★阿修羅♪ > 議論21 > 468.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 縄文文明は多くのことを教えてくれます。 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 7 月 20 日 08:50:33)
具体的に、今の時代の為にすぐにでも通用するなにかアイデア、得策があるというのならご提示いただきたい。
学ぶにしても、現代人は縄文から何をどのように学んでいくのか。
制度、規範だけを学べばいいのか。
その時代は良かった、という恣意的感情抜きにして、今まさにこの混沌としたこの時代に、その縄文より学び抜かれた知恵をいますぐに、明日の世に、どのように実現していけるというのか。良かった、という部分だけを抜き取って今の世に通用させられるというのならしたほうがいい。
それともすべて根本に立ち返るべきというのなら、この今の人の時代を一旦終わらせるしか無い。
私は個人として縄文には深く関心を持っている。人として安堵して暮らしていける大切な事がいくつも学び取れる。学べないなどとは言っていない。
縄文がその大きさを伝えている中で、もっとも大事なことは和の精神である。
弱者への配慮、楽しみを分つ事。それさえ学ぶことが出来ていれば、すべてを学んだのと一緒だ。
個人個人が、縄文なら縄文という文化を通じて、またそれ以後の時代からも優秀な知恵があればそれらを寄り合わせ、見直すべき現代の悪習が如何にひどいものかを理解し、どう改めていけばいいのかを考えぬく、その力があるかないかが重要で、とりわけ縄文の生活体系をそのままとりだし今の世に復活させるような働きかけは必要ないと感じる。それこそ、縄文人のなにも学び取っていないことの証ではないか。
どんなに素晴らしい生活体系が確立されていたとしても、模倣した規範のみをとりだし人々に強いていくやり方では今となんら変わらない結果が訪れる。
ひとりひとりが喜びを享受し合える世の中を作るというのなら何が必要か。
今の世の人間に今すぐに何が必要か。
苦しみを受け続ける人間をどのように助けなくてはならないのか。
何か自分の体を通して実行できる答えをお持ちだろうか。
本当に効き目のある薬をまったく認可せず、人々を病気に引きずり込むしか頭のない医者、薬屋だけを認める厚生省だけでなく、農水省もかなり腐りおちたところらしいが、現代に縄文の生活様式を確立するというのなら、まずそうした腐り堕ちた暗部をすべて明るみに出して浄化してやる事であり、それは戦いである。戦いが嫌だというのなら、それでもいい。人々が五穀を作りやすい環境を整えるために田畑を守らなくてはならん。どうしたら問題が解決されるのかをそうした山間部を見て回り、聞き込み、考え、話し合う場を持たなくてはならない。そうした人間が増えてこなければ始まらない。どう増やしていくのか。そうした事を優先的に行えばいい。
政治家には票にこだわらず山間部を守るように教え込まねばならん。今年は記録的な大雪だった。農家は大打撃だが、災害ではないとして何も保証は受けられない。農作物は安いままだが、農薬代は高くなる一方。後継者も山間部で激減の一途。田畑も当然減っていく。食べるものがなくなっていく。小麦を作ろうと提唱しても役人の思惑、邪魔が入る。そういえば蕃山は米を貨幣代わりに用いよという提案をした。現実には難しいものだがそうしたアイデアは素晴らしい。
この国を立て直し、人々に縄文スタイルを理解させ確立していくにはこうした作人を守り増やしていくところから始まるのかもしれない。肉食をやめ、食を見直せば病気をなくすこともでき、天と地とともに歩む準備が出来上がる。医者も必要とされなくなり、薬も要らなくなる。正しきを学び、信じ、安心感を養っていける。
まず個人が実践する。
まず何かから取りかからないといけないのではないか?
心を学ばずしてどのような規範も守っていく事は出来ない。
もっともっと広い目で縄文に通じてみなければならない。小さき己を消してしまわなくてはならない。固執し続ければ、現代の何を捨て、何を活かせるのかという問題について、我々はいつまでもわからず、議論を交わし続け、膨大な時間を捨ててしまうだろう。
ときにあなたは三内丸山に足を踏み入れた事はあるのだろうか。何をどう感じただろうか。そこで何を見、何を得ただろうか。