ヒューマニズムに立脚した社会システムを構築していくためには人間界の疎外に纏わる諸問題の克服こそが肝要だと考えたのがマルクスでしょう。けれども、当時は人間界を取り巻く環境条件を見渡した視座に基づいたものではなかったと想われます。
しかしながら、今も尚、旧社会主義陣営も現中国も、資本主義陣営と同様に環境問題への対応を置き去りにして、全く無視しているにひとしい状態にあると謂っても過言ではないでしょう。断じて、社会主義陣営を擁護するのでも、あるいは資本主義陣営を批難するのでもありませんが、両陣営が環境問題の解決に着手するか否かはそれぞれに全く違った思惑が働き、例えばそれが京都議定書の批准の問題を後退させている原因にもなっていると考えています。
<ジャンさんへ>
地球環境問題とマルクス主義や資本主義や宗教との関係に触れているものでは、松井孝典・安田喜憲著『地球文明の寿命』、矢野暢著『フローの文明・ストックの文明』があります。私はこれらの著書から多くの示唆を受けました。参考にしていただければと思います。(既読でしたら、身の不明をお詫びいたします。)
また、会いましょう。