★阿修羅♪ > 議論21 > 335.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re: 権力は服従を求める→それはそうですね。読ませていただきました 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 6 月 14 日 12:57:39)
>スパルタコスポノさんレスありがとうございます。
どうもです。
>>安保闘争の時の社共は良い例です。あの時、国会前で解散を呼びかけた共産党は労働者から罵声を浴びた。権力は下から形成されると下のワヤクチャさんのレスにありますね。
>あの時私はその当時政治にあまり深入りしていなかったので分かりませんが、上記文章の中にある社共は労働者の指示によって権力というものを持っていたんでしょうか。これは社共に聞いたほうがはっきりします。戦い(労働者運動)を継続していくと、その時治安という名目で国家権力(警察及び軍隊)が出てきて多くの犠牲者を出すと判断したからではなかったのかと考えますが。天安門広場のように。
そうですね。その可能性が実際にありましたから。全共闘から70年安保の時も、三島は2・26事件再現を夢見ていたように見えます。
>私は支持イコール権力とは見ていませんが。そこに大きな違いがあるのかと思います。あくまでも私の考えでは権力とは服従を要求するものと考えています。
権力が服従を要求するものという考えは賛同できます。
はじめ私は強制し、服従させる圧力である権力は行政にしかないと見ていました。何故なら、市民運動も圧力をかけても、強制できる保証がない。行政のみが意に反した場合に処分ができるのであって、市民運動の場合はできないのです。法的に処分権が保証されない強制力は強制力足り得ないのであると考えていました。ワヤクチャ氏は圧力全体を権力ととらえているようです。
>縄文時代その社会にはリーダーはいても権力者はいないというのが定説になっています、日本>で権力者が現れたのは弥生時代からだといえます。
狩猟社会から農耕社会になることで、権力者は現れると思います。
>そしてまた未来に遡った時、その社会にも権力者がいるのかと考えると何のために人間の社会>を創ろうとするのかも意味が無くなります。
全くです。権力は廃絶せねばなりません。
>現在は真の人間社会ではなく、その社会は支配される側と支配する側が両者とも支配する、
>支配されるということすら分からない(多数の人間が)中で人生を生きている。現在はまだ
>両者に支配・被支配を理解させていく時代ではないかと考えます。
>新しい時代のためにまず、権力とは何か?を定義付けたらいかがかと思いますが。
私は権力者に新しい権力のない社会のビジョンを納得してもらい、共に歩むのがベストだと思います。私は基本的に権力とは処分する力だと思います。よく考えれば、処分する力は行政に限らず民間も持っています。採用・解雇・融資打切り・取引停止。世の中は処分される者と処分する者に分かれ、処分される者は一方的に処分される事が多いです。だから、縄文社会のようなフラットな社会提言を権力者が受け入れて、特定の人間に処分する権力がoccupation=占領されている間は権力奪取は問題となると思います。
生活保護を支給するかどうかは、支給する側は支給しなくても、全く生活に支障はありませんが、支給される側にとっては死活問題です。金がなければ死につながるのです。
採用・解雇・取引停止・融資の問題もそう。自殺するかどうかの問題なんですね。生死に関わる問題が特定の人間にoccupationされ、縄文社会のようなフラットな社会への移行が見えない場合、誰が権力を取るかは死活問題となるでしょう。
>>権力というのは刀のようなものだから、ここぞという時に使うものです。
>使わせないためにも理論武装が大事かと思います。それは暴力を否定するものだといえます。
そうですね。理論武装で、相手を説得し、権力行使を防ぎたいものです。
権力とは交渉決裂の際に出すものであって、もはや打つ手がなくなった場合は、相手側から奪う必要があることも出てくるでしょう。本来、社会を良くする方法は色々あって、基本は権力奪取ではなく、改良の積上げによって良くしていくのだと思います。ところが、現在では権力側と妥協の余地がなくなってきた訳です。よって、対抗権力という擬似権力づくり、更に場合によっては権力奪取も検討せざるを得なくなってきた訳です。しかし、このような過渡的な状況は一刻も早く止揚される必要がある。できるだけ早く止揚するには理論武装が必要です。そうしないと、革命には賞味期限があると思うからです。これを過ぎると、また元に戻っていく可能性が大きくなります。過去の革命は全て権力や支配と服従の関係を止揚できませんでした。一度複雑化した社会を元の権力のない、つまり特定の者だけが人を評価し処分することのない社会に戻すのは非常に困難だと思います。しかし、それは必要です。
これが私の今の認識です。