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(回答先: Re: 縄文ビト さんへ 返信が遅れてすいませんでした 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 7 月 20 日 08:00:05)
縄文ビトさん、ご無沙汰しております。
縄文ビトさんとの会話を中断して半年以上が経ちますが、縄文ビトさんの視点は全く変わらないようです。変化がないのではなく、或る一定の視座を固持されて多様性への対応が見受けられないと感じます。
何よりも、以前から大へん気になっていますのは、文章構成の問題です。特徴(?)的には、文節において“係り受け”の関係に整合性の乱れが目につき文意を汲み取るのがしばしば困難なことがあり、論旨を正確に把握しようとする際に大きな障害になっています。人生の先輩にたいし、文章作法の“てにをは”について云々することは甚だ憚れることであり、勿論、私の本意ではありません。しかしながら、改善に関し是非ご一考いただだきたく、この場を借りてお願い申し上げます。
次に、言葉の定義についてももう少し拘っていただきたく希望します。このところ特に目についたのが、形而上(学)[metaphysics]に関する見識です。私はワヤクチャ氏の理解が正しく必要かつ十分であり、縄文ビトさんが概括されていることの七割以上が当て嵌まらないと捉えています。(逐一指摘することの愚挙は回避したく思っておりますので、どうかご容赦ください。)
さらに、マルクスを論の中心に据えることは是非止めていただきたく願います。何故なら、以前、縄文ビトさん自らマルクス・エンゲルスの著作について体系的にではなく、解説書の類のものは読んでいると語られていますように、それではマルクスを云々することはできないと思うからです。
終わりに、文化[culture]と文明[civilization]の区別を明確にしていただきたいと思います。縄文ビトさんが発想の基点を縄文時代の社会状況におかれているのならば尚更のことです。文化はある意味で文明の表現形であり、文明は人間と環境との関係性の表出もしくは社会的所産であるでしょう。もし、過去の文明を今日の世界に内化(移植)しようとするならば、当時の状況と同じように今をリセットすることが最短の道だと思われます。しかし、それができないのならば、どの程度それが可能かシミュレーションを重ねていくことが必要ですが、縄文ビトさんはそのスキームを呈示されてはいません。それに業を煮やした外野さんが、現代の喫緊の問題に対処しなければならいない時に、発展過程も状況も全く違う縄文時代の智慧に打開策の中核理念を求めようとすることにたいし、非常に明快な事例によって疑義を呈したのだと私は受けとめています。
また、会いましょう。