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(回答先: 対抗的権力(抵抗権)の構築は民主主義の健全性を担保することと同義であると思量します。 投稿者 如往 日時 2005 年 6 月 16 日 02:38:25)
如往さん、レスありがとうございます。
資本家の権力は自壊しないだろうという見通しを私は持っております。
資本家は戦争を繰り返し危機を破壊によって先送りするのです。
また、資本家は労働者を殺す事を何とも思っておりません。
これだけの人口があるのだからむしろエイズウイルスを撒いて殺していると思います。
つまり資本家にとってこの地球は人間牧場のようなものなのでしょう。
マルクス主義は資本主義が必然的に社会主義に移行するように描きました。
しかし、私には必然的だとは思えません。
意識的な変革が無ければ変わらないと思っております。
その意味で資本家権力に対抗する権力が必要だと感じているのです。
「民主主義の健全性」などと言う上品なものでも無いのかも知れません。
確かにそのような作用はあるとは思いますが。
オンブズマン運動のように。
>対抗的権力(抵抗権)の構築は民主主義の健全性を担保することと同義であると思量>します。
>http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/352.html
>投稿者 如往 日時 2005 年 6 月 16 日 02:38:25: yYpAQC0AqSUqI
>(回答先: 抽象的権力論は誤りであり、我々は権力をその具体性において評価しなけれ>ばならない。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 15 日 17:29:10)
> ワヤクチャさん、こんにちは。
こんにちは。
> 相変わらず縄文ビトさんはワヤクチャさんの論旨を取り違えているようです。
そうなのかも知れませんが、努力するまでです。
彼には何か大きな論理的問題があるように思うのです。
しかし、それをうまく表現できていないと思います。
という事は私もよく分かっていないという事です。
公開で対話をしている意味は他の方にもお考えいただけたらという気持ちもあります。
>おそらく、ワヤクチャさんの尽力を以ってしても溝が埋まる見込みはないかも知れま>せん。
そうかも知れません。
しかし、うまく言えないのは私の問題なのです。
> ワヤクチャさんはこれまでにも一貫して対抗的権力の構築を主張されていますが、>私はそれが民主主義の健全性を担保もしくは醸成していくためには不可欠であるとの>基本認識を含めて支持したいと思っています。
確かにそのような効果もありますが、それ以上にこの地球社会のシステムを変革する為には、言論→思想→運動→組織→権力が必要だと思っております。
この阿修羅掲示板の役割は、情報収集、分析、現実的世界観の構築、対話などであると思いますが、できる事ならば政策提言的なバーチャル政党の機能も確立できないかと考えております。
様々な事に対する論評自体が既にその役割を果たしているとは思いますが。
> ただし、固よりワヤクチャさんは楽観視されてはいないでしょうが、対抗的権力の>構築にはここ日本では相当な困難性を伴なうものと推察されます。
それはそうです。
しかし、政党というものは元来権力とは異なる政策を持つ政党による対抗的権力樹立の活動であるはずです。
国民から支持を得て政権を取る能力が無ければ政党を作る意味が半減すると思います。
そういう政党づくりをやっていきたいのです。
>「どうして対抗的権力が必要なのか」と、問う日本人は数多いかも知れません。
「権力は1つでいい。」とかいう発想ですね。
権力の暴走にどう歯止めをかけるのかなどの発想が無いのですね。
>反権力(Anti反動)の側と見做される人達の間でも同様な問いが繰り返される中で、>自分達が民主主義の健全性を担保していくべき主体であること、すなわち当事者意識>が希薄な人々を受容し啓蒙して対抗的権力を構成するのは容易なことではないでしょ>う。
まさに、当事者意識ですね。
自分が税金を払っているのにその税金の使われ方に意見を言わない人々です。
社会に関わっているという自覚の欠如ですね。
選挙すらも棄権するのですから。
私はその意味で参加の練習をする場としての協同組合や地域社会というものを考えているのです。
自分が関わる事でこう変わったという経験を積ますべきです。
>現状はやはり自治体や企業体において実験的にモデルケースを打ち立てていく他に策>はないのかも知れません。
そうですね。
参加の場づくりですね。
田畑稔氏はこれを「人民の自己統治能力」と言っておられました。
労働者階級への啓蒙活動(学習会)の必要性も言っておられましたね。
この阿修羅掲示板では相互の啓蒙活動が行われていると思っているのです。
> しかしながら、同時並行的にマクロ的なレベルでの対抗的権力の在り様を探究して>いく営為は重要であると思っています。
そうですね。
>『経済学・哲学草稿』でマルクスは既成権力や次世代の権力の台頭に対し、生産主体>が権力を握ることの正当性を説こうとしたと読み取ることができるでしょう。
その生産主体とは労働者の事なのでしょうね。
しかし、ですね、商品は消費の必要性に応じて生産すべきものであり、主体はあくまで生活をしている人間ではないか?という観点が柄谷行人氏の「可能なるコミュニズム」などで訴えられているのですよ。私は、これに「なるほど」とうなずいたのです。
それで「消費者主導の協同組合による生産の管理」が市場経済の無政府的生産を制御する解決方法では無いかと考えたのです。
>それは来る資本主義社会において生産主体の生存の自立性を援護しようとする当為で>あったと思います。
生産自体は自立はできないと私は思います。
消費あっての生産だという事です。
>そして、そのヴィジョンが共産主義社会体制であったのですが、レーニンをはじめ引>き継いだ人達がそれを政体論として如何に結実させていったのか、その成否の模様と>事の顛末はご周知の通りです。
消費者は無視され、生産が官僚によって恣意的に行われ、需給バランスが取れなかったと思います。そもそも官僚には需給バランスを調整しようというモチベーションは無かったのではありませんか?
市場は縮小し、消費刺激による労働のモチベーションが上がらず、西側の市場における商品の豊かさに敗北したのです。
むろん、冷戦による軍事支出の負担が大き過ぎたという点もあるでしょう。
アメリカは戦争を起こし軍需特需を作り出し乗り切ったのです。
> ところで、今日においても生産主体の生存の自立性確保が権力論と切り離しては捉>え切れないことや、さらに究極的にはヘゲモニーをめぐる経済主体と生産主体の間で>の凌ぎの削り合いという構図には何ら変わるところはないでしょう。
このご意見については保留にさせていただきます。
よく分からないのです。
>ただ、それを経済主体が認識している以上には、生産主体が意識できていないことが>戦前戦後を通じて現在に至る日本を象徴する問題の要因になっていると想われます。
これもよく分かりません。
>何故意識できなかったのか、その原因には、日本人が市民革命を経験していないこ>と、明治政府による国民の天皇制への誘導という政策が奏効して市民権にたいする国民>の覚醒が抑制されたこと等が挙げられるでしょう。
日本人の民衆革命は全て弾圧され、社会を自分が作っていくものであるという感覚は希薄ですね。お上が与えてくれるのが社会であるという感じです。
自分の1票や行動が社会を変えるという感覚にしていかなくてはなりませんね。
徳島県の吉野川の運動のように。
>そして、その余波は相変わらず戦後も日本人の意識形成に影を落とし続けています。
そうですね。
「社会を変えられる。」という事自体が不可能のように思われているようですね。
これは日常生活におけるあらゆる手かせ足かせがこのような意識を形成していると思います。
「社会を変えられる。」という思想がそもそも普通に生活をしていては手に入らないのですね。図書館にでも行って本を読みあさったりしない限り。
私は10代の時に図書館通いをして興味が向くままに本を読み漁っておりました。
その時に何かを得た気がします。
エーリッヒ・フロム、松田道夫、高橋和巳などを読んでいたのを思い出します。
高橋和巳の本は「内ゲバの論理は超えられるか?」というエッセイでした。
> 生存の自立性確保は本来的に左翼右翼の別なく生産主体にとっての中心課題である>はずです。
生存こそが中心ですね。
今は、それが脅かされております。
イラクへ派兵された米兵が劣化ウラン弾の影響でしょう。
手に指が無い赤ん坊を産んだとの事ですね。
>少なくとも私は階級闘争を軸にしてこの問題の解決を図ろうとは考えてはいません
経済的弱者の生活の自立という事を考えるのですが、これが階級闘争であるのかどうかは考えなくてはならないでしょうね。
考えてみれば階級という言葉も曖昧なものであり、もう少し具体的な言葉で考える必要があるのかも知れません。
最低賃金をどう引き上げるのかという問題であるのかも知れません。
>し、[Associate socialism]をはじめ様々な方法を模索していかなければならぬと>思っています。
[Associate socialism]についてはまた教えて下さい。
要は全ての人が生産に関与するシステムとは何か?という問題であるような気がしているのですが、その意味で協同組合の延長上にある組織を考えてしまうのです。
>ただし、私達は何れ“権力”の把捉や制御といった問題に直面せざるを得ず、経験不>足を理由に免れることはできないでしょう。
はい。
>そのときにこそ、否、それまでにワヤクチャさんが志向されているように、先ずは広>汎な対抗的権力の構築を果たさなければ、日本においても人類の人間家畜化の進行を>防止することができないと憂慮しています。
そうですね。
まずは、この自殺の多さを何とかするというような事が課題だと思っております。
政権が自殺者が多い事を問題にもしていないような状態は異常だと思います。
> 道遥かではありますが、めげずに互いに信じるところを目指してやってゆきましょ>う。
そうですね。
今後ともよろしくお願いします。
> また、会いましょう。
ではでは。