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(回答先: 謹呈。 投稿者 如往 日時 2005 年 7 月 20 日 12:45:04)
横から失礼いたします。
外野氏の指摘は、特に地球環境問題という視座からの指摘であって、その意味では、縄文ビトさんだけに向けられたものではないように思います。
確かに、旧社会主義陣営は、工業化を無条件に美化し、環境問題については、資本主義諸国以下の関心・・まるで発展途上国のような・・しかなかったのではないかと思いますし、その原因が、産業の発展を礼賛するマルクス主義にあったといえなくもないでしょう。
社会主義が真に商品生産を止揚した社会であるなら、環境問題をもっとクローズアップして、その対処に十分な対応ができて然るべきであるのに、それができなかったこと。
その原因は、権力による言論の圧殺であったのか、単なる為政者の政策上の失敗なのか。はたまた社会主義ですらなかったのか。
いろいろな考え方はできようが、現代の日本は資本主義であり、こと環境問題の解決について考えるとき、資本主義か社会主義かは関係なく、今ある現実に対してどのような処方箋を出そうとするのか。そういったことを外野氏は問うているのではあるまいか。
しかし、このことは、縄文時代に学べという主張に対して、まったく別の分野を対置したにすぎず、それぞれ別の問題として議論しなければならないのではないだろうか。
仮に、そのような議論の方法でよいとするのなら、環境問題に対して、教育問題を対置して、環境問題で、この子供の現実を救えるかとといかけることにも正当性が出てくるのではないか。
追伸・・もちろん、私は外野氏の主張を否定しているのではない。