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(回答先: いえ、逆に私は連合労働貴族や民主社会党の轍は踏むべきではないと思います 投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 6 月 16 日 23:19:20)
スパルタコスポノさん
階級という概念そのものが曖昧なんですよ。
階級闘争を曖昧にするも何も階級という概念そのものが曖昧であればどうしようも無いと思うのです。
一体、個々人を「この人は労働者階級、この人はプチブル」とか明確に分ける事が可能でしょうか?
労働者階級の権力と言ったところで専従になるのはもはや労働者階級では無くインテリ(テクノクラート)になってしまうのですよ「。
労働者階級の権力という事を保証するものは何も無いと思います。
これは、労働組合の中で専従者が労働者から遊離していくのと同じ事です。
>いえ、逆に私は連合労働貴族や民主社会党の轍は踏むべきではないと思います
連合の轍を踏まない労働組合運動とは例えば解雇された国労の労働者の解雇撤回闘争をするという事で示すしか無いと思っております。
これを階級闘争の堅持という事は可能ですが、連合も階級闘争をやっていると強弁する事は可能なのであり、課題を具体的に言わない事には何も言った事にはならないのです。
つまり、階級や階級闘争という言葉・概念は抽象的過ぎるのです。
>>実はここは私は動揺しております。
>>「経済的弱者=労働者階級」と言っていいのかという点です。
>>階級闘争と言うと資本家階級に対する労働者階級の闘争という事になり、
>>権力論の中では分かり易く言う為に「労働者階級の権力による資本家階級への強>>>制」という図式で描きましたが、果たして対抗的権力が「労働者階級の権力」とい>>う形で作れるのか?という疑問があるのです。
>むしろ個々の政策を総合したような呼び方でその権力は呼ぶ必要があるのではないかなどと思>っております。
>かつて労働者階級の権力の名の下で官僚の権力が肥大化した轍を踏みたく無いという気がしているのです。
>労働者階級という概念はひょっとしたら曖昧なのかも知れないと思っているのです。
>階級とは何か?という事が問題になりますね。
>それは生産手段の所有の多寡によって分類された人間の集団だと思うのですが。
>そこが曖昧にされていたから、官僚独裁になったと思います。
いや、そうでは無く、官僚独裁をさせないような具体的課題を提起できなかったという問題だろうと思います。
>私はれんだいこさんのような階級を曖昧にする論には反対です。
「曖昧にしている」のでは無く、階級という概念が元々曖昧な概念だったのでは無いですか?マルクスはヘーゲルの弟子なのです。観念論を批判しているつもりが自らも階級という観念で簡単に片付け過ぎたのだと思います。
大まかな説明には役に立ちましたが。
階級という概念は、フランス革命の際の「第三身分とは何か?」という問いの身分の概念に近いものでしょう。現象を大まかに説明するのには役に立ちますが、労働者階級の権力といった問題を厳密に考える際には途中で立ち往生してしまうような概念だと思います。
>労働者階級(で表現が悪ければ貧困層)としての対立点をはっきりさせないと、逆に>共産圏の官僚独裁を許すことになると思います。
結局、誰が権力を握っているかという問題に権力の問題を矮小化すべきでは無いという事なのでは無いでしょうか?
権力掌握の主体では無く、その権力がどのような法や制度を保持する為のものか?という事こそ問題なのでは無いでしょうか?
例えば、国鉄民営化の際の国労の組合員に対する選別的解雇攻撃に対して国労の側がこれに対抗する法的根拠を明確に提起できなかったという事が問題になるのでは無いでしょうか?地労委に対する闘争でそれは言える事では?
別会社を作って選択的に再雇用するという事自体が体のいい解雇であり、解雇権の乱用であるとの論拠を明確にできなかったという問題であると思います。
郵政分割民営化でも同じ事が行われる恐れがあります。
新しい会社には郵政公社の社員を雇用する義務は無いなどという欺瞞を行う恐れは充分にあります。
>共産圏の官僚は豊かだからです。過去に貧しかったかどうかではないのです。現在ど>ういう立場になるのかです。官僚や軍人や警察・政治家・国営企業経営者をそのまま>労働者階級の代表にするから間違ったことになるのです。ソビエト民主主義も貫徹し>てないのに、社会主義は何故間違っていたか総括が必要などというれんだいこ氏の主>張は受け入れられない。
私は例えば共産党が労働者階級の代表だという主張が間違いであると思います。
政党は政策立案とその実現をする政治のプロであり、労働者はその外にいると思います。
既存の党が労働者の権利を擁護できないのであれば労働者は新しい党を作る必要があります。
しかし、資本主義と対決している時期には労働者の代表であると自称する党は一致する課題で統一戦線を形成する必要があります。
要は経済的弱者の権利を拡大する政策の立案と実現が問題なのであり、
党や労働組合や協同組合はその為の手段に過ぎず、「労働者階級の真の代表はどの党か?」などという形而上学は労働官僚が自らの権力を保持する為の欺瞞に過ぎないのです。